驚きの魔法
「それは、千歳さんの姿か?」
オレは身体に力が入らないことを悟られないように、平静を装って黒髪の女に声をかけた。
「へへっ、そうだよ」
そう言いながらも、少し照れたその表情はいつもの栞を感じさせるものだった。
肌の色はいつもよりも濃いし、桜色の唇は、少しだけ濃いコーラルピンクに変わっているし、耳も形が違う。
近くに来た彼女をよく見ると、眉毛や髪の毛の流れも違った。
千歳さんの髪の毛の方が、ちょっと癖があるらしい。
栞の髪の毛は肩に付く長さの時は外はねになるが、基本はショートカットの時も、肩よりも長い時も軽く膨らみ内側に少しだけ巻くのだ。
それは小学校時代から見てきたのでよく知っている。
それに対して、千歳さんの髪はこの長さでもあまり膨らまず、内側に向かってはねるようだ。
この辺りは、今の千歳さんの髪も同じである。
「その制服はどうした?」
オレが知る限り、栞の中学校の制服とも違うし、入学予定だった高校の制服はブレザーだったはずだ。
こんなセーラー服ではなかったと記憶しているが……。
「……以前、母の、制服を、見る機会が、ありまして?」
何故か戸惑いがちに答えられた。
千歳さんが実際に着ていた制服を参考にしたことは分かったが、何故、そんな片言なのか?
そして、目は泳ぎながらも、何故か兄貴を見ている気もする。
何があった?
まさか、千歳さんが実際にその制服を着たわけじゃねえだろうな?
いくら千歳さんが若く見える人でも、流石に今の栞が着ているようなセーラー服は無理があるだろう。
栞が見たのは写真とかだよな?
そう信じたい。
「それを参考に15歳ぐらいの母に変身してみた」
簡単に言っているが、それが普通ではないことにこの女は気付いていない。
自分が実物を見たことがないものに姿を変えるというのはかなり難しいはずなのに、さらりとやってしまう。
どれだけ想像力が豊かで、しっかりとした意識を持っているのだろうか?
「なかなかの精神攻撃だったな」
「え? そんなに似てない?」
「オレはその当時の千歳さんを知らんが、少なくとも、国王陛下があそこまで動揺したってことは、似ているんだろうな。だから、精神的にダメージを食らったことだろ?」
そして、外見だけではなく、恐らくは、栞は当人以上に本物らしく振舞えるだろう。
自分では気づいていないような客観的で細かな部分も、ずっとその傍で見てきた娘なら覚えている。
だから、姿さえ完全に変化させることができれば、栞は完全に母親である千歳さんになりきることができるだろう。
勿論、その全てを知るわけではないだろうから、限度はあると思うが、一時的に相手を騙すぐらいの幻覚にしてはかなり完成度が高いものだと思う。
「勝因は呼び名だね」
得意げに胸を張る姿はどう見ても「高田栞」でしかないのだが。
「なんで知ってたんだ?」
オレが知る限り、千歳さんはずっと陛下が即位するまでは「王子殿下」と、そして、この世界に帰ってきた後は、即位後だから「国王陛下」と呼んでいたはずだ。
だから、オレも名前呼び、それも愛称で呼ぶなんて聞いたことがなかった。
「母から聞いたんだよ」
嬉しそうに言う栞。
だが、まさか、そんな思い出話が国王陛下を騙すために利用されるとは、千歳さんも思っていなかっただろうけどな。
「しかし、まさか、ここまで効果があると複雑だけどね」
栞は、近くで倒れている陛下に目をやる。
自分の血を引くと思っている娘の姿が、突然、自分の好きな女の若い頃の姿に変身してしまったのだ。
国王陛下は栞からの攻撃魔法を警戒していたのに、まさか、視覚を攻められるとは思わなかっただろう。
その一連の流れで脳が混乱しないはずがない。
そして、栞は躊躇なくその隙を狙って、誘眠魔法を使い、陛下の意識を奪ってしまったのだ。
それを油断と言えばそうなのだろうけど、まさか、そんな心理的な攻めをする娘だとは思ってもいなかったと思う。
しかも、栞の変身魔法は普通の幻影、幻覚魔法とは違って、その気配も予兆もなく、たった一言だけですぐに姿が変わってしまう。
普通の、例えば兄貴が使う幻覚魔法は、その姿を変える前に、体内魔気に覆われるような事前変調がある。
自身の体内魔気を利用して変化するのだろう。
だが、栞にそんな気配はなかった。
突然、千歳さんの若い頃と入れ替わったような錯覚すらある。
「あのまま……ってわけにはいかないよね?」
「いくらなんでも、それは駄目だろう」
仮にも一国の王だ。
それなのに、その扱いはない。
「仕方ない。起こすか」
栞がそう腕まくりをして言ったが……。
「いや、寝かせておいてやれ」
ここ数日、国王陛下は本当に忙しそうにしていたのだ。
恐らく、睡眠時間は短かったことだろう。
それならば、少しぐらいは休んで欲しいと思う。
だから、オレは寝台を出すことにしたのだが……。
「……なんで、寝台を持ち歩いているの?」
栞はどこか呆れたようにそう問いかけてくる。
「オレはコンテナハウスも持ち歩くような男だが?」
「いや、そうなんだけど……」
生活必需品を持ち歩くのは基本だろう。
寝台が生活必需品になるかどうかはともかく、栞はよく意識を飛ばす。
それが分かっているのだから、事前に寝台を準備しておくのは護衛の務めだと思っている。
尤も、使う機会は少ない。
栞がぶっ倒れることが多いのは、部屋の寝台の傍だったり、寝台を出すことを躊躇うような屋外だったりするから。
「まあ、このまま床に眠らせるよりはマシか」
栞は観念するかのようにそう言った。
寝台を出して、そこに国王陛下を乗せる。
この国一番の立場にある方が、わざわざ城の地下にある飾り気のない殺風景な部屋で寝ることとなった。
なんとも、シュールな絵面だ。
だが、そんな光景も、情報国家の国王陛下辺りが知れば、大喜びしそうだとも思うのは何故だろうか。
「兄貴も寝るか?」
「断る」
断られた。
当然か。
「雄也は何の魔法を使われたの?」
「麻痺魔法だ」
オレも食らったが、兄貴ほど効果がなかったのだろう。
術者である陛下が眠った今、身体が重い程度になっている。
「麻痺魔法……。それで、さっき二人とも倒れていたのか」
栞は考え込む。
「麻痺魔法って普通はどうすれば治る?」
「ほっとけば治る」
「おおう」
この世界には麻痺を即座に治す「蛾の粉」や「銀色の針」、「万能な薬」などはない。
素直に魔法の効果が完全に切れるまで待つ方が良いだろう。
「陛下の意識は既に眠りに落ちているから、多分、そう時間はかからん」
実際、オレは身体を動かせるほどにはなっている。
「でも陛下の魔法だよね? 効果時間は長い可能性はない?」
「使い手が意識を落としても効果のある魔法なんて、そう多くねえよ」
「そうなのか」
魔法は使い手の意識の塊だ。
だから、その意識が消えれば、魔法は消える。
それが通説である。
特に現代魔法はその傾向が強い。
だから、そのために長時間、結界を張りたい時などは、魔石や魔法具などの補助に頼ることが多くなる。
魔法を使った人間が寝ていても効果が持続するというような魔法を使う規格外は目の前で首を傾げている女ぐらいだ。
栞は、あの「音を聞く島」で、何日も温室を作り上げてしまった。
その間に何度もそこで寝起きしていたとも聞いている、
オレも栞から「聖女の守護」と呼ばれる身体強化を施され、それがかなり長時間、しかも、それなりの距離を離れたというのに、その効果は持続していた。
栞の魔法は基本的にオレと同じように古代魔法が基本であるようだが、それでもその効果時間は驚異的だ。
一週間前、陛下が驚くはずだよ。
意識を落としたのに、そのまま栞がこの部屋に魔法で出した豪雨の勢いは、止まらなかったのだから。
オレの主人はどこまで、手の届かない存在になっていくんだろうな。
麻痺治療の「銀色の針」が一番、分かりにくいかもしれませんね。
朱雀のネタと同シリーズのRPGです。
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