七色の炎
「……魔界人の体力って底なしなの?」
わたしは思わずそう言っていた。
少なくとも、九十九も水尾先輩も疲れている様子はない。
「いや、ちゃんと限界はあるぞ」
「底なしだったら、私が倒れていた理由には結びつかんだろう?」
背後から水尾先輩の声がする。
「確かに……」
言われてみれば、確かに水尾先輩は暫く目を覚まさなかったね。
「あの時の私は魔法力がすっからかんになったことも倒れた原因の一つではあるんだろうけどな」
「未だに魔法力と魔力と魔気? の区別がつかないんですが……」
なんとなく、なんとなくなら分かってきた気はするが、魔界人の会話を聞き続けているとごっちゃになってしまうのだ。
「前にも言ったが、魔法力は魔法の使用回数と思えばほぼ間違いないな。魔法を使用するたびにガンガン減っていく。勿論、使う魔法の大きさでその数も変わっていくんだが……」
一度、説明してくれたことではあるけれど、九十九は特に嫌そうな顔もせずに答えてくれる。
「魔力というのは魔法の力の大きさや範囲、効果を決めるものと考えれば良い。同じ基本魔法でも魔力の強さでその威力や自由度を変えることもできる」
「「自由度? 」」
水尾先輩の言葉にわたしと九十九が同時に問い返す。
「……魔界の知識がない高田はともかく、少年がそこに反応するとは思わなかった。魔法って言うのはその当人が抱いているイメージに左右されやすい。同じ『火』という単語をとっても、万人が全く同じものを想像するはずはないだろう?」
確かに「火」にもいろいろあるとは思うけど……。
「でも、火ってそんなに意見が分かれますか? 大きさはともかく、色もそんなに種類があるとは思えないのですが……」
その辺りがよく分からない。
火ならその大きさや温度……、それ以外なら個数ぐらい?
「現実では、色や形状、温度で分かれるのは当然だが……、魔法はそこに多少のアレンジを加えることもできるんだ」
「「へ~」」
またもわたしと九十九が同時に返答する。
「……少年?」
水尾先輩が眉を顰める。
「いや、その……、オレも魔界での生活が短いというか、魔法に関しては兄が教えてくれたことしか知らないんで……」
そう言えば、九十九は10年間、一度も帰らずに人間界で暮らしていたのだ。
知識があっても、わたしと大差はないのかもしれない。
いや、それはおかしい。
それなら、何故、彼は魔界で料理ができるのだ?
「勉強不足を兄のせいにするなよ。学ぶ意思さえあればどこでも勉強できるのが魔界人の魔法だぞ」
「はい……」
水尾先輩はちょっときつめの言葉を九十九に言った。
魔法国家という国にいた以上、魔法に関して半端なのは許せないことなのかもしれない。
「知らないなら、あれこれ言うより見た方が早いな。少年、気配遮断の結界は張れるか?」
水尾先輩は九十九に「結界」とやらの確認をする。
「10分程度なら……」
「その中で魔法の制限は?」
「制限は完全にかけないか、一部の魔法だけ有効とすることはできます」
「範囲は?」
「測ったことはないですが、最大で半径4、50メートルくらいかと」
「……へえ、思ったよりでかいな。それならば直径で5メートルぐらいに絞って、できる限り魔法制限をかけない気配遮断結界は可能か?」
そんなに細かく指定ができるのか。
確かに自由度が高いかもしれない。
「……はい」
そう返事をしながら、九十九は地面に右手をつく。
そして、その直後、微かに髪や服が揺れる……というか、震える程度の空気の動きがあった。
「へえ~。綺麗だな、これ」
水尾先輩は髪を押さえながら周囲を見てそう言ったが、わたしには何も見えない。
「属性は風。少年を中心として範囲約6.2メートル……っと、円じゃなくて、変形六角形。有効魔法は火、風、光、水。転移系は無効。治癒能力向上……。精神系、補助系は種類によりそうだ。基は治癒補助の結界だな」
そう、すらすらと口にする水尾先輩。
「細かく分析されちゃってるみたいだよ?」
「魔法国家ってこれが普通なのか?」
手をついた状態の九十九が驚いているところをみると、先ほどの水尾先輩の言葉にそれほどの誤りがないようだ。
九十九が屈んだ状態から身体を起こさないのは、わたしには見えない結界を維持しているんだろう。
「では、火の多様性を教授してやる」
そう言って、水尾先輩は空間に向かって人差し指を突き出す。
「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」
水尾先輩が低い声で呟くと同時に、その指先から次々と小さな炎が飛び出していく。
初めてまともに見る水尾先輩の魔法だったが、驚くべきはその色だった。
「七つ……いや、七色の……炎……?」
九十九もその炎たちに目を奪われたまま、呆然と呟く。
その炎は全部で七つ。
九十九の言ったとおり、それぞれ色が違う。
一般的な橙や青、それに赤や、黄色に加え、緑色や濃くて暗い青、深い青紫の全部で七色あった。
「よいしょっと!」
水尾先輩の掛け声と指の動きに合わせ、それぞれ炎が踊り始める。
最初は普通に燃えているだけだったものたちが、丸くなり、細長くなり、弧を描き、螺旋状に絡み合っていく。
そんな状態であるにも関わらず、それぞれの色は独立したまま、混ざり合おうとはしていない。
まるで、七色の糸を紡いでいくかのように自然な動きだった。
「すげぇ……」
九十九が漏らした言葉はそのまま、わたしの感想でもあった。
それ以外の言葉が見つからない。
「見逃すなよ、高田、少年」
水尾先輩はにやりと笑いながら、右の人差し指をくるんと回す。
すると、虹のような糸は解け、それぞれが再び分かれた。
しかし、先ほどのように、分かりやすい火の玉のような形には戻らず、丸い玉のような状態でふわふわと浮いている。
でも、不思議なことにそれらは球状だというのに炎であることは分かってしまう。
その玉たちの表面の動きが揺らめく炎そのものだったからだ。
ここは拍手をするべきなのだろうかと迷っていると、右手の人差し指を突き出したままの水尾先輩が、今度は左手を前に出す。
「喰らえ」
先ほど以上に低い声でそう言ったかと思うと、その前に出された手のひらから、激しい水流が放出され、瞬く間に七色の炎を消し去った。
その姿はまるで……。
「水の……、龍だと?」
呻くように出された九十九の言葉で、今、見たものがわたしの見間違いではないことを確信する。
炎でできた玉を次々と飲み込んでいく様は、空想上の生き物だとされた龍の動きにしか見えなかった。
現れた時の、ゆらりとした動きは蛇のようにしなやかではあったが、その直後の獲物を捕らえるような猛々しい流れは一般的な爬虫類が捕食する映像よりもずっと迫力があり、見ているだけでもゾクッと寒気を覚えるほどだった。
全ての玉を命令どおり喰らい尽くした龍は、ゆらゆらとプールで揺らめくような水面の動きを全身に纏い、九十九の近くで静止する。
氷像の龍とも違うその姿は、水の龍としか形容できなかった。
「さ、触ることはできますか?」
九十九は先ほどから地に右手を付けたままではあるが、手を伸ばせば届く距離にその龍は止まっている。
まるで、九十九を待っているかのように。
「ん~。少年なら大丈夫かな。魔法耐性はあるみたいだし。でも高田は、現状では止めたほうが良いか」
それって……、、この龍に触れると、多少なりとも害を与える可能性があるということではないだろうか?
わたしがそう考えていると、九十九がゆっくりと左手を差し伸ばす。
「うおっ!?」
「ど、どうしたの!?」
突然の九十九の叫びに思わず駆け寄る。
「生温い……」
「は?」
彼が言った台詞の意味を掴みかねて聞き返してしまった。
「いや、水の龍だからもっとひんやりとした感覚を想像していたんだが……。なんだろう。人肌より少し水温が低いだけで冷たさはあまりない」
「へ? ぬるいの?」
それはわたしも考えていなかった。
氷のようにとまではいかなくても、冷水であると思っていたのに。
「その前に形はともかく炎を七つも飲み込んだからな。多少は温まるのは仕方ない。氷の龍なら溶けるから外見も分かりやすく変化したと思うが、今回は水だったからな。多少蒸発したところで周囲が少し小さくなったようにしか見えないだろう」
「ああ、なるほど……」
「ずっと同じ温度を保つわけではないんですね」
説明されればそれも理解できる。
なるほど。
魔法にもルールがあるようだ。
「今回使ったのは魅せ魔法だからな。見た目の派手さで相手の度肝を抜ければ良いんだよ」
「はったりをかける時に使えそうですね」
九十九は、目の前の龍を見つめながら言う。
「虚勢を張るときより、自分の気持ちを奮い立たせる時とかに使いたいところだけどな。勢いのある魔法ってわくわくしないか? 空想上の生き物を使うと負ける気はしなくなるだろ?」
「そうか……。意識を高める……。自己暗示の効果も出るのか」
九十九はそう納得した。
「実演はこの辺で良いか?」
水尾先輩のその言葉と共に、水の龍は流れ落ち、消えてしまった。
その光景に、なんとなく物悲しい気持ちになってしまったのは、わたしだけだろうか?
足元の土に吸い込まれるように消えていった水を見て、わたしはそんなことを考えたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。