意外
「お前は神にでもなったつもりか? 理想だけで全てを救えると思うなよ?」
いつもよりも低く冷たさを覚えるその声に、確かな怒りを感じる。
「思ってないよ」
理想だけで救えるものなどないなんて、そんなことは分かっている。
そして、この人は、わたし以上にその現状を理解して、そして、思い悩んでいることも。
彼の国ミラージュは、国王至上主義。
だから、その息子であり、王族である彼ですらも軽んじられているところがあることもその言動の端々から感じられる。
そして、意外にも、彼の考え方は、そこまで人の道から外れてはいないのだ。
少なくとも、わたしにも理解できなくもないものが多い。
だから、それだけに、彼自身が国と自分の感情の方向性の違いに思い悩むこともあると信じている。
「ああ、だが、偶然、お前たちが流れ着いたおかげで、スヴィエートは番いに会えたらしいな」
「え?」
「まだ年若い精霊族だ。その先は気になっていた。まだ適齢期に入るには時間を要するかと思っていたが、番いと結ばれたようで良かった」
そう言えば「紫の王子」という言葉を口にしていたのはスヴィエートさんだった。
「しかし、その相手があの時、お前が連れ出した長耳族だったとはな」
そして、あの迷いの森でリヒトと会った時にいたのもこの人だった。
「感謝する」
「ほげ?」
さらに意外な言葉を言われて、頭を軽く下げられた。
「か、感謝?」
感謝ってあれですよね?
ありがとうとか、ありがたいとかそんな言葉。
「俺が礼を言うのはそんなに意外か?」
「他人のことで言うとは思っていなかった」
自分のことなら言う気がする。
意外と素直なところはあるから。
でも、まさか、人のために頭を下げることができるとは思ってもいなかった。
「まあな。だが、スヴィエートは俺が名付けとなった。だから、それなりに情はある」
さらに意外な事実が判明。
でも……。
「え? スヴィエートさんって結構、年上じゃないっけ?」
精霊族の年齢は見た目とは違う。
あの少年に見えていたリヒトだって、かなりの年齢だったはずだ。
それでも、精霊族たちの中ではかなり若いとも聞いているけど。
「あの島で名前のある方が少ない。俺の名を教えたら、自分も欲しがったから付けてやった」
そして、経緯は思った以上に軽いものでもあった。
でも、あのスヴィエートさんを思い出せば、妙に想像できてしまう。
「意味はあるの?」
不思議な音の名前だと思った。
だから、もしかしたらどこかの国の言葉なのかもしれないと思っていたのだ。
「ウォルダンテ大陸言語で『光』」
そして、案の定、意味はあったらしい。
しかも……。
「リヒトもスカルウォーク大陸言語で『光』って意味じゃなかったっけ?」
「そうだな。偶然だ」
「それって、もう運命だよね?」
なんで、その名を選んだのか分からないけれど、少なくとも、「光」を意味する名前を持つ者同士が出会って、結ばれるなんて、偶然にしては……いや?
「ライトもライファス大陸言語で『光』じゃないっけ?」
スヴィエートの名は、自分の名前から発想したのかな?
「俺の名はそっちじゃねえ。お前は『L』と『R』の違いも分からんのか?」
「ああ、つまりは。右翼手?」
日本人には「light」も「right」も同じように聞こえるのは仕方ない!!
「なんで、よりによってその訳を選んだ? 綴りは正しいが、他にも意味はあるはずだが?」
「元ソフトボール部だから?」
「言いたいことは分かるけどな」
苦笑はされたものの、それでも、彼は、頭ごなしに怒らなかった。
そっか。
わたしが知る「ライト」は、「正しい」人だったのか。
それで、いろいろ生き辛い立場になったのかな?
もっと国に染まることができれば、この人も楽だっただろう。
そうなっていれば、わたしはこんな風に暢気にはしていないだろうけど。
国の事情も、他国の事情もいろいろ考えちゃうから、わたしの知らない所で思い悩んじゃうんだろうな。
ただ、「right」には「是正」とか「改善」、「償い」って意味もあったはずだ。
彼がその通りに生きることができるように祈りたいとは思う。
「でも、ダーミタージュ大陸言語ではないんだね?」
ダーミタージュ大陸言語を知っているわけではないけれど、話を聞く限りライファス大陸言語よりな気がする。
「別に発音が近いってだけで、俺の名前もライファス大陸言語というわけでもない。そもそも、出身大陸言語の意味から名付けるという文化もこの世界ではあまり考えられてないな」
「おや、そうなの?」
「出身大陸が割れるような言葉を使ってどうするんだよ?」
「いや、ダーミタージュ大陸言語を知る方が少ないと思うよ?」
「それでも、お前の母親のような人間もいる」
ああ、そう言えば、あの会合でもそんなことを言っていたね。
「母は、どうやって、ダーミタージュ大陸言語を学んだんだろう?」
情報国家の国王陛下すら苦笑するようなものだ。
「古文書が残っていれば学べなくはないが、お前の母親なら別視点から言語を得た可能性はある」
「ほえ?」
「この世界の大陸言語は、人間界の言語に似通った部分はある」
「ああ、ライファス大陸言語は人間界でいう英語にそっくりだよね」
それ以外の言葉はちょっと自信がない。
そもそも、人間界でごく普通の中学生やっていた人間なのだ。
自国語と英語以外の言語を知っている方が珍しいと思う。
「人間界から外国語の教本を数種類持ち込めば良い。該当する言語さえ分かれば、後はその教本通りだ」
つまり、ダーミタージュ大陸言語も、人間界にある言語と似たようなものがあるってことか。
そして……。
「母はどれだけの準備をしてこの世界に来たんだろうね」
「知らん。お前の護衛たちに聞け」
もし、彼の言う通りなら、かなりの準備をしてこの世界に来たことになる。
確かに、この世界に来た直後の母は、部屋からほとんど出なかった。
あの時は、雄也さんが持ち込んだ書物と向き合っていると説明されていたが、それは、この世界のものではなく、人間界の書物だったのかもしれない。
雄也さんなら、収納魔法を使える。
この世界に来る時は手ぶらに見えても、実は大量に人間界の物を持ち込んでいた可能性が高い。
グランドピアノすら持ち込んでいるんだもんね。
それを知っていれば、わたしも人間界からいろいろと持ち込んで……、そこまで考えて、自分の財産など、大量の漫画しかなかったことに気付く。
流石に、彼らの魔力を使ってそれはないだろう。
どれだけ厚かましいのかという話だ。
「お前は昔から本当に母親のことが好きだな」
この人がいう「昔」というのが、どの時代を指しているのかは分からないけれど……。
「まあ、命懸けで産んで育ててくれたし、愛情もいっぱい与えられたからね」
少なくとも、どの年代のわたしもそう言うと思っている。
人間界にいた時は、まさか、あの母にここまでいろいろなドラマがあったとは思っていなかった。
いや、父親がいないって時点で、それなりにドラマはあると思っていたけれど、まさか、神とか魔法とか、異世界とかそんなファンタジーな物語がこれでもかと詰め込まれているなんて思うはずもないよね?
「せいぜい、大事にしてやれ」
「そんなこと、あなたに言われるまでもないよ」
わたしはそう言って笑った。
誰から言われなくても、それだけは昔から変わらない。
離れていても、ちょっと人とはズレていても、謎が多くても、あの母は、わたしにとって唯一であり、とても大事な存在なのだ。
子は親を選べないし、親も子を選ぶことはできない。
だけど、もし、生まれ変わるようなことがあっても、わたしはまたあの人の娘でいたいと思っている。
「大事にしたいと思える親がいるだけ、お前は恵まれている」
「そうだね」
この紅い髪の青年は父親のことについては、語ることが多い。
そしてその言葉のほとんどは負の感情を孕んでいる。
だが、母親について語ることはない。
その理由を尋ねたこともないし、尋ねようとも思わないけど、いずれにしても彼は、自分の両親を大事にしたいと思えないのだろう。
「わたしもそう思っている」
自分がどれだけ恵まれているのか。
どれだけ愛されてきたか。
自分が年を重ねるほど、それを実感していく。
それは本当に幸せなことだ。
「「あ……」」
ふと互いの声が重なった。
周囲の霧が濃くなり、互いの姿が見えにくくなったからだ。
わたしの目覚めが近くなったのだろう。
もうじき、この不思議な世界にいられなくなる。
「そろそろ時間だな」
「そうだね」
結局、彼が何しに現れたのかはよく分からないままだ。
でも、これは夢。
目が覚めれば、忘れてしまう一時の幻。
「俺がここに来た本当の理由だが……」
「およ?」
ここにきて、どこか躊躇いがちではあるが、ようやく語ってくれるらしい。
「俺は、『高田栞』を愛している」
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