全ては過去の話
どれぐらい、ぼんやりと見ていただろうか?
不意に、二つの影のうちの一つが消えた。
「あれ?」
わたしは、それに気付いて立ち上がる。
そして、近付いてきた一つの影は……。
『いや~、息子は強くなったな~』
嬉しそうに笑う父親の方だった。
「ゆ、雄也は?」
『消えたよ』
「き、消えた!?」
あっさりと言われたが、わたしとしては驚きを隠せない。
『ユーヤは、シオリの夢に入る魔法を使っていただろう? アレは相当、魔力を消費するものだ。そんな注意力散漫な状態で、この俺とやり合おうなんて、十年早い』
つまりは、魔法を使う集中力を欠いてしまったらしい。
だから、魔法の効果が切れたのだろう。
まあ、考えてみれば、どんなに雄也さんが凄い人でも、魔法を維持しつつ、父親と肉体原語で語り合おうとしたのだ。
いろいろと無理がある。
でも、そうなると、雄也さんと一緒に来ていたと思われる九十九も、一緒にいなくなっちゃったのかな?
まあ、目が覚めれば、いつでも会えるのだから、わざわざ夢の中でまで会わなくても良いとは思うけど。
夢で会うよりも、現実で会った方が良いよね?
『アイツらは、シオリの邪魔ではないか?』
「え? 九十九と雄也ですか? 全然、邪魔じゃないです!! 凄く助かっています!!」
不意の問いかけ。
でも、それに対して否定する。
『いや、俺に似て、依存心が強いだろ? 鬱陶しくないか?』
「依存心はわたしも強いので、お互い様ですね」
でも、わたしほど彼らの依存心が強いとは思わない。
確かに寂しがり屋な面はあるし、意外にも甘えてくるようなところもあるけれど、早くに両親が亡くなっているのだから、その辺りは仕方がないだろう。
まあ、ちょっとスキンシップ過多だとは思うけど、恥ずかしいだけで、嫌ではない。
人前でするわけでもないし。
それに、彼らはちゃんと線引きをしてくれている。
溺愛傾向はあっても、それは貴重品として扱うだけで、異性として過度な触れ合いを求められることはない。
明確に、男女の線を越えようとしたのは、九十九がただ一度だけ。
それも、「発情期」と呼ばれる、当人にも抗いきれない生理現象の時だけだ。
嫌いじゃない相手が近くにいれば、強制的に発情してしまうという呪いのような種族維持本能。
しかも、そんな時ですら、彼は本能に抗って、わたしを護ろうとしてくれた。
『女の依存心は可愛いから良いんだよ。男の依存心はただの甘えだ』
フラテスさまはそう言うが……。
「甘えてくれるようになっただけでも良くないですか? 彼らは幼い頃からずっと逃げることなく、困難に立ち向かってきたのですから」
わたしはそう思っている。
「無駄に意地を張って、かっこつけるだけの男よりも、迷惑を掛けない程度に、身内に甘えることができるならそこまで悪いことではないと思っています」
それが極端に偏った依存なら、わたしも退くだろう。
成人男性が甘えんな! と突っぱねることもできる。
だけど、彼らの甘えはちょっと心地よいのだ。
普段、自立心が強く、多才で優秀な青年たちが、ふとした時に、自分を頼ってくるなんて、自尊心をかなり擽られるからだろう。
「ずっと意地を張り続けるのは疲れるでしょう?」
そう言いながら、ずっと意地を張り続けたであろう殿方を見る。
「そうは思いませんか? 王子殿下?」
わたしはこの方が王子時代を知らない。
でも、出会って少しの間だけでも、いろいろな面を見ている。
恐らくは、王子としては生き辛かったであろうことも想像できた。
『シオリは……』
何かを言いかけて、何度か、口を開いたり、閉じたりする。
言うべきことを迷っている。
わたしに伝えるかどうか、判断できない。
そんな顔だった。
そして……。
『やはり、チトセの娘だな』
そんな結論を口にされる。
「わたしを取り上げてくださったのなら、それもご存じなのでは?」
先ほどの話を聞いた限り、わたしが産まれた時、助産師となってくれたのはこの方だったらしい。
そして、その後のわたしも知っているはずだ。
だからある意味では、セントポーリア国王陛下以上に、わたしが母の娘であることを知っている人だろう。
だから、何故、改めてそう言われたのかが分からなかった。
『そういう意味ではない。ぼんやりとしているように見えるが、ちゃんと物事の本質を掴むことができる。それはできるようで、なかなかできないことだ』
「はあ……」
褒められているのだとは思う。
でも、何を以てそう思われたのかはよく分からない。
母なら分かる。
のんびりした口調なのに、不意に鋭く切り込んでくる時があるから。
でも、わたしにそんなことができているとは思えなかった。
『そして、チトセ以上に懐が深いな』
「そうでしょうか?」
わたしは母ほどの度量はないと思っている。
どちらかというと心は狭い。
ちょっとしたことですぐ苛立つし、許せないことも多い。
『俺は甘えさせてもらえなかったよ』
「それは、甘える場所が違うと思ったからではないでしょうか?」
フラテスさまにはラビアさまという妻がいた。
それなのに、母に甘えようとすれば、いくらあの母でも許さない気がする。
『ラビアが死んだ後、暫く経ってからだった。自分に甘えるなと思いっきり引っ叩かれた』
「…………」
うぬう。
それがどんな時期だったのかが分からないけれど、当時を知らないわたしには判定が難しい。
落ち込んでいたフラテスさまを引っ張り上げるために、母から両頬を叩かれたと聞いたが、それとはちょっと違うっぽいし。
少なくとも、一緒に住んで、相手の子たちまで面倒を看るほどだから、母の方にも好意はあったのだと思う。
いや、母は子供好きだからその好意がフラテスさまの方にも向けられていたのか、その辺りもはっきりと言いきれない。
そして、あの母から叩かれるほどというのなら、その「甘え」というのは、結構なことをした可能性がある。
具体的には男女関係に絡むような話?
うむ!
娘のわたしは複雑である!!
『しかも、そのまま、チトセはシオリとともに出ていった』
それは、結構な怒りだ。
友人だと思っていた相手から、そういった意味で迫られたとしたら、かなりショックが大きいとは思う。
わたしだって、九十九が「発情期」になった時は本当にショックだった。
暫く、顔も見たくなくなるぐらいに。
母がアレほどのことをされていたとしたら、その気持ちに同意するしかない。
しかも、「発情期」という免罪符すらない相手からだ。
『そして、二度と会えなくなった』
「ぐ……」
それ以来会っていなかったのなら、母の怒りは相当だったらしい。
そこまで引きずるような人間だとは思っていなかったので、ちょっと意外でもある。
それほど、目の前のこの方を信じていたということでもあるだろう。
それだけ裏切られた時の気持ちの大きさも、わたしはもう知っていた。
『ユーヤが三歳になる前の話だ。だから、ツクモとシオリはまだ一歳にもなっていない』
それで、ツクモもワタシも全く覚えていないのか。
いくら早熟で、2歳でも知能の高いこの世界の人間といっても、限度はある。
1歳未満は普通に赤子だ。
『ユーヤのあの態度はそれが理由だ』
「え?」
『当時、大好きだった女性を、自分の父親と思っている男が、押し倒した上で、泣かせたんだ。ヤツのショックも相当だったことだろう』
「それは……」
いろいろな意味で言葉を探してしまう。
母の娘としても複雑だし、雄也さんの主人としても複雑だが、何よりも、そんな話をさらりと聞かされても困る!!
そして、母が引っ叩いたのも納得した。
寧ろ、そんな状況で攻撃的な手段に出ることができた母は凄いとも思う。
わたしは、怖くて、身体が動かなくなってしまったのに。
『まあ、過去の話だよ』
そう言ってフラテスさまは力なく笑ったが、わたしは素直にそう思えなかった。
「後悔は?」
『反省はあるが、後悔はないな』
そんな意外な言葉が返ってくる。
この表情は、後悔から来ているものではないらしい。
「その理由を伺っても?」
『あの時の俺の素直な気持ちだからな。ラビアがいなくなり、その後、ずっと傍で支えてくれた魅力ある女性に心が動かないはずもないだろう?』
言われると、納得はできる。
自分の身内の話でなければ、という注釈も付くけれど。
「それなら、順番というものがあると思うのですよ」
少なくとも、押し倒して泣かせたというのが本当なら、母の方には心の準備はできていなかったのだと思う。
あの母が!
泣いた!
若い頃の話だったはいっても、その事実だけでも、結構、とんでもない話だと娘のわたしは思うのです。
『それは俺も思った。だけど……、あの時、あの場所からチトセとシオリを逃がせたから、現状があるとは思わないかい?』
「それは結果論でしょう?」
勝手な殿方の言い分だと思う。
その前に、どれだけ、相手の女性が怖い思いをしたのか、考えて欲しい。
『そうだな。だが、あの後、セントポーリア城下で流行った熱病には罹らなかった。だから、俺に後悔はない』
「……っ!?」
その言葉には絶句するしかない。
『あの時、ユーヤとツクモが罹らなかったのは、偏に運だ。城下に全く出ていなかったことと。そして、俺から移ることもなかった。それだけの話だ』
「それは……」
『全ては過去の話だよ、シオリ』
先ほどと同じ言葉。
だけど、その意味合いは全く違うように思えた。
そして、わたしは……、それ以上、何も言うことができなくなってしまったのだった。
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