当時は隠していなかった
「フラテスさまたちが、セントポーリアに来た事情は分かりましたが、母と懇意になったのはどうしてですか?」
若かりし頃の母が城下の森に来ていたことは分かった。
そして、セントポーリア城下の森に隠れ住んでいたフラテスさまたちを手助けしていたことも。
だけど、国の事情に巻き込まれて逃げているような人間が、セントポーリア城に住んでいた人間と接触することになった理由は分からない。
『チトセのことは、国にいた時から知っていたんだよ』
「え?」
なんですと?
『これまで真面目で女遊びを一切しなかったようなセントポーリア第二王子が、ある日、突然、毛色の変わった女性を堂々と城に住まわせるようになったんだ。情報国家が調べないと思うかい?』
「思いません!」
そんなことより、当時は、母のことを隠してなかったのか!?
そう叫びたかった。
いや、それって、いろいろアウトだよね?
母が城に来たのは15歳で、その時点で現セントポーリア国王陛下は未婚だったはずだ。
でも、婚約者はいた。
そんな状況で別の女性を自分のいる城に住まわせるって、どう考えても、周囲からは愛人を囲っていると思われるだろう。
『それだけセントポーリアの第二王子は、チトセのことを女性として見ていなかったんだよ』
「はい?」
『当人は本気で友人として招き入れた感覚だったと思うし、チトセの方もそう言っていた』
母の方はどう思っていたかは分からないが、それは……。
いやいやいや!
当人同士の意識がそうであっても、周囲の方々はそうは受け止めないよね!?
そして、母はなんでそれを放置できたの!?
『ここに来たばかりのチトセは、寄る辺ない状況だった。何の知識もなく、神の手により異世界に放り込まれた自覚すらなく、自分の家族と常識から切り離された。それはとても心細い心境だったとは思わないかい?』
「あ……」
そうだった。
始めからこの世界でも生活基盤が整えられ、何、不自由なく守られてきたわたしと違って、母は本当に独りぼっちで何の説明もなく、この世界に連れて来られたのだ。
今の母からは想像もできないが、その当時の母は人間界で育っていたため、今よりもずっと幼く、考え方も未熟だったと思う。
『まあ、初対面から男の顔を張り倒すぐらいの気の強さはあったらしいが』
「うわあ」
そう言えば、セントポーリア国王陛下に初めて会った時、張り倒したって聞いたことがある。
その理由は、いきなりスカートを捲られたから……、らしいけど。
イースターカクタス国王陛下といい、自分よりも年上の顔が良い男性であっても、手を振り上げるような母は、今となっては、想像もできない。
『チトセのビンタは痛いからな』
「…………」
何故、経験しているような口ぶりなのでしょうか? フラテスさま。
実は、母からビンタをされたことがあるってことですね?
そして、そう言いながら、左頬を撫でている辺り、利き手で張られたのですね?
なんでやられたかは怖くて確認ができませんが。
そう言えば、九十九も母からの拳骨は痛いと言っていた気がする。
つまり、母は昔から手が出る女性だったらしい。
被害者は娘のわたしだけじゃなかった!!
『つまり、チトセはこの世界で頼れる人間が、第二王子しかいなかったんだ。そんな状況なら、ヤツ……、いや、第二王子に言われるまま、素直に従ってしまうとは思わないかい?』
今、さり気なく、セントポーリア国王陛下のことを「ヤツ」と言いませんでしたか?
だが、確かにこの世界のことをよく分からない時期は、わたしも九十九や雄也さんに従うしかなかった。
いや、今も大事な部分は彼らに任せているところはある。
それに、母は行く先もなかった。
当然ながら先立つものも持たない。
それならば、城に案内されたら、仕方がない部分はある。
これまでの常識と違う世界だ。
言うがまま、相手に従うしかなくなるだろう。
それに、もしかしたら、母は、異世界に来たと気付いた時点で、現セントポーリア国王陛下に囲われる覚悟をした可能性もある。
身分も、金銭も、知識も何も持たない女性が、生きるためにどうすれば良いのか?
一番、手っ取り早いのは、この世界で既に生活基盤を持っていて、自分を助けてくれた人間に全てを委ねることだ。
そのために犠牲にするものはあるが、それでも、死ぬよりはマシだと思えばある程度のことには耐えられる。
それに、王子殿下……、高貴な人間に見える相手なら、野盗などに捕まるよりは乱暴な目に遭う可能性も低いと踏んだ。
それにセントポーリア国王陛下の見目は、悪くない。
いや、結構、良いと思う。
だから、飽きられるまでは我慢できると覚悟は決めただろうし、その間に知識と金銭を蓄えて、いつかはその場所から逃げ出そうと目論むぐらいには、母も人間界の女子高生としての強かさは持っていたかもしれない。
確かに人間界では15歳は子供だった。
だが、全く、何も知らないわけではない。
加えて、常識が違う異世界で生きていくと言うある意味では現実が見えていない無謀さもあるために、人間界と同じ感覚で、まずは衣食住の確保を考えるだろう。
「始めは従っているふりをして、生活基盤を整えることを考える気がします」
だから、わたしがそう口にすると……。
『シオリは意外と現実的だな』
フラテスさまは何故か、苦笑した。
「当時の母のことは知りませんが、自分ならそうすると思います」
そのために初めて会ったばかりの愛人、愛妾となれるかと問われたら、好みの外見をしている相手でもかなりの葛藤はあるだろう。
でも、自分がいた世界に戻れないと分かれば、それを受け入れるしかなくなる。
15歳のわたしにそんな決断ができたかは分からないが、少なくとも、18歳のわたしはそれを考えに入れる程度にこの世界を知ってしまった。
嫌だけど。
まあ、好みじゃなかったり、複数だったり、受け入れられない趣味をお持ちの方だったら、流石に逃亡を企てたとも思っている。
魔法を使える世界で逃げ切れるかは分からないし、万一逃げきっても、その先を生き延びることは難しくなると分かっていても。
「尤も、母は運が良かったとも思っています」
異世界に転移系の少女漫画で、少女が転移先でいきなり野盗に襲われたり、乱暴な目に遭ったりする話を読んだことがある。
そんな目に、母が遭わなかったことは本当に良かったと思った。
母を最初に見つけ、手を差し伸べたのは、セントポーリアの第二王子だった。
今でも、真面目で堅物と評されるほどの人間。
そんな人に救われたことは、本当に幸運としか言いようがない。
「この世界で、何も持たない女性が生きるのは本当に大変ですから」
そして、わたしも運が良い。
頼りになる護衛たちに、常に護られているから。
『第二王子は悪人ではないからな。まあ、当時は無自覚でタチは悪かったが』
「無自覚?」
『チトセに惚れ込んでいた自覚がなかったんだ。それは婚儀の前も後も変わらなかった。だから、無意識にチトセを何度も傷つけていたよ』
ああ、そんな所はありそうだ。
現セントポーリア国王陛下は、ちょっとそういったことに鈍い……、というよりも疎そうなイメージがある。
まるで、誰かさんのように。
「今は溺愛を隠していませんが」
あれはあれで、母の娘の立場としてはかなり複雑になる。
尤も、人前ではそれを欠片も見せない点においては、流石だとも思っている。
あのストレリチア城での会合と、セントポーリア城で母と話をしている時のセントポーリア国王陛下の表情はそれほどまでに違うのだ。
「そして、その当時に傷つけられていたはずの母は、今では、それを軽くあしらうまでに成長しております」
あれも本当に凄いと思う。
わたしは自分に言われたら、赤面する自信があるほどの言葉を平気で流すのだ。
『チトセも本当に成長したからな』
フラテスさまは苦笑する。
『シオリを得てからのチトセは本当に強くなった。多少のことでは折れない、へこまない、曲がらない。シオリを産む前よりもずっと良い女になったよ』
わたしの知らない昔の母を知る男性は懐かしそうにそう言った。
その表情と言葉にどこかむず痒いものを感じる。
まるで、セントポーリア国王陛下が母を褒めている時のような複雑な感覚。
その感覚の正体を確認したいような、気のせいであって欲しいような、そんな気持ちをわたしは抱えて、さらに、この方との会話を続けるのであった。
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