偶々
「お前と話していると本当に調子を狂わされて困る」
紅い髪の青年は、そう言いながら、肩を落とした。
「わたしにそんな意図はないのだけど……」
でも、彼だけではなく、他の人間からも同じように言われているのだから、わたしは無意識に他人の調子を狂わせる能力が備わっているのだろう。
「逆に意図的なら、ここまで狂わせられない」
「そうなの?」
「天然がサイキョウってことだな」
そう言いながら、紅い髪の青年は皮肉気な笑みを見せる。
その場合、「最強」なのか、「最恐」なのか、「最凶」なのか、「最狂」なのか、分からない。
いずれにしても、褒められた感はなかった。
「それで、結局のところ、あなたは何しに来たの? キャッチボール相手の確認だけってことはないでしょう?」
わざわざ、魔法を使ってわたしの夢に入ってきたのだ。
それは、周囲に魔力の気配が残るということでもある。
それなりにリスクを冒す以上、明確な目的はあるだろう。
「情報国家の色欲とお前が、よりにもよってセントポーリア城下にいれば、警戒するのは当然だろう。お前たちが番うと確実に次世代が手強くなるからな」
「番っ!?」
言いたいことは分かるけど、もっと別の言葉はなかっただろうか?
婚姻とか、それ以外にもあるよね?
「ああ、処女には言葉が過ぎたか。だが、それだけ女癖が悪い」
「そんなに情報国家の王子殿下は品行が悪いのか」
この人の言葉をいちいち気にしたら負けだと思う。
だけど、顔に出さないのが精いっぱいだ。
「アレは下半身が緩いというんだ」
分かりやすいけれど、もっと別の言葉は……(以下略)。
「あの男の子だけは孕むなよ?」
「今のところ、その予定はないな」
そもそも、情報国家の王子殿下にお会いする予定がない。
まあ、まだ誰とも婚姻の予定はないけど。
「男は女の都合なんか知らん。隙を見せたら、食われると思え」
「ご忠告、痛み入ります」
そんな殿方ばかりじゃないと思うけどね。
九十九や雄也さんなんて、そんな気配が全くない。
「しかし、あの島からセントポーリア城下とはかなりの路線変更だな」
紅い髪の青年はそう言いながら、わたしの目を見た。
わたしはそれで思い出す。
「ああ、忘れるところだった」
「あ?」
「水尾先輩を護ってくれたんだってね。ありがとう」
そう言いながら、深々とお辞儀をした。
ダーミタージュ大陸やミラージュの礼は知らない。
だから、日本式の礼だ。
彼なら、それで伝わるだろう。
「…………あれは……、偶々だ」
何故か、面食らったような反応をされた。
「偶々でも、水尾先輩を助けて、護ってくれたのは事実でしょう? あなたの気まぐれが、わたしの大事な先輩を守ってくれた。それだけで、わたしが御礼を言うに値すると思うよ」
水尾先輩の話では本当に危険な目に遭いかけたらしい。
それが寸前で助かったのは、目の前にいるこの人のおかげだとも。
「アリッサムの王女殿下を攫ったのは、俺の手の者だ。しかも、お前も危険な目に遭いかけたと聞いた。それでも、礼を言うのか?」
わたしも危険な目に?
ああ、確かにあの島で怖い思いをしたのは事実だ。
だけど……。
「ミラージュの国王の命令だったと聞いている。それを黙認に近い形であるあなたに全く罪がないとは言わないけれど、それでも、水尾先輩を助けてくれたのは事実だよ」
国王の命令に逆らえるはずがない。
この紅い髪の青年が王族であっても、結局のところ、父親の方がいろいろな力が上なのだ。
でも、この彼は昔から自分にできる範囲で、なんとかしようとしている。
それを、ワタシは知っているのだ。
全てを救うことはできない。
だけど、国王に反旗を翻さない程度の反意を見せることで周囲を牽制し、国王以外の人間たちの専横を減らそうとはしている。
それが、焼け石に水だと分かっていても。
「はっ!! 相変わらず、平和な思考だな」
「その思考が少しでも、あなたの調子を狂わせることができるならば、重畳ってやつじゃない?」
わたしがそう言うと、彼はさらに目を丸くした。
「随分、傲慢な考え方になったものだな。お前の言葉で、俺が変わるとでも?」
傲慢と言えば、そうかもしれない。
「ゼロではないでしょう?」
少なくとも、出会った頃の印象とはかなり違う。
もともと、この紅い髪の青年の素が完全なる悪人でもないってことだったのだろうけど、その素を今のわたしに見せるようになっただけでも、十分な変化だろう。
「おめでたいやつだ。脳内にお花畑でも咲いているんじゃないか?」
「ちょうちょまで飛んでいるかもよ?」
わたしがそう返すと、クッと笑われた。
「本当に調子を狂わせる女だ」
その顔は、少しだけ穏やかに見える。
そのことにほっとした。
最後に会ったこの紅い髪の青年はどこか、自棄になっているような荒んだ印象があったからだ。
あれも夢の中での話だったし、雄也さんをおびき出す意図もあったのだろうけど。
「ああ、セントポーリア城下に行く前にリプテラって町にも行ったよ」
「リプテラ? あの無駄に悪趣味が炸裂した街か?」
「悪趣味って……」
でも、言わんとすることは分かる。
確かに、いろいろな人の趣味を反映したような街だった。
区画分けをしていなければ、とんでもないことになっていただろう。
観光地としては、見どころがいろいろあるのだから楽しいのだけど、住むには適さないと思う。
「嫌な思いもしただろう?」
「いや? 面白かったよ」
「? 会わなかったのか?」
「会う? 誰に……?」
そう言いかけて、あの町で会った人間を思い出す。
「ああ! 会った!!」
確かに衝撃的な出会いがあったのだ。
「すっごい、可愛い赤ちゃんに会ったよ!!」
「あ?」
あのふにゃふにゃ具合は、会って、抱っこをした人間にしか分からない魅力があった。
「そこの町の領主? 町長さん? みたいな立ち位置にいる人の息子さんでね。シオンくんって言う名前の子」
「シオン? シガルパス=テグス=リプテルアの長男、シオン=アスタラス=リプテルアのことか?」
「ああ、なんかそんな名前だった」
サードネームが町の名前である「リプテラ」じゃないんだなとも思った。
「つまり、あの女にも会ったんだな?」
彼が何を言いたいのかは分かっていた。
だから、あえて、わたしはシオンくんの名前の方を出したのだ。
「あなたは、どこまで人間界のわたしを調べていたんだろうね」
そうでなければ、辻褄が合わないことも多い。
人間界にいた頃のわたしは、本当に周囲に対して、必要以上に関心を持っていなかったんだなと思う。
だけど、普通、思わないじゃない?
3歳ぐらいに出会った男の子が、わたしからその記憶を消した上で、気付かれないようにストーキングしているなんて。
「あなたが言う『あの女』が誰を指すのか分からないけれど、シオンくんの母親であるアックォリィエさまにはお会いしたよ」
「許したのか?」
本当に、どこまで知っているのだろう?
だけど、彼は勘違いしている。
「許すも何も、あの方からは何もされていないからね」
人間界で、不快な思いをしたのかと言われたら、確かにそうなのかもしれない。
当人も自分の感情表現は歪んでいると理解していたと言っていた。
でも、当時のわたしは傷付いたといえるほどのことはない。
そこまでの興味関心を彼女に持てなかったのだ。
周囲は、彼女の行動は、後輩としてあり得ないものだと言っていたけれど、個性の範囲だろうと考えていたぐらいだし。
そして、その裏にあったかなり激しい感情を知った後のわたしも、その位置づけとしては、部活の後輩というよりも、シオンくんの母親としての感覚の方が強くなってしまった。
確かに彼女は「シオちゃん先輩」と今も呼んでくれる。
それでも、わたしは彼女に特別な感情は持てなかった。
「アックォリィエさまは、あの町の管理者の奥さんで、シオンくんの母親。それ以上は何も思わないかな」
それでも、自分を認めてくれたという点においては、素直に喜んでも良いのかなというぐらいの感情はある。
あれだけ、当時の、ごく普通の中学生でしかなかった自分を認めて褒めてくれた人はそういないから。
「お前が傷付かなかったのなら、それでいい」
まるで身内のような口ぶりで、紅い髪の青年はそう言った。
その姿にあの時、近くにいてくれた黒髪の青年が重なる。
そうだね。
あの再会が、誰も近くにいなくて、たった一人の時だったら、どうなっていたのだろうか?
そんな考えても仕方のないことが、頭に浮かんだのだった。
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