価値
「ああ、ありがとうと言えば、さっきの告白。胸が震えたっぽいのはホントだよ」
「あ?」
すっかり、その姿は白い霧に包まれて、霧を薄っすらと色付けているだけの存在となっているが、それでも、声だけは妙にはっきりと聞こえてくる。
どれだけ、心が強い女なのか?
そして、今回はやけにしつこいな。
いつもなら、用が済んだとばかりにとっとと消えてくれるのに。
「だから、さっきの愛の告白は、『高田栞』本人に言ってあげて?」
「馬鹿言え。さっきの言葉は夢だから言えたんだ」
目が覚めれば、全て忘れてくれることを知っている。
魂に伝えたと言っても、夢の中での出来事など、すぐに消えてしまうだろう。
何より、本人を前にして言えるはずがない。
この女は、俺のことなど完全に忘れた。
そして、この女には、好かれる要素など全くないのだ。
「そうかな? あなたがそのかっこつけた仮面を外して年相応の素顔を見せたら、『高田栞』ならば、絶対揺らぐよ」
あの女は甘いからな。
だが、それを当人の顔した人間が言ってしまうのはどうかとも思う。
情に訴えれば、簡単に落ちるチョロい女ってことだよな?
「阿呆。それこそできない相談だ」
だから、俺は笑った。
この女の言いたいことは分からなくはない。
目の前の存在は、これまでの全てを覚えている。
シオリのことも、高田栞のことも。
だからこそ、今の俺に対して思うところもあるのだろう。
「矜持をなくせば、男は終わりだ」
あのイカれた国で生き残るには、虚勢を張ってでも、偽りで自分を固めてでも、「強く傲慢で扱いづらい王子」でいなければならない。
「男って、そういうところはちっちゃいよね」
「お前が言うなよ」
目の前にいる自分よりもずっと小柄な女が呆れたように言う。
そして、そんなことは自分が一番分かってるんだよ。
「いっそ、国を捨てれば良いのに」
「お前にも譲れないものがあるように、俺もあの国を守らなければならない理由があるんだ」
あんな父親が支配していても。
国の法など驕慢に満ちたものであっても。
世界中から敵と見なされても。
惚れた女を手に入れられなくても。
「つまりは、アナタにとって、『高田栞』には、そこまでの価値がないってことだね?」
「…………」
咄嗟のことで、俺はその質問に答えることができなかった。
いや、その答えを持っていなかった。
「おや? 意外。肯定でも否定でも、即答されるかと思ったのに」
「国と女を秤にかけて即答できるかよ」
まだ余裕が戻らずに、そんな憎まれ口をたたくことしかできない。
「まあ、『高田栞』は『傾国の美女』ってタイプではないからね」
確かにお世辞にも美女とは言えない。
普通よりは可愛いとは思うが、誰もが振り返るような美貌や、男を狂わせる妖艶な色気とは程遠い。
だが、厄介なことに傾国の素質は十分すぎるほど持っている。
いや、傾国という可愛いものではない。
俺が知る「高田栞」という女は、この世界を動かす力を既に握り始めている。
あの占術師の話では、既にアリッサムを含めた中心国の王族たちと交流を持っていることに今更ながら気付かされた。
これまで気にしていなかったが、ウォルダンテ大陸中心国である弓術国家ローダンセの王族についても心当たりはある。
それ以外の王族たちも、その存在を一度認識したら、意識せざるを得ないほど強く光り輝く存在。
それが一定の管理下にあるとはいえ、ほぼ野放しにされているのは不思議だった。
それだけ、あの護衛どもの存在が大きいのだろう。
「でも、わたしの護衛たちは即答できると思うよ」
そして、このタイミングでその言葉。
堂々とした声から、護衛どもから愛されていることを確信するような強さと慢心が見え隠れしている。
俺の立場からは、その確信に満ちた声に苛立ちを覚えるしかない。
「ヤツらとは背負っているものが違う」
「そりゃそうだ」
俺の言葉に黒髪の女は苦笑したのが分かった。
「あなたが護るのは、失えば二度と取り戻すことができない古代文明だもんね」
「なっ!?」
思わぬ言葉に、今度こそ分かりやすいほどみっともなくも動揺してしまった。
「今となっては、その大陸にしか存在しない古文書も、遺物も多い……、だっけ?」
「そうか。昔の俺はそんなことまで言っていたのか」
自分はもうあの時話したことのほとんど覚えていないのだが、今よりも随分、口が軽かったらしい。
そして、そんなことを話したのも、俺は忘れていたのか。
「うん。シオリにも切り替わったからかな。思い出したよ。本当のアナタは、幼かったワタシにいっぱい話してくれたね」
「それはどうも」
今となっては話せないことも多いだろう。
本来なら、機密となっていることも、王族とはいえ、3つのガキにその分別は付かなかったらしい。
いや、あの娘にだから、話したこともあったかもしれない。
―――― 聖女の血を引く、聖女によく似た女。
たった3年しか生きていないガキの心に浸透していくことは容易く、そのために、消すしかなかった。
王に見つかる前に、あの出会いをなかったことにするしかなかったのだ。
「まあ、『高田栞』がアナタにとって、迷うほどの存在になったことはワタシにとっても喜ばしいことだね」
「その顔で言うなよ」
既に顔など見えていない。
それでも、声だけでどんな表情をしているのかは分かる。
「言わせてよ。ワタシにとっては、初めての友人なんだからさ」
「……おお」
そう言えば、そんなことを昔、言ってたな。
その直後にあの護衛兄弟とも出会うのだが。
「まあ、そんなワタシからすれば、その気取った顔は、違和感の塊でしかないのだけど」
言われてみれば、今回、一度も俺の名を呼んでいない。
それだけ、シオリと高田栞の記憶が乖離しているということだろう。
完全に混ざり切ってはいないようだ。
「いつか、『高田栞』にも見せてよ」
「俺が死ぬ瞬間に見せてやる」
だから、最期まで男の矜持は守らせてくれ。
「『高田栞』は死なせないって言ってるよ」
「あの女は傲慢だからな。神にすら逆らえると本気で信じている」
そんなこと、できるはずもない。
大神官からいろいろ学んでいるこの「聖女」が、そんなことにも気付かないはずがないのに。
知れば知るほど、強大で不遜な存在。
そんなモノに逆らうのは愚かの極みでしかない。
「だが、魂は違うだろ?」
「まあね」
誤魔化しもせずに声は応えた。
「これまでにいろいろあったし学んだから、神からは逃げきれないとは思っているけど、とある世界には『諦めたらそこで試合終了』って言葉もあるんだよね」
「名言だな」
確かにそれは当然だ。
だが、それは人間界のルールであり、諦めるしかない現実というのも存在する。
「でも、最初の友人が教えてくれたんだよね。『運命の女神は勇者に味方する』ってさ」
「おお、それも名言だろ?」
「うん」
そのことは覚えている。
確かに俺はその昔、シオリに「運命の女神は勇者に味方する」という言葉を教えた。
あまりにも後ろ向きなことばかり口にするあの娘に、少しでも活路を見出させたかったから。
この世界でその言葉を昔、口にしたのは「大いなる災い」を封印した聖女だと言われている。
それが元となって、法力国家ストレリチアが特殊な結界を創り出した……とも。
尤も、今の法力国家ストレリチアでは使うことはできまい。
使える条件が限定的で、それを使えそうな存在は、現在ただ一人しかいない上、その結界を記した書物は既に、あの国にはないのだからな。
だが、歴史を紐解けば、さらに古い書物にその言葉を書き記した聖女もいたらしい。
フレイミアム大陸の祖にして、「救いの神子」の一人、火の神子「アルズヴェール=ヒカリ=フレイミアム」。
その神子は何故か、出身大陸言語であるはずのフレイミアム大陸言語や他の神子たちが書いたような神子文字でその言葉を残さなかったという。
その書物は法力国家ストレリチアが厳重に管理しているために、流石に俺がその現物を見たことはないが、その昔、大神官を務めたことがあるらしい俺の祖先がそんな記録を残している。
「同じ言葉を、さらに『高田栞』にも伝えた人がいるらしいよ」
「……そうか」
それについても心当たりがある。
だが、この場でそれを口にする気はなかった。
その代わりに……。
「『高田栞』は、そいつにとって、それを伝えたくなるほど『勇気ある者』だったってことだろ?」
そう苦笑するしかなかった。
この話で97章が終わります。
次話から第98章「過去から得るもの」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




