案内人
「おや」
わたしが開口一番に言ったのはその言葉であった。
そのすぐ傍にはかなり不機嫌な九十九。
一頻り騒いだ後ではあるが、彼がスッキリした様子はない。
勿論、九十九は有能な護衛だ。
大声を上げる前に、その原因となったモノを中に引き入れた後、扉を閉めることも忘れなかった。
ある意味、余裕があるだろう。
さて、九十九が大声を上げることになったその要因だが……。
「我が敬愛する国王陛下よりお声掛けを頂き、参上しました。これより陛下の元へとご案内させていただきますので、急ぎご準備ください」
そう笑顔でわたしと九十九に話しかける黒髪の御仁である。
「待てこら」
「何故、お前如きに待つ必要がある?」
九十九の言葉に、黒髪の御仁はいつものように答えた。
「オレは客。兄貴は案内人だよな?」
「違うな。俺は案内人だが、お前は主人のオマケだ」
つまり、案内人に選ばれたのは雄也さんだったのだ。
「それでは、ご案内、よろしくお願いします」
「承知しました」
「お前も即、適応しているんじゃねえ!!」
「いや、知っている人の方が安心じゃない?」
考えてみれば、この上なく適任である。
わたしたちの事情も国王陛下の現状も理解し、この城で動き回っても問題にならない人だ。
「でも、水尾先輩や真央先輩の方は大丈夫なんですか?」
わたしとしてはそこが気になった。
雄也さんはトルクスタン王子から、彼女たちの護衛を依頼されていたのだ。
そして、トルクスタン王子はまだ戻ってきていないと思う。
それなのに、あの二人を置いて、ここに来ても大丈夫なのだろうか?
まあ、普通の魔法がまだ使えない真央先輩はともかく、水尾先輩に関しては、あまり心配はしていないのだけど、それでも絶対に大丈夫だとは言えない。
その油断があの島での出来事だったわけだからね。
「彼女たちも、ずっと俺に見張られているのは嫌だと言っていたよ」
ああ、言いそうだ。
特に水尾先輩。
護衛というのはどうしても、近くにいることになる。
私室で大人しくしているなら自由にさせてもらえても、外出ではその気配を感じることだろう。
特にわたしよりも他者の気配に敏感な二人だ。
外出するたびに雄也さんの気配が近くにあるのは落ち着かないとは思う。
わたしはもう慣れた。
空気のようなものだと諦めたとも言う。
どこにいても、九十九の気配が分かってしまうのなら、目に見える場所にいてくれた方が良いからね。
「それで、週に一度ほど、夜間限定で、彼女たちに別の場所に宿泊してもらうことにしたんだよ」
「別の場所?」
「あのリプテラの町の管理者宅かな」
笑顔のまま、さらりと言うが……。
「それって、領主屋敷のようなものですよね?」
「そうだね。二人の知り合いの屋敷だと聞いているよ」
水尾先輩と真央先輩の知り合い。
それは、町の管理者のことだろうか?
それとも、その夫人のことだろうか?
「まあ、少なくとも、アリッサムの王族たちを害することができない場所であることは確かかな」
「なるほど」
「ただ、まあ、幼い子がいる場所なので、長居はできない。だから、週に一夜だけだね」
あ~、確かに管理者のお子様がいらっしゃるね。
確かにずっとお邪魔はできないとは思うけど……。
「羨ましい」
思わずそう口にしていた。
「「え?」」
雄也さんだけでなく、九十九も何故かわたしの言葉に疑問の言葉を浮かべたらしい。
「あのふにゃふにゃな生き物を一晩、愛でられるって幸せなことだと思うのです」
たった一度だけの抱っこ。
それでも、今もこの手に残るふにゃふにゃ感。
寝ぼけまなこも、ふにゃりと笑った顔も、頼りない手足も、小さな指も、柔らかくも温かい身体も、単語になっていない言葉も声も、その全てが愛らしい存在。
「本当に子ども好きなんだね」
雄也さんは困ったように笑い……。
「いや、宿泊しても、流石に赤ん坊と同じ場所で一晩過ごすってことはないと思うぞ、多分」
九十九は呆れたようにそう言った。
「そっか。残念」
「お前の頭の方が残念だ」
「酷いっ!!」
自分でもそう思うけど、はっきりと言われたら傷付くよ?
「それで、二人は準備できたかな?」
「はい」
「準備ってほどのことはねえよ」
九十九の言う通り、服を変える必要もない。
「では、これを……」
雄也さんが小瓶を二つ取り出して、わたしと九十九に手渡した。
「これは?」
九十九が小瓶を揺らすと、小瓶に入った液体がゆっくりと揺れる。
「10分ほど姿を消す効果のある薬だ」
「それなら、案内はいらなくねえか?」
「阿呆。自然現象だけで扉の開閉が起こりえる可能性がどれだけ低いと思うのだ?」
確かにこの部屋の扉も、それ以外の扉も、姿を消した状態で開閉すれば不自然になるだろう。
そのために雄也さんが来てくれたらしい。
それだけのために来てくれたことは、申し訳ない気分にもなるけど。
「それだけのために呼ばれたのか?」
九十九もそこが気になったのだろう。
雄也さんに確認している。
「まさか。俺は単純に定期報告に来ただけだ。そのついでに、仕事して行けと言われて終わったのが、今だな」
「まだあったのか!?」
わたしたちも結構、仕事をしたと思ったけれど、まだ仕事が残っていたらしい。
「俺が定期報告に来るから、俺の分は確保されていたと聞いている」
「……」
「おおう」
先に選別されていたのか。
そして、既にそれを終わらせてきた、と。
一体、どれくらい前からこの国に来ていたのでしょうか?
先ほど週に一夜と言っていたから、少なくとも日が暮れてからではあるのだろう。
だが、九十九だけでなく、わたしにも容赦も遠慮もなくお仕事を大量に下さった国王陛下のことだ。
その量は決して、少なくはなかったと推測する。
「約束の刻限には間に合ったからので問題はない」
あの大量の書類仕事を終わらせた後、九十九とわたしに対して迎えを部屋へ寄越す時間が告げられていた。
もしかして、雄也さんの仕事量を計算した上での時間指定だとしたら、それはそれで恐ろしいものを感じる。
「この薬の出どころは?」
「トルクだが?」
「…………」
あ、九十九が閉口した。
そして、口元に手を当て、思案する。
「オレが先に飲む」
「当然だな」
そう言いながら、九十九は躊躇なく小瓶の蓋を開け、流し込んだ。
「うぐっ!?」
そんな一瞬の呻き声だけを漏らし、九十九の姿が消えていく。
相変わらずの即効性。
この世界の薬の効果ってこういうところが怖いよね。
「お味は?」
「不味い。少し待て。甘味を出す」
九十九に確認すると、声だけが聞こえた。
先ほどの声は、美味しくなかったせいのようだ。
まあ、トルクスタン王子の薬はその効果はともかく、ほとんどの薬が不味いから仕方ない。
だが、一時期よくお世話になったカフェオレ色した気配と姿を丸一日消す薬ほどではないらしい。
アレは飲んだ瞬間、九十九の絶叫が響き渡ったぐらいだから。
「お前は姿を消しているだろう。時間がないから、俺が渡す」
雄也さんがそう言って、ピンクなお菓子……、マカロンっぽいものを出した。
「ありがとうございます」
そう言って、わたしも薬を口にした。
「ふぐぅっ!?」
覚悟はしていたけど、苦みと渋さを合わせ、独特な香りが競うように舌と鼻を刺激し、はっきり言わずとも、かなり不味い。
姿は消えたようだが、口から味は消えない。
だから、素直に雄也さんから渡されたお菓子を口に含むと、ほろりと溶けるような甘さが口に広がり、先ほどの味を上書きしていく。
「アックォリィエ様からの差し入れだよ。『シオちゃん先輩』にもお持ち帰りください、と」
雄也さんの言葉に、思わず噴くかと思った。
そして、雄也さんの口から「シオちゃん先輩」って言葉をきく違和感が酷い。
「その菓子、なんか変なものが入ってるんじゃねえだろうな?」
九十九は警戒するが……。
「客人に出された皿から、取り分けられたから大丈夫だ」
「毒見は?」
「その双子の客人が先に食べたのを確認している」
それって、魔法国家の王女殿下たちのことですよね!?
それを毒見扱いしないでください!!
いや、今更、あの人がわたしを害するとは思っていないけれど、それでも、いろいろと複雑な気分になってしまう。
「念のため、俺も先に頂いたから大丈夫だよ」
「普通はそっちを先に言うよな?」
姿はなくても、呆れたような九十九の声。
「それより、先を急ごう。時間があまりない」
雄也さんに手を差し出される。
どうやら、エスコートの申し出らしいが……。
「今は男装中ですが?」
しかも姿が消えている状態。
それなのに、手を差し出された意味が分からない。
「姿は関係なく、大事な主人だからね。俺にキミを護らせてくれるかい?」
それって、それだけこの城が危険ってことでしょうか?
「それでは……」
そう言いながら、右手を差し出すと、何故か、左手が掴まれた感触がした。
「……あの?」
「念のためだ」
どうやら、姿を消した九十九がわたしの左手を掴んだらしい。
でも、姿が消えているのに、よくわたしの手の場所が分かったなと感心もする。
「そっか」
改めて、雄也さんの手に自分の右手を重ねると、微かに雄也さんが笑った気がした。
しかし、この状況って、わたしと九十九の姿が見えていたら、また捉えられた宇宙人の図だよね?
そう思いながらも、城の広い通路を三人で足早に歩くことになったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




