茶番
さて、セントポーリア城である。
堂々と城門を通り、守護兵に対して、陛下の署名が入った証明書を見せるのは、まだ二回しかない。
前回は、栞を迎えに来た時だった。
何故か、かなり昔のことのような気がするが、実際は一年と経っていない。
昔は城内に住んでいたので、こんな証明書などは必要なかった。
今回は特に髪と瞳の色まで変えているので、余計に必要となるものだ。
因みに、栞がこの城に来た時は、千歳さんの臨時の侍女として、栞はこの城に入り込んでいる。
凄くドキドキしたとは当時の当人の言葉だった。
「陛下より、話は伺っております。お通りください」
城の人間だと言うのに、そこまで偉そうにはしない。
前回、来た時もそう思った。
千歳さんの話では、王の周囲を護る近衛兵はともかく、城や城下を警護する役目の守護兵は、身分が高くない人間も多く、物腰も丁寧な者たちを中心に選んでいるそうだ。
客を向かい入れる場所の城門や城下の困りごとを相談する相手が近寄りがたいと気が引けるから……、らしい。
女性らしい気遣いと発想だと思う。
実際、昨日、城下を見て回った時に、何人か守護兵を見かけたが、近寄りがたさは感じられなかった。
だが、隙は少なく、余所者に対する視線もやや鋭いものが混じっていた。
その目が合ったことに気付いた栞が、微笑みながら軽く会釈しただけで、あっさりとその表情を和らげる辺り、男って単純だよなとは思ったが。
若宮みたいに野郎を揶揄うことに長けた女だっているのだが、この国では少ないのだろう。
守護兵に促され、そのまま城門を通り抜けると、先に、案内人と思われる者が立っていた。
「仕事はどうされました?」
挨拶もそこそこに、思わず口にしてしまったが、今回は仕方がないだろう。
「大神官猊下からの遣いに対して、礼を欠くことはできないと陛下の言です」
おっとりとした声と態度で礼をする女性。
千歳さんである。
いや、頼むから、こんな悪戯は勘弁してほしい。
対応に困る。
「ですが、陛下への謁見ではなく、内謁で良ろしかったのでしょうか?」
「はい。陛下の政務中に、お時間を取らせるわけにはまいりませんから」
謁見となればいろいろ手続きも面倒になるし、人も使う。
今回は密使に近い。
だから、大事にはせず、政務室で少し言葉を交わせれば良いと思って内謁という形にしたわけだが、まさか、千歳さんを案内人にするとは思わなかった。
「私としては、案内人も要らなかったのですが」
「そんなことはできませんから、私が参りました」
前回はなかった。
自国の城で、大神官の遣いを一人にしても、何かをするとは思われていないらしい。
もしくは、案内人を出さないことで、神官という存在を下に見ているともとれる。
この城に来て、行先も分からず迷えということらしい。
陛下がそんな命をするはずがないので、恐らくは、文官たちが勝手に指示したこととは思っている。
阿呆だよな。
神官の遣いであっても、他国の人間だ。
そんな人間を蔑ろに扱った結果、自国の評判が他国でどう評価されることになるのかも分かっていない。
まあ、この国の人間はほとんど自国から出ない。
自分たちが見下している他国から、礼儀も知らないと馬鹿にされていても分からないから、何も怖くないのだ。
ある意味、最強である。
他国とのやり取りをするのは、外交担当なので、そいつらは苦労するだろうが。
尤も、これがオレのような若造が一人ではなく、大神官が神官たちを引き連れて自ら赴いてきたなら話は全く違うだろう。
明らかに身分が高くないように見える遣いが、たった一人でこっそりと来たから扱いが軽いのだ。
そんな自国の阿呆さ加減に気付いているから、千歳さんがわざわざ来てくれたのだろうけど。
「場所は分かっているかもしれませんが、ご案内させていただきますね」
「ありがとうございます」
そう言いながら、オレは手を差し出す。
「あら」
千歳さんは頬に手を当てる。
「安全とは思いますが、念のためです」
「こんなお若い方に淑女扱いされるのは光栄ですわね」
この国では女性と連れだって歩く時は、必ず、男が手を差し出すことになっている。
男が女を護るものという意識が根強いらしい。
女が弱いからという男尊女卑の考え方ではなく、女は大事にしなければならないと言う女尊男卑の方である。
別にその考え方には賛成も反対もないが、「郷に入っては郷に従え」という言葉通りの行動をとることにした。
本来、案内してくれる相手に差し出すのは逆だと思うが、そもそも、訪問客が男であるのに、女性を案内人として使う方がおかしいのだ。
「でも、私は案内人ですよ? 少なくともこの城内では必要ないのではありませんか?」
分かりやすく断りの仕草を見せる。
「私が、女性を先に歩かせて平気な男だと思われるのは心外です」
オレの答えに千歳さんが苦笑する。
「ですから、申し訳ありませんが、その手を載せていただけませんか?」
ここは外ではないが、それでも陛下の元に行くまでに、ちょっとした距離がある。
結界で護られているはずの城内で何の危険があるのかと問われる可能性はあるが、男が女のエスコートすること自体は自然な行動だろう。
「そこまで言われては、仕方ありません。陛下の元までとなりますが、僭越ながら先導いたしましょう」
そこで、ようやく千歳さんはオレの差し出した手の上に重ねてくれた。
「では、ご案内、願いします」
「承知しました」
茶番である。
我ながら芝居がかっているとは思うが、必要な寸劇だ。
若宮が居たら、この「大根役者」というぐらいに白々しくなっているのは自分でも分かっている。
でも、千歳さんもオレの意図に気づいて、その茶番に付き合ってくれたから良いと思い込むことにした。
まあ、演技の質は似たようなものだが。
千歳さんが差し出されたオレの手に、すぐに乗せようとせず、一度は断りの意思を見せたのは、周りの視線に対するものでもある。
今のオレはセントポーリアの人間として登城したわけではない。
他国の人間、それも大聖堂から派遣されているという扱いである。
つまり、千歳さんや陛下との繋がりはないのだ。
しかも、自分で言うのもあれだが、まだ若い。
本来なら、使者が若いことはあまり問題ではないため、そこまで注目されることはない。
だが、ここで国王陛下の秘書たる千歳さんのエスコートをオレがすれば、別方向の意味で注視されることになる。
どこの世界でも、下衆の勘繰りはあるのだ。
そして、彼女を蹴落としたい人間から見れば、絶好の機会だろう。
女性を貶めるなら、「出会ったばかりの若い男に媚を売る」、「初対面の若い男に色目を使う」などの噂を流すだけで良い。
だが、一度は断りの姿勢を見せているだけでも少しは違う。
やはり、噂を流したい輩には無意味だが、少しは評価が割れることになるだろう。
尤も、下手な噂を流した所で、どこかの黒髪の暗殺……、違った、密偵が暗躍する未来しか見えないが。
ただ問題は、その結果、潰すことになる対象が、噂を流すことを決定した上位者か、噂を流すために動いた使用人か、噂の原因となった愚弟に変わることはあるかもしれない。
気を付けよう。
兄貴が相手ならともかく、国王陛下なら分が悪すぎる。
そうなると分かっていて、何故、エスコートの意思を見せるのかと言えば、千歳さんに物理的に近付くためだな。
エスコートの距離なら周囲に聞こえない程度の小声での会話が可能になる。
そして、この城には覗き見する悪趣味な人間はいるが、通路の立ち話、歩き話を魔法や道具などで盗み聞きをするようなことはできないようになっているらしい。
正しくは、監視程度ならば見逃すが、盗聴だけは許さないようにしているそうだ。
特に国家機密を扱う部署ほど管理が徹底されている。
それは、どこかの国家対策……と見せかけているようだが、真実は違うだろう。
それ以外の目的では、異性に対するエスコートの意思表示は、相手に対する敬意の表れとなる。
それだけ、「貴女を重要視していますよ」ということになるそうだ。
いろいろ面倒だと思うが、仕方ない。
千歳さんの手を握るのは久しぶりで、少しだけ緊張した。
栞とは違うが、やはり苦労している手だ。
でも、優しくて温かいのは同じである。
この人が、オレの乳母をしてくれたのか。
その事実を知ったのは、つい昨日のことだ。
だが、その礼をいつ言うべきだろうか?
ずっと気付いていなかったのに。
そして、今回は、そんな私的な会話をする隙はないだろう。
通路では人の目がある。
そして、何よりこの先には、雇い主が待っているのだから。
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