邂逅
「おや? 見知らぬ人間がいるようじゃな」
オレと千歳さんが、セントポーリア城内の通路を歩いている時に、その場で、そんな声が響き渡った。
この声には覚えがあった。
オレたちの近くに誰かが近付いてきているのは分かっていたが、それが、まさかこの女だとは思っていなかったが。
だが、それらについて深く考えるよりも先に、千歳さんとオレは、互いにセントポーリアの礼を取る。
これはもはや、反射の域だろう。
それほどまでに、この声の主の身分は高いのだ。
ガキの頃に聴いたものとほとんど変わらない声。
相手は何故か、気配を消す魔法具を身に着けている気がするが、それでも、完全にその気配を消しきっていない。
オレが魔法を使わないでも、その気配に気づくことができる程度のモノだ。
だが、何故、こんな所に現れた?
しかも、何故、今、オレたちに声を掛ける?
この通路は、西の塔にある。
そして、ここを使うのは、基本的にこの城に住む人間たちの中でも身分が高くない者たちが行き来する場所だ。
具体的には、女中、従僕などを含めた雑務をこなす使用人たち。
料理人、下男、庭師とかもここに含まれる。
身分が高くない使用人たちは、基本的にあちこちで扱き使われるために忙しい。
人間界……、日本ならば労働基準法違反となるような勤務時間も珍しくないのだ。
だから、そんな人間たちが寝るだけの場所となるようなこの西の塔の通路に人が通る時間帯は限られている。
上級使用人となる侍女や執事以上の人間たちならば、貴族出身が多いために南の塔に住むことを許可され、一日の間で休息をとることもできるそうだ。
だが、これは差別ではなく、区別である。
兄貴が言うには、貴人たちが住む南の塔と、王族たちが住む北の塔には、身体から漏れ出している体内魔気を無駄なく回収するため魔石がいくつ設置されているという話だ。
そのために、魔力の強い人間たちは、できるだけそこで過ごしてくれた方が都合も良いらしい。
そして、本来、この西の塔には貴人が訪れることはほとんどない。
身分の低い人間たちの住む場所に、好き好んで来るような物好きなどいないと言うことだ。
そのため、できるだけ、余計な人間に会わないようにとこの通路を選んだはずだが、それが裏目に出たことはよく分かった。
オレは特にこの女には会いたくなかったのだから。
「陛下への客人か?」
だが、オレも千歳さんもその声には答えない。
そもそも、誰に対しての問いかけかも分からないのだ。
恐らく、オレのことだとは思うが、その質問に答えようとは思わなかった。
「そこの者。直答を許す。私の質問に答えよ」
主語を言え、主語を。
この場には二人いるのだ。
単純に「そこの者」という言葉で、普通は反応しない。
せめて、性別を言え。
千歳さんを無視したい気持ちは分かっているが、他国の、それも初対面の人間にその常識は通じない。
オレは今、大神官の遣いとして来ているのだ。
この国の常識など知らん。
「畏れながら……」
パァンッと、高く、激しい音がした。
「ああ、ここは、西の塔だったか。道理で羽虫が煩いわけじゃな」
千歳さんが何か言いかけたのを、声の主は断ち切る。
先ほどの音も、何かを叩いたらしいが、少しだけ距離があるし、顔を下げているために何をしたかは分からない。
オレよりも少し後ろにいるため、千歳さんが叩かれたわけではないことは分かる。
流石にそれを許す気はないが。
だが、相変わらずだな、この女。
そして、あの当時、分からなかった侮蔑の言葉も今ならよく分かる。
千歳さんのことを虫扱いしている上、同時に、西の塔で生活している人間たちのことも貶めている。
さて、どうしたものか?
個人的には無視したまま、千歳さんを連れて立ち去りたいところだが、そうなると、千歳さんの立場が悪くなるだろう。
それはオレの望むところではないし、兄貴も後で煩そうだ。
だが、この声に応じるのも、大神官の遣いとしてはどうなのか?
少し考えて……。
「畏れながら、私に御声を掛けてくださったのでしょうか?」
無難な返答をすることにした。
勿論、顔は上げない。
「そうじゃ。面を上げよ」
武士かよ。
違う、面を見せろってか。
へいへい、仰せのままにっと。
ゆっくりと顔を上げると、くすんだ青紫色の瞳をした、橙色の髪を高く結い上げた女が黒い扇を手に立っているのが見えた。
あの頃と何も変わっていない。
顔も、声も、姿も、その忌々しい態度すら。
オレたちから、少し離れた場所に立つ女の名は、「トリア=ニュオ=セントポーリア」。
この国の国王陛下の正妃と呼ばれる立場にあり、この国、唯一の王子を産んだ女とされている。
状況から、先ほどの音は、その手に持っている扇で、何かを叩いた音だったようだ。
その向かった先が千歳さんじゃないのなら、何も問題はない。
無視をすることはできても、流石に名前が知られ始めた彼女に対して、余所者のオレの目の前で、何かをするほど考え無しではなかったようだ。
だが、オレを見た女のその目は、何故か、驚愕に見開かれていた。
「まさか、シェフィルレート王子……?」
何に驚いたのか、その理由は分かったが……。
違ぇ!!
あの色狂い王子と一緒にすんな!!
そう叫びたかった。
「いいえ、私はそのような名ではありません」
できるだけ、引き攣らないように笑みを形作る。
「違うのか?」
「はい。御心に添えず大変申し訳ございません」
オレがそう答えると、扇で口元を隠していても、嗤ったのがよく分かった。
何故、笑う?
そんなに面白い言葉を使った覚えはねえぞ?
「もう一度、問う。そこの者、陛下の客人か?」
「敬愛すべき大神官猊下の命により、風の大陸神のご加護を受けた貴き御方よりお言葉を賜る機会を頂戴いたしました」
「大神官……?」
その片眉がピクリと動く。
この様子だと、大神官に対して、苦手意識か、嫌悪感があるようだな。
どちらにしても、良い感情を抱いていないことは間違いない。
相性は悪そうだからな。
あの大神官には、多額な金も、豪奢な品も、美辞麗句を散りばめた甘言も、数多の女の色香も、王族という立場による強要も、暴力による脅しすら、一切通じない。
従わせる手段がない相手はやりにくいだろう。
「ああ、神の狗か」
そう来たか。
高貴な人間は、神官たちを侮蔑する傾向にあると聞いたが、この女にとっては大神官と呼ばれる地位にある者すらその扱いらしい。
まあ、どこまで本気か分からんけどな。
実際、どの国も正神官以上の神官がいなければ、神事と呼ばれる節目の重要な儀式が行えなくなる。
一般市民にとって、神官が関わる儀式は、「命名の儀」と「婚儀」、そして、「葬送の儀」だ。
それ以外でよく耳にする「生誕の儀」、「成人の儀」は一般的には神事の扱いではないため、特に神官は必要ない。
だが、王族ともなれば、神事となる儀式に関わる機会が増える。
特に「即位の儀」は、国の一大事だ。
中心国に限らず、どの国も「即位の儀」は大神官の立ち合いが必要となるし、それ以外の王族の各儀式も、高神官以上が行うことになるが、高神官は七段階ある上、大神官という圧倒的な知名度に比べれば、格の違いは明らかだ。
つまり、各国の王族であっても蔑ろにできないのが、大神官という存在なのである。
そんな状況にも関わらず、その当人の遣いの前でその言葉とは、聞きしに勝るというやつだな。
まあ、見知らぬオレを見下したいだけなのかもしれないが、仮にも陛下に内謁を許されるような相手を愚弄することは、それを認めた陛下自身も貶めていることになると思わないのか?
これが、フリじゃなければ、相当のナニかだな。
そして、兄貴が言うように……。
「ならば、命ずる」
ん?
何の話だ?
「神の狗の遣いよ。今の主人を捨て、私に仕えぬか?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




