眠れない夜
オレにとっては、徹夜が続くこと自体は初めての経験ではない。
幼い頃からいろいろな理由があって、徹夜せざるを得ない状況は何度もあったのだ。
それも人間界へ行くことになった5歳以前から。
人間より体力はあるとはいえ、魔界人も睡眠は勿論必要とする。
体力や魔法力を回復するのは食事から栄養を摂取するよりも眠って身体を休める方が効果は高いのも確かだ。
だが、危険を回避するためには仕方ないとは思う。
だからオレは、簡易住居に背中を預けながら、昨日と同じように座っていたんだが……。
「……で、なんでお前がここにいるんだ?」
目の前にいる黒髪の女に声をかける。
「眠れないんだよ」
オレの問いかけに悪びれる風でもなく、そいつはそう答えた。
「嘘吐け。あれだけ歩いてんだ。女の足で疲れないはずがないだろ」
少なくとも、人間界でもここまで歩くことはなかっただろう。
これだけの距離だ。
交通機関を利用するのが普通だと思う。
「疲れているのは確かだけど、眠れないのもホントだよ」
それは、明らかな強がりだった。
今だって疲労の色は見えるし、日中も途中の休憩のたびに、軽く意識を飛ばしかけている人間の台詞とは思えない。
「じゃあ、布団で身体だけでも休めとけ。それだけでも随分、違うはずだ」
「眠りたいのに眠れないってイライラするんだよね」
どうやら素直に部屋に戻ってくれる気はないらしい。
だからと言って、無理に部屋に押し込めても意味がないのは分かる。
「少しの間だけだからな。気が済んだら戻れよ」
「うん」
そう言って心底嬉しそうに女は笑った。
どうも、この女とはどこか合わない。
自分のペースを乱されるというか、人の話を聞いてくれないというか……。
でも、この女が人の話を聞かないのは今に始まったことではない。
その辺は諦めて別の手段を探すしかないのだろう。
「野生動物……、魔獣とやらの対策に火でも焚いてるかと思ってた」
「逆効果だ」
「逆効果?」
彼女はオレの言葉にきょとんとした表情を返す。
「街道から外れたら、火の怖さを知っている魔獣ばかりじゃない。火の熱さや怖さを知らなければ、好奇心の強い動物には、闇の中を光っているってだけで、逆に呼び寄せることもある。火に慣れている魔獣だっているからな」
魔獣の中には火属性の魔法を使うものもいる。
この大陸は風属性の魔獣の方が多いが、全くいないわけではないだろう。
「そうなんだ……。人間界とは違うんだね」
「言っとくけど、人間界も同じだぞ」
「ほへ?」
「野生動物が火を怖がるのは、その火だけではなく、それらを扱う人間の怖さを知っているからだ。好奇心が強い動物には意味がない。ヒグマとかには全く効果がねえぞ。飼い猫がガスこんろに寄っていく話も聞いたことはないか?」
「え? そうなの?」
彼女は目を丸くする。
どうやら知らなかったらしい。
動物たちは火を怖がる生き物ばかりではない。
本当に本能で恐怖を感じているなら、サーカスで火の輪をくぐるなどの芸を仕込むこともできないだろう。
「それに、さすがに兵たちも森の中にある不自然な明かりを見逃してくれるほど鈍いとは思えないんだよな。魔界には人間界ほどあちこちに照明がないから、少しの光でも不自然に目立ってしまう」
「確かに城下から出たら明かりは少なくなったね」
この場は、簡易住居があるから、仄かな明かりでオレたち二人の姿は互いに見ることができる。
ここは、住居の結界の範囲内だからだ。
しかし、少しでも離れてしまうと、この僅かな光すら見えなくなってしまうことだろう。
「でも、街道はもうちょっとだけ明かりがあった気がするんだけど……」
「街道によるとは思うが、この大陸の主要な通りは人が通る時に光るはずだ」
「おお! ハイテクだ! ……あれ? ハイテク?」
そう言いながら、首を捻った。
魔界で「ハイテクノロジー」という、科学的なイメージが伴う言葉に違和感があったらしい。
「高等技術なのは間違いないな。大気魔気を利用した機械国家による魔法技術らしいからな」
「魔法技術……。機械国家って凄いんだね。人間界では仲が悪かった科学と魔法が、仲良くなってるよ」
「魔界には魔法を使えない人間たちも少なからずいる。そんな人間たちでも使えるものの開発をしてくれる国もあるんだよ。……っていうか、お前は何を勉強してきた?」
少なくとも、城下にいた時はかなり本を開いていた気がするのだが……?
「名前とか、国の歴史とか……? 基本的にセントポーリアに関することが多かった気がする。この国の王が即位する前からの主だった動向とかもあったかな」
「……気のせいか、偏りすぎてないか?」
国の歴史とか、小難しいモノは、オレはさらっとしかやってない気がする。
それ以上に詰め込むものが多かったんだ。
「文字を学ぶことが優先だったからね」
「……わけ、わかんねえな」
「雄也先輩が勉強しやすいのから渡してくれたはずなんだけど……」
それならば、オレには分からない意味があるのだろう。
少し、考えてみたけど、やっぱり分からんままだった。
「ところで……、雄也先輩と連絡は取ったの?」
「いや……、今は兄貴もいろいろと忙しいだろうからな。用があれば向こうから連絡してくるだろうし、緊急時以外はこちらから連絡しないようにしている」
「そっか……」
どことなく淋しそうな呟き。
それはいつもの彼女とは違う気がした。
オレが知る限り、この「高田 栞」という女は、のほほんとしていて、いつも笑っているような印象を受ける。
だが、その外面に反して、かなり頑固でもあり、自分の考えを簡単に曲げようとしない厄介な部分を持ち合わせていた。
だから……だろうか?
今の表情は彼女らしくない気がしたのだ。
「何?」
それでも、オレの視線に気が付いて顔を上げたのは、いつもの彼女だった。
「疲れたか?」
疲れていないはずはない。
実際、すぐに足取りが重くなっている姿を見ているのだ。
「そりゃね」
誤魔化しもせず、彼女は笑う。
「いや~、ここまで何キロぐらい歩いた?」
「主観的だが……。30……いや、35キロぐらいか?」
正確に測ったわけではないのではっきりと断言はできない。
「参勤交代の大名みたいだ……」
……なんだ?
その知識。
そして、それが本当なら、彼女は人間の少女にしてはかなり歩いている計算になるだろう。
参勤交代は……、鍛えられた侍……、青年男性ばかりのはずだから。
「昨日から歩き通しの割に、進んではいないがな」
「……主にわたしのせいですね?」
「誰もそんなことは言ってないだろ? 否定はしないけど」
「それは言ってるのと同じだと思うよ」
「細かいこと気にするな。お前の体力が少ないのはオレも分かっている。水尾さんが貴族の割に体力があるのは助かった」
あの人も歩き慣れてはいないはずなのに、水尾さんは笑顔のままオレと同じ速度で歩くことができる。
これは本当に助かることだった。
さらに一部を除いて我が儘も言わない。
同行者としては悪くないのだ。
まあ、その一部があの人の問題がある部分でもあるのだが。
「……魔界人の体力がおかしいんだよ」
「そう思うなら少しでも休んでくれ。明日もすぐくたばるなら本気で背負子を使うぞ」
「まだ、引っ張るの? そのネタ……」
「……お前が素直に休まないからだろうが」
「…………」
彼女は何か言いたそうな顔をして、少しだけ口を膨らませたけど……、結局何も言わずに黙った。
そんな所も珍しい。
いつもはもっと言いたい放題、遠慮なく言っているのに。
「雄也先輩は、いつ頃合流する予定?」
また、兄貴の話題だった。
「事後処理もあるだろうからな。すぐには追いつけないと思う」
「そっか……」
少し寂しそうに呟く。
実は兄貴に会えないのがつらい……とか?
いやいや、城下でも兄貴はほとんど家の方にも顔を出してねえぞ?
「千歳さんを、城に送って終わりってわけじゃ……」
そこまで言ってオレはようやく、あることに気づいたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




