血は争えない
『先ほど、シオリは趣味の話をした時、絵を描くことと、読書と言ったが、歌は趣味に入らないのか?』
「歌うことは好きですけど、無意識に歌っていることが多いので、趣味とはちょっと違う気がします」
好きだから歌うと言うよりも、その時の自分の気分を口にしているだけなので、あまり趣味という意識がないのだ。
「絵を描くことと、読書をする時は没頭して時間を忘れてしまいますが、歌っている時は時間を意識してしまいますし」
『ああ、食事や睡眠を疎かにして、ツクモによく怒られているな』
見られている。
ちょっと恥ずかしい。
『だが、気持ちは分かる。俺も生前、読書は好きだった』
おおっ!?
同士がこんなところにも!?
でも、雄也さんのお父さんなのだから、意外でもない。
寧ろ、想像すら容易だ。
「やはり、歴史書ですか?」
先ほどの会話があるために、そんなことを聞いてみる。
『いや、史書や文献はグリスに任せた。俺が好んだ書籍は、図鑑だね。絵や図が付いた図譜は、見たことのないものも見た気分になれる』
ふと植物に詳しい黒髪の青年を思い出す。
九十九は植物だけでなく、実は魔獣などの動物などにも詳しい。
思い出してみれば、彼が読む本も図鑑が多い気がした。
ここにも目の前の御仁の血を感じる。
『それ以外では、旅行記を含めた随筆が多かったかな。本人の主観による体験記は実に興味深い』
随筆……。
現代風に言えば、エッセーだっけ?
でも、パッと出てくるのは、「春はあけぼの」から始まる「枕草子」とか、「行く川の流れは絶えずして」から始まる「方丈記」、「つれづれなるままに」から始まる「徒然草」など歴史的に有名なものしかない。
『俺はほぼ国から出られなかったからね。自分が体験できないことを体験してきた人間に興味があったんだよ』
その言葉で、改めてこの方が情報国家の第一王子殿下だったことを思い出した。
どの国でも直系王族の嫡子、王位継承権第一位とされる者は、外交以外で他国に赴くことは許されていない。
それ以外の王族は10歳から15歳までの5年間、他国で生活することを義務付けられているというのに。
だが、それは万一のためだろう。
いずれ、王位を継承する可能性が高い人間を、文化も習慣も違う他国に住まわせて、何か不測の事態が起きれば外交問題になる。
そして、王位継承権第一位の人間が順調に王位を継いだ後も外交以外で他国にいくことはできない。
尤も、今代の情報国家の国王陛下は外交と称して、あちこちの国に出向いているっぽいというのを恭哉兄ちゃんから聞いているけど。
「国から、出たかったのですか?」
『いや、国から出ることなんて、本当に考えたこともなかったよ。俺はあの国で生まれ育って、あの国をいずれ治めることになると思って、十数年間、生きてきたからね』
それが、国を捨てて、駆け落ちすることになるとは、不思議なものだと思う。
『ラビアが国から出なければ、本当に考えることもなかった』
「ほえ?」
『愛しい女性が、口説いている最中に逃げようとするなら、その後を追って捕まえるしかないよね?』
あ、あれ?
それって駆け落ちというよりも……?
『俺は嫌われていたからな~』
「…………」
どうしよう。
二の句が継げない。
嫌われている相手を口説いて、逃げられて、追いかけて、捕まえるって、それだけ聞くと……。
『シオリたちの言葉で言えば「追尾者」ってやつになるかな?』
眩暈がした。
そんなことを明るく言われても困る。
そして、紅い髪の青年を思い出した。
開き直ったストーカーは、とてもタチが悪いことも。
『いやいや、流石に、ラビアに対して、無理矢理、襲い掛かってはいないよ?』
「そう言えば、先ほど、『正神女だった時期に、触れようとして引っ叩かれた』と言っていましたね」
それは逃げる。
全力で逃げる。
相手は国の第一王子殿下だ。
正神女が特殊な立場であっても、その城内で権力を行使されたら、国民として従わざるを得ない。
ならば、逃げるしかない。
その相手が美形な王子さまであっても!!
「逃げたのに、ラビアさまは捕まってしまったのですね」
『いやいや! ちゃんと紳士的に口説き落としたよ!』
「でも、叩かれたんですよね?」
『それは本当に最初だけ! それ以降は、触れることもなく本当に紳士的な対応を心掛けたよ。それは、もう! 数年かけて気長に頑張った!』
数年かけたのか。
それはちょっと凄いかも。
でも、それだけ第一印象が最悪だったと言えなくもない。
『だけど、国の事情に巻き込まれて、ラビアは国から出ることになったんだ』
「え!?」
王子殿下から口説かれている時点で、十分、国の事情に巻き込まれている感が強い。
でも、別方向からも巻き込まれたのか。
それは本当に気の毒としか言いようがなかった。
『だから、俺はラビアを追った』
「それは駄目なことなのでは?」
王位継承権第一位の人間が、正神女が国の事情で出たのに、追いかけたら、国が混乱してしまうのではないだろうか?
『勿論、駄目なことだよ。でも、逃がしたくなかった。あんな女性はもういないと思ったからね。王位継承権を放棄して、そのまま、ラビアを追いかけた』
改めて、思い込んだストーカーって本当に怖いと実感する。
しかも、しっかり王位継承権は放棄していったらしい。
あれ?
でも、この方って、雄也さんと九十九のお父さまですよね?
彼らにもその気質があるってこと?
……ありそうだ。
彼らの愛情はかなり重い気がする。
気を付けないと、同じことをしでかしそうな気がしてならない。
わたしは、主人として、彼らが問題ある行動をとらないように気をつけておく必要がある。
尤も、彼らはわたしの目を誤魔化すことぐらい簡単にできそうだけど。
「王位継承権をわざわざ放棄しなくも、普通に追いかければ良かったのではないですか?」
『ラビアはもうイースターカクタスに戻れなかった。それならば、王位継承権を放棄する以外ないだろう?』
「ないだろう? と言われても……」
当時のイースターカクタスがどれだけ混乱したのかを想像するだけでも怖い。
王族が感情だけで行動してはいけないと聞いているだけに、余計にそう思える。
『俺を無責任だと思うかい?』
だから、その言葉に頷くことしかできない。
『シオリは素直に育ったね』
わたしのそんな反応に、フラテスさまは笑う。
『だが、あの時の俺は国を滅ぼしても良いと本気で思った』
「はっ!?」
な、何故に?
『それだけの事情に、自分の愛している女が巻き込まれたと言えば、シオリは納得できるかい?』
「…………」
納得はできない。
でも、どうだろう?
愛している人はちょっとまだいないけれど、大事な人なら何人もいる。
その人たちが国の事情に巻き込まれたら?
現時点で、巻き込まれ中な気もする。
だが、それ以上に、王位継承とかそんな問題に、既に、半分近く、巻き込まれている。
そして、わたしの大事な人たちが出した結論は、これ以上深入りする前に逃げる……、だった。
そうか。
国の事情に巻き込まれかけたら逃げるしかないのだ。
だが、その国から逃げることが許されないなら、元凶……いや、原因となった国を滅ぼすしかないというのはちょっと極論すぎるではないだろうか?
でも、よく考えたら、イースターカクタスの王族には、かの「封印の聖女」の血も流れている。
自分の好きな人が、自分を置いて行くなら、その原因となるものを取り除こうとして、当時、世界を混乱させていたものを封印してしまった。
自分の好きな人と一緒になれなかったから、その原因となった自分の国を、迷いなく切り捨てた。
……血を感じる。
それも、この上なく濃いものを。
おかしいな。
六千年も昔の人の血がそんなに色濃く出るはずがないのに。
『納得できない?』
ぐぬ!?
この美形な殿方は、自分のお顔と声の良さを理解している。
そうでなければ、相手を説得したい時に真顔ではなく、笑顔を選択しないだろう。
「納得はできないけれど、理解はできます」
この方は、本心では国を滅ぼすことを望んでいない。
だから、愛する人を追って、国を離れるしかなかった。
結局のところ、この方が選んだのはその道だ。
王位継承権を放棄して、国を捨てるなんて、周囲からは、無責任だと非難されてもおかしくはないし、本来なら追捕もかかっていたことだろう。
だが、王位継承権を第一王子が捨てたことは、イースターカクタスが揉み消していることは確かだ。
イースターカクタス国王陛下の兄上は、病死だったと世間には公表され、現国王陛下が即位しているはずだから。
そうなると、ただの事件ではない気がする。
第一王子殿下を探し出して、連れ戻さない方が良いと判断されるほどのことだ。
そして、そのラビアさまが巻き込まれた国の事情というのはよく分からないけれど、この様子では、わたしに教える気もないだろう。
だが、これらの状況的に、国の悪評……国家としての信用失墜にも繋がるような事件だった可能性がある。
詳しく話さないのは、わたしがセントポーリアの王族であり、「聖女の卵」という肩書を背負っている以上、伝えると面倒ごとに巻き込まれる可能性があると考慮されているのかもしれない。
いや、巻き込ませないための配慮か。
何にしても、雄也さんはこの辺りまでの事情も把握している可能性はある。
現イースターカクタス国王陛下の唯一人の御子は、雄也さんよりも年齢が下だ。
それもモレナさまが「色狂い」と評するほどの人間。
そんな人が王位を継ぐことを快く思わない人もいるだろう。
だから、余計な王族事情に巻き込まれないよう、その方が即位するまで待った方が良いと判断しているのかもしれない。
尤も、既に雄也さんと九十九の存在を知っていて、恐らくは、兄の子たちだと気付いている情報国家の国王陛下が、この先も何もしないとは言い切れないのだけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




