約束
見られている。
最初に思ったのは、そんなことだった。
いや、見られるのはいつものことだ。
だが、いつもの視線とはちょっと違う種類のものだった。
「九十九、なんかご機嫌だね?」
ようやく、濃藍の髪の女からそう声をかけられる。
「そうか?」
「うん。妙にウキウキしている感じがする」
それを口にしている女の方が、その翡翠の瞳に好奇心を滲ませている。
自分の気分が高揚していることに心当たりはある。
夢見が良かったというやつだ。
まあ、あの夢を、普通の夢と言って良いのかは謎だが。
だから、その夢から醒めた後、すぐに行動に移してしまう程度に、熱を冷ましきらなかったことは認めよう。
だが、そんなに顔に出ていたか?
「ああ、朝ご飯が妙に美味しいからだ」
栞は少し考えて、そんな結論を口にした。
「それは、お前の気分が良いだけなんじゃねえのか?」
それはそれでオレとしては何も問題ない。
寧ろ、嬉しそうに食事をする栞を見るのは幸せな気分になる。
母親からは呆れられそうだが。
オレは自分が生まれて割とすぐに死んだという母親の夢を見た。
本当なら、ただの夢だと笑われそうな話。
もしくは、過去視と呼ばれる、自分の過去を夢に視ただけだと言われそうな話だが、オレの能力はその真逆である未来視という未来の夢を視る能力だ。
だから、あれは過去視ではないと断言できる。
何より……。
「自分自身は疲れているような感じがするんだけど……」
「昨日、あれだけ歌えばな」
そんな呑気なことを言っているこの女がその夢の遠因であるらしい。
恐らくは、昨日、栞がこの森で歌ったことによって、ここに残っていた母親の残留思念がそれに反応して、彼女の夢に現れたと思っている。
亡くなった人間が夢に現れる能力ってどんな能力なんだろうな?
そして、その夢の中に兄貴が入り込んで、たまたま近くにいたオレが巻き込まれたのだ。
しかし、疲れている……、か。
もしかしたら、故人が夢に現れると言うのは、それだけ、栞の身体に負担がかかるのかもしれない。
ちょっと気を付けておくか。
「ねえ、九十九」
「なんだよ?」
「この世界ってスポーツはないよね?」
「あ?」
突然の話題転換に、ついていけなかった。
何故、スポーツの話になるんだ?
「いや、野球みたいなものがあれば楽しいなって思って……」
「お前が好きなのはソフトボールじゃなかったのか?」
オレは野球もソフトも詳しくはないが、それらが違うぐらいは知っている。
投手が上投げか、下投げ。
それと、ソフトボール方が、球もでかかったはずだ。
「この際、類似品……、類似競技でも良いかなと」
類似競技。
そう言えば、あの「ゆめの郷」で兄貴が光球魔法で投げて、栞が打ち返すという、見たこともない奇妙な魔法勝負をしたことがあった。
あの時、かなり楽しそうにしていたな。
あんなことがしたいのか?
「キャッチボールぐらいで良ければ、オレでも付き合えるぞ」
「え?」
「小学校の時、兄貴に付き合わされた覚えがある」
投げて捕ってまた投げて捕る、を繰り返すだけの単純な運動ではあるが、基本は大事だと兄貴に付き合わされたのだ。
始めは散々ノーコン呼ばわりされたが、繰り返すうちに、相手のグローブに向けて投げるぐらいはできるようになった。
まあ、手足が伸びてからはやってないが、そう大きな変化はないだろう。
「今日は無理だが、時間があれば、湖のところでやるか? 野球用になるが」
「ふわあっ!!」
栞の大きな声よりも、その顔に驚いた。
頬が紅潮し、目も潤んで、思わず、いろいろと錯覚しそうになるような眼差しをオレに向ける。
「右利きなら、グローブもあ……」
「内野用? 外野用? 投手用? 一塁手用? 捕手用?」
さらに勢いよく顔を近づけて迫られた。
抱き締めて良いか?
駄目だな。
「お、オールラウンド用って書かれていたはずだから、全部じゃねえのか? 詳しくなくて悪いが」
「おっけ~!!」
さらに可愛らしいガッツポーズ。
ここまで興奮する栞を見るのはちょっと久しぶりだ。
「ホントに、ソフトボールが好きなんだな」
「うん!!」
栞のそんな表情を見ていると、野球にもっと興味を持っておくべきだったと少しだけ後悔する。
彼女がこの世界にスポーツがないかと聞きたくなった理由も少しだけ分かる気がした。
好きなものがないって辛いよな。
だが、野球か~。
近所のガキがやるような草野球でも複数の人間が必要だ。
今の時点ではちょっと無理だろう。
栞が王族の権限を使うか、「聖女の卵」の権限を使えば、人は集まりそうだが、その見返りを考えると得策ではない。
兄貴と対応を考えるか。
「ところで、今日は無理って、今日は何かご予定が?」
栞の方からそう切り出され……。
「ああ、ちょっと城までな」
皿を片付けながらそう答える。
「城?」
栞も皿を重ねて、オレに手渡してくれる。
別にそんなことまでやらなくても良いが、オレが断ると不満そうな顔をするから、好きにさせている。
実際、手伝ってくれると楽にはなるし、その、少し嬉しいのだ。
オレに対する気遣いも嬉しいのだが、彼女が手伝ってくれるという状況に、少し照れくさいものを感じる。
「流石に城下まで来て、陛下に全く挨拶もしないわけにはいかないだろ?」
城下まで来ていることに、気付いてはいないと思うが、顔を見せていた方が何かと役に立つだろう。
別に張り合っているわけじゃないが、いつも兄貴ばかりに挨拶を任せているのも気が引ける。
「わたしも行った方が良い?」
「いや、お前は来るな。今日はここで、休んでろ」
栞の申し出に喜びかけたが、今は駄目だ。
準備が足りない。
自分の身だけなら誤魔化すことは可能だが、栞は、自己防衛が強すぎる。
「でも……」
尚も食い下がろうとするから……。
「この場所なら、安全だ。それに通信珠もある。何より、城からこの場所なら、オレは上から飛べる」
そう続けざまに言葉を口にする。
「それはちょっと目立っちゃうんじゃないかな?」
「目立っても、オレはお前が無事なら問題はねえ」
オレがそう口にすると、大きく息を吐きながら下を向かれた。
「昨日まで城に行くって言ってなかったよね?」
さらに低い声で告げられる言葉。
さて、何と言ったものか。
「……気が変わった」
嘘は吐いていない。
ただ、夢で母親に会ったことがきっかけであったことも否定はしない。
「時間はどれぐらい?」
「陛下に仕事を押し付けられなければ、二時間もかからん。お前を待たせているって分かれば、すぐに解放されると思う」
流石に大事な娘を一人にしている状況で、仕事を手伝えとは言わないだろう。
「国王陛下にアポなし訪問って可能なの?」
オレはそこまで非常識に見えるのか?
「急ぎの面会方法を兄貴から聞いている。そして、もうアポもとった」
「仕事が早いよ」
「夜中に目が覚めて、思い立って、『伝書』したら、即、返答が来た」
まさか、即レスとは思わなかったが。
「兄貴が言うには、夜中が一番、即答されやすいそうだ」
話に聞いていたが、実際に体感すると恐ろしいものがある。
あの時間帯に即答。
陛下は何時に寝ているんだ?
睡眠時間は足りているのか?
そんな常識的な疑問がわく。
尤も、千歳さんが傍にいるのに、極端に短い睡眠時間と言うことはないだろう。
いや、千歳さんが傍にいるから、睡眠時間が短くなっているのか?
その辺りについては、深く考えてはいけない気がした。
「そんなわけで、少しだけ、留守にして良いか?」
「良いも、悪いも、既に決定事項じゃないか」
栞が呆れたようにそう言った。
「オレとしてはお前を置いて行くことに不安はあるが、この建物に侵入できるような命知らずがいるとは思えん」
栞を護ることにおいて、手を抜くことなんてできるはずがない。
「命、知らず?」
「その辺の王族なら返り討てるぞ。流石に陛下は無理だと思うが」
考えられるだけの最高の技術を使った防犯設備を設定している。
「なんで、そんな物騒なものを使っているんですかね!?」
物騒?
違うな。
必要事項だ。
「護るのも王族なんだから、当然だろ?」
「ぐっ!!」
「大丈夫だ。その最終防衛形態システムは、オレがいない時だけ動かすから」
流石にずっと動かし続けるのは不自然だ。
動力となる魔力もかなり注ぎ込む必要がある。
「なんなの!? その、微妙に心ときめいちゃう形態システム名称は!?」
「ときめくなよ。しかも、微妙なのかよ」
オレはその名称はちょっとどうかと思ったぞ?
だけど、そんな栞も可愛いから問題ない。
「ああ、でも、お前は出掛けたかったか?」
それなら、どこかで埋め合わせをする必要がある。
今回はオレの我儘に付き合ってくれているのだ。
できるだけ、栞の望みは叶えたい。
「ん~? 読みかけの本があるから、今日はまだ良いかな」
栞は首を傾げながら、へにゃりと笑ってくれた。
だが、その顔に対して、逆に罪悪感を覚えてしまうのは何故だろう?
「せっかく、他国……、いや、自国に戻って来ているのに、早々に閉じ込めて悪いな」
「いや、挨拶は必要でしょう? 本当はわたしも行った方が良いのだけど」
「お前を連れて行くには、受け入れ側に準備が足りないな、『聖女の卵』様」
今回、オレが国王陛下の挨拶に行くのも、セントポーリア国王陛下に仕える者としてではなく、聖堂の関係者として行くのだ。
その方が、城で絡まれた時に問題なく躱しやすくなる。
他国の人間との揉め事を望むヤツは少ないからな。
「あなたのことだから、大丈夫だと思うけど、気を付けて行ってきてね?」
「おお」
両手を胸の前で組んで、上目遣い。
オレでなくても、心臓を撃ち抜かれる仕草だ。
「聖女の守護はどうしよう?」
「あ~、今回は止めた方が良さそうだ」
あれは栞の気配が強く現れるものだ。
セントポーリア城に向かう以上、それは良くない。
すっげ~、惜しいけどな!!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




