商談
「有益な情報提供、感謝致します。それでは、私はその聖堂の方にも足を運んで確認してみましょう」
雄也はそう言いながら微笑んだ。
男から告げられたのは、探している人間と思われる者が、複数名で聖堂に行ったこと。
数と状況が一致している以上、疑う要素は少ない。
それでも気になる点はあった。
弟が、自分の指示を忘れていなければ、先ほどの会話に矛盾が生じるのだ。
しかし、それは見え透いた罠だろう。
そこを問い質せば、その言葉は間違いなく自分に返ってくる。
今の所、この男が何者かは分からないが、はっきりと分かったこともある。
だから、今はそれ以上の事実は必要なかった。
中途半端な言動によって、わざわざ獰猛な虎の尾を踏む必要もない。
そして勿論、この男以外の人間にも目撃されていた可能性は大いにある。
少なくとも、神官が常駐している聖堂を通り抜けるという、ある意味、人目につく道を選ばせたのだ。
多少は仕方がないだろう。
だが、仮に口の軽い目撃者が他にいたとしても、その点において、雄也はそれほど慌ててはいなかった。
少なくとも、昨夜のうちに城下を出たことは確認できたのだ。
そう言った意味ではこの会話だけでも雄也にとって、かなり有益な情報だったと言える。
今の状況では、弟と通信珠でやりとりする余裕もない。
自分は間違いなくこの周囲にいる兵たちだけではなく、それ以外の人間からも王妃によって見張られているのだから。
そんな状態でどこかと連絡を取り合うなど、明らかに不審な行動をとるのは愚行としか言いようがないだろう。
夜更けから日が昇りきるまでという決して、短くはない時間が経過している以上、対象の目的地が明確でなければ、この国の魔界人なら、その後を追う事は容易ではない。
この世界では人間界のように防犯カメラという便利な機械はないのだ。
城でもない場所に、二十四時間年中無休の監視体制が張り巡らされることなど、人手の観点からも難しい。
勿論、城下の入り口などは、守護兵が交代で護っているのだが。
つまり、街中については、今回のように目撃者を探し出すか、残留魔気……、その場に残る魔力の残り香のようなものを地道に辿っていくという方法が一般的な行動なのである。
情報国家と呼ばれる国であれば、それ以外の追跡方法を持ち合わせている可能性もあるが、幸い、ここは情報国家ではない。
そして、機械国家のような魔法に変わる技術もなく、魔法国家のように誤魔化した残留魔気を明確に読み取ることもできず、法力国家のような特殊能力もない。
この国は昔から自らの意思で離れた者を追う気がないのだから。
現時点では、兵たちも探している娘が複数の人間たちと共に、聖堂を通り抜けてこの城下から抜け出していることは知らない。
目の前にいるこの商人風の男が、彼女たちの動向を知っているかどうかはともかく、この場に残っている以上、他の人間に後を追わせるほどの執拗さがなければ行方までは分かっていないだろう。
「情報提供料が必要ですか?」
雄也は確認する。
「いいえ。これは私が勝手にお話したことです。商談絡みというのなら、始めに交渉するのが筋でしょう」
その言葉から、彼は他の人間たち、つまり、今も走り回っている兵たちにも同じ事を告げる可能性があるということである。
仮に同じことを伝えたとしても、恫喝の対象が何も知らない国民から、口が堅い神官に変わるだけの話だ。
そして、彼らが得られた情報を活かすことはおそらくできないとは思う。
少し考えて……、雄也は周りに気付かれないような角度で懐から財布を取り出した。
この行為はある意味、諸刃の剣となりうるのだが、このまま、この男を放置するよりは危険が少ないと判断したのだ。
「かなり貴重な情報でしたから、御礼は必要ですよね?」
そう言って、雄也は笑顔で掛け合う。
「なるほど、そう言われてしまっては、私も受け取らないわけにはいきませんね」
その意味を察した男も不敵に笑いながら、応えてくれた。
そして、周囲からも不自然に見えないように雄也に近付き、出されたものをさりげなく受け取る。
雄也は顔に出しはしなかったが、心底、ホッとした。
「妥当ですか?」
「はい。それにしても……、何故、気付きました?」
雄也から渡されたものを確認しながら、男はそう口にする。
「ほぼ勘です。情報の提示の仕方でなんとなく……という程度ですが」
本当に確信はできなかった。
だが、「情報提供料」という言葉に対して、男の表情が微かに変化したのは雄也の目にも分かったのだ。
「そうですか。それは良い勘だと思いますよ。貴方は周囲を無駄に走り回る王妃殿下の私兵たちとは違う印象を受けました。それでこそ、私もお声をお掛けしたかいがあったというものです」
それとなく会話に潜んだ言葉の端々に、雄也は自分の判断が間違っていないと言われていることが分かる。
「それは光栄なことです。それでは、まだいろいろと処理しなければならないことが多そうなので、私はこれで失礼します」
そう雄也は一礼した。
「はい。それでは縁があったらまたお会いしましょう」
男もそれ以上は雄也を引き止めるわけでもなく、微笑みを返す。
それを確認して、雄也はその場から足早に離れた。
一筋の汗が、自分の額を伝うのを感じながら。
ほんの少しの、短い会話。
それでも雄也の肌は、はっきりと感じ取っていた。
先ほどまで会話を交わしていた相手が、自分と似たような種類の人間で、しかも明らかに格が上だと。
それは単純に言ってしまえば、積み重ねられた経験の違いでしかないことぐらい理解している。
だが、その差は情報量だけではなく自らが持つ世界の広さの違いでもある。
今の自分では、もしあの人間が本気になった時に太刀打ちはできる気がしなかった。
さらに、明らかに手加減されていることも分かっている。
そして、あの手の人間に、その場限り、口先だけの誤魔化しが通じる気がしない。
半端なことをすれば、すぐ見抜かれてしまうだろう。
―――― あの商人風の男は間違いなく情報国家の人間だ。
情報国家という国は、各国の城下だけではなく、大胆にもその国の懐である城内にすら人を派遣していることは知っている。
他国の懐に潜り込むというある種の危険を伴ってでも確実に真実味のある情報を得ようとする姿勢にはある種、尊敬の念を抱かずにはいられない。
それだけの行動力があるからこそ、この国の王子殿下が、どこからか娘を連れてきたとか、さらに黒髪にしてまで国王を説得しようとしていたこととか、国王が執務室に籠もっていたこととかを知ることもできたと言える。……多分。
「盗聴器のようなものが存在している可能性もあるが……」
王子や王妃の私室までは確認していないが、流石に執務室に関しては厳重に盗聴防止の措置をしている。
国の機密情報を扱う場所で、やすやすとそれらをかの国に献上するわけにはいかないのだ。
尤も、自分が知っていること以上の手段を用いている可能性もあるので対策の過信はできない。
どの国も対応に頭を悩ませていると聞いていたが、確かにあんな人間を相手にしていたら、頭も胃もやられてしまうことだろう。
その頂点を相手に普通に会話していられるこの国の王はやはり大物だと思う。
単純に無警戒、無防備なのではない。
かの国相手に緊張することの無意味さを知っているだけである。
相手に懐を探られていることを承知の上で、常に自然体での会話。
これは雄也のような人間には絶対できないことだろう。
それでも、雄也が置かれている状況を考えれば、かの国に僅かでも興味を持たれるわけにはいかなかった。
今後のことを思うと、いろいろと頭が痛くなる気もしたが、ここで悩んだところで何かが変わるわけではない。
そう思って、雄也は開き直ることにする。
あの男は「縁があったら」と言った。
雄也としては、できるだけ関わりたくないと願うばかりだ。
ただ、それでも情報国家は世界中のあちこちに自ら足を運ぶ、魔界でも珍しい人種の集まりだ。
万一、会うことが避けられなければ、その時は、もう少しくらい成長した状態で会いたいものだとも雄也は思った。
せめて、あの涼しい顔色をかえてやりたい……、と。
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