給仕
さて、この世界は料理だけでなく、茶の準備すら知識がなければできない。
料理ほど大変ではないが、時々、料理以上に面倒な茶葉もあるために、やはり知識が必要となる。
本来、他国からの客自らに茶を淹れさせる行為というのは恥ずべき話だが、近くにその心得を持つ人間がいないことが分かる。
まあ、相手が仕事の補助をさせることができるような下位の神官だと見下されている部分もあるだろうが。
だから、栞が立ち上がったその意味に気づいても、文官たちはそれを見守ることしかできない。
栞は、まず、オレと自身が使っていた茶器から冷めてしまった茶を、用意されていた瓶に零す。
横顔だと言うのに、せっかく淹れてもらったのに申し訳ないと思っている表情なのがよく分かる。
「お湯」
そして、囁くような小さな声。
それが聞こえなくても、栞はちゃんと口を動かしているため、無詠唱魔法ではなく、ちゃんと呪文詠唱魔法して出したお湯だということは分かるだろう。
だが、まさか、それを見ていた人間たちは、本来の呪文詠唱魔法とは違うものとは思うまい。
栞の指先から、茶器に少量の湯が零れない程度に勢いよく流れ落ちる。
それを見ていた周囲がざわついた。
だが、栞はそれを気にせず、作業を続けている。
緊張しているのか、その横顔はちょっと固い。
今、栞の頭の中では、「ギルドラード」の茶を淹れるための手順がぐるぐると回っていることだろう。
温水魔法、熱湯魔法にしても、この世界の水属性の魔法というのは、基本的に大量に出すことが多い。
だから、給湯場でもない場所で、茶器を濯ぐためだけの少量となれば、逆に難しかったりする。
一般的には、かなりの繊細な魔力操作が要求されるのだ。
勿論、オレや兄貴もできることではあるが、普通はそうではない。
信じられるか?
いとも簡単にそれを行った栞は、魔法を自分の意思で使えるようになって、まだ半年と経っていないんだぞ?
当人、そのことに気付かずに茶器に入れたお湯をぐるぐると回して軽く濯ごうとしているけどな。
ある程度、回して納得したのか、一度、頷いてから、そのお湯を先ほど冷めたお茶を淹れた瓶に入れる。
それから茶筒から、茶葉を取り出し……、急須に入れる。
備え付けられていた急須は毎回、取り換えられているため、空だったようだ。
そして、小さじ三杯。
書類仕事を続けながら、それとなく見ていたが、あの量なら問題ないだろう。
どこかの魔法国家の第三王女殿下は、小さじに山盛り三杯入れて、お湯を注いだら、茶葉が急須の蓋を押し上げるほどの噴出を見せた。
どうして、あの人はオレの話を聞こうとしないのだろうか?
オレの伝え方が悪いのか?
そこが、本当によく分からない。
栞は、急須を覗き込み、茶葉が動かないことを確認する。
そして、再び「お湯」と呟いた。
今度はゆっくりと急須に注がれていくお湯。
その量はちゃんと二人分。
それが、どれだけの魔力操作なのか、見ている人間にしか理解できないだろう。
だが、あれは魔力操作よりも栞の想像力の方だ。
当人はなんとなく、「これぐらいの量」、「これぐらいの勢い」とイメージしているだけである。
いや、本来は想像力でそこまでできるという証明でもあるのだが、最初に根付いた魔法の印象というのはどうしても簡単に消えるものではない。
ほとんどの人間にはそんなことができるはずはないと、さじを投げることだろう。
だが、栞は自分が考えただけで魔法は簡単に変化させられると思い込んだ。
幼い頃ではなく、分別が付くようになってから使えるようになった魔法というのは、それだけ違うものとなってしまうらしい。
単純に、それが栞だからだとも思えるが。
「お待たせしました」
栞が無事に茶を淹れ、戻ってきた。
そして、オレに茶を差し出す。
だから、オレはそのまま口に付けた。
冷めると渋くなるお茶だと分かっていて、冷ます理由はない。
「どう?」
小さく囁かれる声。
その声にくらりとしたくなるが……。
「80点」
「ぐぬ」
合格ラインではあるが、まだ甘いので誤魔化さない。
「蒸らし時間を後、数秒我慢しろ。淹れるのが少しだけ早い」
「数秒か~」
栞はそう言いながらも、自分も口を付ける。
それは、ちゃんと教育を受けた人間の仕草だ。
この部分については、「聖女の卵」のためと称して、栞に指導をしたどこかの法力国家の王女殿下の教育の賜物だろう。
まあ、そう言いながら、栞と茶を呑む理由を増やしたかっただけだろうが。
「ぐぬ……。この味で80点は甘かったんじゃないかな」
自己評価の低いやつだな。
「この茶は飲める」
少なくとも、水尾さんの時のように、茶葉が急須から逃げ出しはしていない。
「あなたは毒じゃない限り『飲める』って言うじゃないか」
それは、違うな。
オレは「毒」でも、栞が淹れてくれた茶なら飲む。
市井に出回っているような茶葉で、オレや兄貴を殺せるような変化を起こしそうな茶は今のところ存在しないが、一時的な呼吸困難などを齎すような「毒」に変化するようなものはある。
それでも、栞が淹れてくれたような茶なら、オレや兄貴は笑顔で口にするだろう。
「これなら、他の人間も飲める」
「そうかな~?」
音もたてずに栞は上品に茶を飲んでいる。
その姿はどう見ても、貴族のそれで、下位の神官には見えなかった。
まあ、神官の中には貴族としての教養を持っている人間も少なくはない。
神官は法力の才があって、本人やその保護者の意思があれば神導を受けることができるのだ。
特にお偉いさんには家の事情とかそういったものもある。
家督争いとか面倒な話だよな。
貴族でも家督争いに敗れた人間が法力を持っていれば、還俗を許さないと言う契約を結んだ上で、二度と戻るなと言わんばかりに聖堂へと放り込まれるのだ。
何不自由のない生活から、不自由で上司から虐げられる生活に変わるため、聖堂内でもトラブルとなりやすいそうだ。
「あと20点。精進しなきゃ」
「まあ、頑張れ」
遮音石の効果が働いているから周囲に声は聞こえないだろうが、互いに笑みを浮かべながらの会話である。
だから、何も知らなければ、仕事の合間の優雅な茶会に見えるだろう。
茶菓子をこの場で出せないことが悔やまれるが、そこは仕方ない。
寛ぐための時間ではなく、喉を潤すための時間だからな。
まあ、オレは十分、気を緩ませてもらっているが。
書類に向き合ってばかりだったから、口調と表情があってなくても、いつもと違う顔立ちでも、栞との普通の会話は癒されるのだ。
「あと、どれぐらい仕事すれば良いのかな?」
茶器を横に置きながら、栞はそう言った。
「国王陛下の顔がもう少し見えやすくなるまでじゃねえか?」
「……まだ先か」
栞は困ったように笑った。
国王陛下の机には、文官たちの手によって、相変わらず次々と書類が追加されていく。
書類のビルの間から視線は感じるが、その全貌は見えない。
千歳さんは机の向きからその姿を見ることはできるが、ビルの高さは似たようなものだ。
まるで嫌がらせのような量だが、実際、他の王族たちからの嫌がらせも入っている気がする。
これに懲りたら、面倒な改革路線は止めて、これまで通り何も考えず書類に押印するだけの無能な国王たちと同じように政を行えということだろう。
陛下からすれば、嫌がらせをするような暇があれば、お前たちも手伝えと言いたいだろうな。
そんな状況で、陛下たちを差し置いて呑気に会話しながら書類仕事をやっているオレたちの方がおかしいかもしれないが、そこは一応、部外者である。
オレたちが、その全てを助けることはできないと、その点については観念していただきたい。
だから、簡易的な公文書の翻訳の間に、契約関係のような重要書類をどさくさ紛れに忍ばさないで欲しい。
他国との外交問題に頭を悩ませるのは、この国の人間だけで十分だ。
「あなたは楽しそうだね」
再び、書類を手にした栞が笑った。
「おお」
だから、オレもそれに応える。
「すっげえ、楽しい」
栞と一緒に同じ仕事ができる機会って、そうないからな。
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