相子
「うぐぐぐぐ……」
わたしはミタマレイルの花に囲まれて、力尽きていた。
流石にない。
あれはない。
分かっていても、退けなかった。
だって、退けば認めることになる。
退けない以上、前進あるのみだったのだ。
その結果、九十九の前で伏している。
「あ~、うん。いろいろオレが悪い……んだろうな」
九十九が何か言っている。
「悪かったよ。お前にまで恥ずかしい思いをさせたみたいで」
「全くだよ!!」
ミタマレイルの花に埋もれながら、そう叫んだ。
「あなたの顔は良いって何度も言ったのに、あなたが認めないから……」
割と恥ずかしい言葉を思いっきり叫ぶ羽目になったのだ。
「いや、オレは自分の顔が良いとはあまり思っていないんだから仕方ねえだろ?」
「なんで?」
ここまで言ってもまだ納得しないのは何故なのか?
わたしはこんなにも恥ずかしい思いをしているというのに。
「なんでって……。そう言われたことがなかったからだな」
「あなたの周りは見る眼がない」
「おいこら」
「わたしはあなたの顔は良いと思っているよ」
わたしはそう言いながら、身体を起こす。
ミタマレイルの花がその勢いで揺れた。
「何も言わない周囲より、わたしの言葉は信じられない?」
そう言って、九十九を見た。
九十九の目が見開いたのが分かる。
青くて吸い込まれそうな綺麗な瞳。
でも、本当の彼の瞳は黒くて、もっと綺麗なことをわたしは知っている。
「あ~、でも、誤解しないで欲しいんだけど、これが男性として好きとかとはちょっと違うんだよ?」
「あ?」
九十九が怪訝な顔をする。
「あなただって、顔が綺麗な女性だから好きになるってわけじゃないでしょう?」
「それはそうだけど……」
「顔が良い殿方なんて、困ったことに、この世界にはいっぱいいるからね。顔が良いってだけで、いちいち惚れていたら、わたしはかなり恋多き女になってしまうよ」
だから、線は引く。
この感情は恋愛とは違う、と。
九十九の顔が良いことは認める。
だけど、それは恋愛感情からきたものじゃないと。
わたしの嘘を見抜く眼を持つ彼なら、今の言葉の真意も分かるでしょう?
「まあ、確かに普通は顔だけで惚れることはねえな」
「でしょう?」
顔の良さなんて判断基準の一つでしかない。
でも、まあ、見た目は大事だとも思うけど。
「そっか……。オレの顔は悪くないのか」
「少なくとも、普通よりは良いと思うよ」
そこで調子に乗られても困るけど、九十九はそんなタイプじゃない。
「まあ、千歳さんが褒めてくれるぐらいだからな」
なぬ?
「母が、なんと?」
「さっき言った『美丈夫』とか、『魅力的』とか……」
間違っていない。
だが、なんとなく、複雑になるのは何故だろう?
「他には、あ……」
九十九が何かに気づいて口に手をやった。
いや、これは何かを思い出した?
「何?」
「いや、なんでもない」
そう言って、顔を逸らされる。
しかも、やや耳が紅い。
母よ、九十九に何を言った?
この反応だと、相当、九十九が照れるようなことを言ったよね?
気になる!
でも、気にしていると思われたくない!!
暫く、奇妙な時間が続く。
この沈黙、なんとかして!!
「あのさ」
「な、何?」
「お前も気付いていないかもしれないけど、その、お前の顔も可愛いよ」
「ふごっ!?」
は、鼻から女性としてあり得ない物がいろいろ噴出されそうになった。
思わず、再び、花の中に突っ伏す。
ああ、さっきの九十九の気持ちがよく分かる。
これは湖に顔を突っ込みたくなるほど恥ずかしい。
「これで、お相子だな」
頭上から、九十九のそんな声が聞こえた。
「そ、そうだね」
これは互いに恋愛感情じゃない。
それに九十九に対しては「顔が良い」って万人向けの褒め言葉だったけど、わたしは「可愛い」だ。
整っていると言われたわけではない。
小さかったり、丸かったり、ちまちましていたり、小動物みたいだったりするだけで、そんな印象を抱ける。
「可愛い」って言葉はそれだけ便利な言葉なのだ。
それでも、九十九から言われたのは素直に嬉しい。
いつものように揶揄ったわけではなく、「顔が可愛い」と言ってくれたのは多分、初めてのことで。
それだけのことなのに、顔から火が噴き出そうになる。
今回は、九十九が素直に認めなかった結果、わたしに恥をかかせてしまったからそのお詫びに……という他意はある。
だが、九十九はわたしに嘘は言わない。
少なくともわたしは彼から「顔は可愛い」と思われているのだ。
それは、日頃、異性扱いされることが少ない自分にとっては凄く嬉しいことなのだった。
****
「あなたの顔が良いから、わたしはあなたの絵を描きたいっていつも言ってるの!!」
顔を真っ赤にして、勢いよくそう言ってくれた彼女に対して、誰に責めることができるのだろうか?
栞の言葉に嘘はない。
本気でそう言ってくれた。
それを嬉しく思わないはずがない。
だけど、直後、さらに顔を赤くして、突っ伏してしまった。
その顔をさらに見たいと思ってしまうオレの性格は悪いのだろうか?
愛を告げられたわけではない。
だが、それに近い言葉を貰えた気がしたのだ。
このまま、倒れている彼女を抱き寄せたい。
それでも、それは許されない。
「うぐぐぐぐ……」
栞は光の花に囲まれて、これは歯噛みをしているのだろう。
「あ~、うん。いろいろオレが悪い……んだろうな」
本人も言うつもりはない言葉まで言わせてしまった感が強い。
「悪かったよ。お前にまで恥ずかしい思いをさせたみたいで」
「全くだよ!!」
ミタマレイルの花に埋もれながら、栞はそう叫んだ。
「あなたの顔は良いって何度も言ったのに、あなたが認めないから……」
「いや、オレは自分の顔が良いとはあまり思っていないんだから仕方ねえだろ?」
あそこまで言われても、まだピンと来ないのだ。
栞が顔を真っ赤にしてまで叫んでくれたのにな。
「なんで?」
「なんでって……。そう言われたことがなかったからだな」
正直、男友達には「いい男」と揶揄われることはあった。
来島とかもそうだったしな。
だが、異性から「顔が良い」と言われた覚えはない。
ああ、ミラはそんなことを言っていた気がするが、あれは状況的にちょっと違うと思っている。
本当の意味で異性から「顔が良い」と褒められたのは、多分、今日の千歳さんが初めてだった。
いや、「美丈夫」って微妙に古い言い回しとは思うけど。
「あなたの周りは見る眼がない」
「おいこら」
どさくさに紛れて人の周囲を落とすな。
そう言いかけて……。
「わたしはあなたの顔は良いと思っているよ」
身体を起こしながら、栞がそう言ったから、オレは息と言葉を呑むしかなかった。
ミタマレイルの花がその勢いで揺れる。
「何も言わない周囲より、わたしの言葉は信じられない?」
さらに強い瞳を向けられた。
いつもの黒い瞳ではないのに、それがオレの心を強く揺さぶる。
これで、落ちない男などいるのか?
そして、オレはどこまで深く落とされるんだ?
「あ~、でも、誤解しないで欲しいんだけど、これが男性として好きとかとはちょっと違うんだよ?」
「あ?」
栞の声と表情がいつもの調子に戻る。
どうやら、夢の時間は終わったらしい。
「あなただって、顔が綺麗な女性だから好きになるってわけじゃないでしょう?」
「それはそうだけど……」
確かに顔が綺麗だっていうのなら、水尾さんや真央さんはかなり整っていると思う。
だけど、栞ほど感情を揺さぶられない。
オレは彼女の言葉に、こんなにも振り回されているのに。
「顔が良い殿方なんて、困ったことに、この世界にはいっぱいいるからね。顔が良いってだけで、いちいち惚れていたら、わたしはかなり恋多き女になってしまうよ」
ちょっとムカついた。
確かに男のオレの目から見ても顔の良い男は栞の周りに溢れている。
だけど、その中の誰も栞は選んでいない。
兄貴でさえも選ばれない。
栞が、顔だけで惚れないという証拠だ。
まあ、顔を赤らめていることは多いけどな。
「まあ、確かに普通は顔だけで惚れることはねえな」
「でしょう?」
顔だけで惚れていたら、いや、顔も込みで惚れる気がする。
少なくとも、オレは栞の顔も好きだから。
「そっか……。オレの顔は悪くないのか」
「少なくとも、普通よりは良いと思うよ」
「まあ、千歳さんが褒めてくれるぐらいだからな」
自分では良いとは思えないが、この母娘が言うなら、普通よりはマシなのだろう。
身内の欲目というやつかもしれないが。
「母が、なんと?」
「さっき言った『美丈夫』とか、『魅力的』とか……。他には、あ……」
もう一つの言葉も思い出して、思わず自分の口に手をやった。
―――― 御使者殿のお顔は、かなり私の娘の好みだと思うのですが
このタイミングで思い出してはいけない台詞だった。
そして、それを当人に確認もできない言葉でもある。
そこで、当人に認められても嫌だ。
明らかに、オレに男性として好きというわけではないと言っているのに。
「何?」
「いや、なんでもない」
思わず、露骨に顔を背けてしまった。
マズい。
変に思われただろう。
栞もそれ以上、追求してこない。
暫く、重い沈黙が続く。
だが、ずっとこのままにはできない。
栞は、オレの顔が良いと言ってくれた。
その発言は、恋愛感情からではなくても、彼女にとっては恥ずかしい言葉だったというのは理解できる。
それなら……。
「あのさ」
「な、何?」
ふと顔を上げた栞は……。
「お前も気付いていないかもしれないけど、その、お前の顔も可愛いよ」
「ふごっ!?」
オレの言葉で、かなり残念な反応を見せた。
……。
…………。
………………。
いや、別にそんな姿も可愛いから構わないけど。
「これで、お相子だな」
オレがそう言うと……。
「そ、そうだね」
栞も慌てて同意する。
互いの言葉に嘘はない。
だから、オレは満足だ。
少しずつ、少しずつ、伝えていく。
その全ては伝わらなくても。
想うことは許されている。
少しなら伝えることもできる。
だから……。
―――― オレはこのままで良いんですよ
そう心配性の生母と乳母に向かって思うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




