返答に困る言葉
『私も始め、そんなフラテスのことはすっごく、好きじゃなかったわ』
父親のことをそう語る母親に対して、気の利いた言葉を返せる息子はどれくらいいるのだろうか?
「はあ……」
少なくともオレには無理だった。
自分の母親が、父親のことを好きではなかったなんて聞かされたのだ。
それも駆け落ちまでして一緒になったと聞いていたような二人だから、余計にそう思ってしまう。
もしかして、駆け落ちじゃなくて、母は父に攫われたんじゃねえか? とも思ってしまった。
しかも、母親が発したその言葉に嘘はなかったのだ。
オレが困惑するのも当然だろう。
『正神女として、さあ頑張ろうと仕事に燃えている女の行く先に度々現れて、邪魔をする男を好きになるって相当、難しいと思うのよ』
「そ、それは……」
どうだろう?
その言葉だけの裁定となると、かなり難しい。
男視点から見れば、父は多分、好きな女の傍にいたかっただけだと思う。
母の仕事の邪魔をする意図などなかったはずだ。
多分……。
『ツクモ。私は心の声が読めるの』
笑顔でそう言う母親に、オレは何を返せるのだろうか?
「……ああ」
本当に邪魔していたのか。
それは無理かもしれない。
分かりやすく仕事と自分のどちらが大事かと、尋ねてくれる方がまだマシだ。
『仕事に向かっている私の前に幾度となく現れて、「俺に構え」って言うのはそういうことでしょう?』
「……ああ」
さらに返答に困った。
その場合の「俺に構え」とは、仕事の邪魔とは少し違う気がする。
確かに邪魔は邪魔なのだが、そこにあるのは妨害とかそんな意味合いはなかったはずだ。
そして、その一連の流れから、思っていた以上に母は恋愛関係に疎いといえる。
言葉を額面通りに受け取ってしまうのだろう。
いや、そんな気はしていた。
「教護の間」から、そのまま神導して見習神女になり、正神女まで進んだのなら、情緒方面が育つことを期待できないと思っている。
他人に対する博愛、慈愛の心は育つが、特定個人から向けられる感情には鈍くなるだろう。
オレは正神女を知らないからはっきりと言いきれないが、準神女や下神女にはそんな女もいた。
そして、その母の言葉から、父は他者から愛情を向けられることを当然とする傲慢さを感じる気がする。
つまり、周囲からチヤホヤされることに慣れている腹が立つほどモテる男の空気だ。
自分が拒絶されるなんて微塵も思わない種類の男だ。
それも兄貴やクレスノダール王子殿下のように相手を気遣う系統の男ではなく、トルクスタン王子殿下……、いや、あの情報国家のクソ王子殿下に近いかもしれん。
そんな二人がよく夫婦になれたな……。
『ツクモは随分、難しく考えるのね』
「師や兄にそう育てられましたので」
ミヤドリードからは思考を止めるなと習い、兄貴からは常に相手の言動や雰囲気から情報を読み取れと叩き込まれた。
『まあ、あの頃のフラテスが傲慢で、女性たちにモテていたのは確かだわ。だからでしょうね。全く、興味を持とうとしない私の気を引こうとあれこれ画策したみたいだけど、心が読めるからその裏にある下心も透けて見えちゃうのよね』
母の言う下心がどの程度のモノかは分からないが、ちょっと父親に同情したくなった。
オレも栞のことを考えている時に、彼女から心を読まれたくない。
いや!
いつだって、邪なことを考えているわけじゃないぞ!!
たまにだ!
たまに、少しだけ、チラッと考えてしまうこともあるんだ!!
仕方ないじゃないか!
オレだって、健康的な青年男子なのだからな!!
好きな女に対して、可愛いなとか、良い匂いだなとか、柔らかいなとか、抱き締めたいなとかいろいろ思って当然だろ!?
『尤も、今ではそんな男性の事情も分からなくはないし、フラテスはマシな方だったってことも、生きている間にちゃんと気付いたわよ。少なくとも、国を出るまでは、私に触れることもなかったから』
それはそれで、生殺しではないだろうか?
そこまでして好きな女の警戒心を解こうとしていた父親は、傲慢というよりもかなり堅実……いや、かなり臆病な印象に変わる。
オレも真面目だ、ヘタレだと言われているが、父親はそれ以上だったのではないか?
あの父親が?
オレが覚えている父親からは想像できなかった。
若い時の話だから仕方のないことなのだろうけど、自分が父親に似ていることを実感させられている気がして嫌になる。
『えっと、貴方たちのような若い子にも分かりやすい言葉で言うと、フラテスはムッツリなのに、本命に対してはかなりヘタレな男?』
「わざわざ口にしなくて、良いですから!!」
なんとなくそんな気がしていたが、自分の父親に対して、母親の口から聞きたい種類の言葉ではない!!
『若い時にはいろいろあるのよ』
今も若く見える母はそう苦笑する。
『だからね、気付かないの。一時の気の迷いとか、そんなものも』
それはオレのことを言っているのだろうか?
それとも……?
『ツクモは悔いの残らぬように生きなさいね』
同じ年代にしか見えない母は、オレに向かってそんなことを言った。
既に、オレの短い人生、悔いが残るようなことばかりなのだが、そういう話ではないのだろう。
「母上は、悔いは残っていないのですか?」
『いっぱいあるわよ。その最たるものが、貴方たちを置いて逝くしかなかったことかしら』
今更、聞いても仕方のないことなのに、それでも母は答えてくれる。
『だけど、貴方たちを産んで、後悔したことはないわね』
その時、少しだけ、母の身体に変化があった。
仄かな光。
それが、意味することに気付いたけれど、オレは気付かないふりをする。
これは、オレが知らないはずの話だから。
『ツクモはもう少し、他者に踏み込むことを覚えた方が良いわね』
「え……?」
『相手の嘘に気づいても、それを深く追求せずに見逃す。それは貴方の良さではあるし、相手にとっては好都合ではあるけれど、疑問を持ったなら、ちゃんと相手にそれとなく確認しておかないと貴方が傷付くこともあるのよ?』
その言葉で、先ほどの仄かな光は、その誘いだったことに気付いた。
オレの眼は相手の嘘を見抜く。
その性質を知っている人間なら、逆に、オレを釣るための糸を垂らすことはできるのだ。
兄貴のように。
『これについては、ユーヤの教育が悪いわね』
母がそう肩を竦めた。
「オレは兄ほど好奇心が強くないので問題ありません」
人並に好奇心はあると思っている。
だけど、それが他人の心の内まで暴きたいかと問われたら、答えはNOだ。
自分が持つ嘘を見抜く眼は便利だと思うが、だからといって、相手が嘘を吐くことを咎める気もない。
知らぬが仏という言葉もあるし、相手のために嘘を吐くという行為が世の中にはあることを、オレはもう知っているのだ。
その言葉に主人を害する意思を感じない限り、オレはそこまで気にするつもりもなかった。
『なるほど……。特に他者の内側に入ることを怖がっているわけではないのね』
「そんなことを意識した覚えはないですね」
相手のことを知りたいと思えば、ちゃんと踏み込む程度の図々しさは持ち合わせている。
相手が迷惑そうなら、退く程度に弁えているつもりだ。
尤も、例外はある。
主人だ。
彼女なら、迷惑がっているのが分かっていても、オレが必要だと思えば遠慮なく踏み込んでやる。
そうでもしなければ、栞は本音を押し隠す。
シオリもそうだった。
記憶を封印する前も後も、人前で泣くことや、本音を口にすることをしない点は変わらない。
呆れるぐらいに意地っ張りな女。
それでも、以前に比べたら大分、素直にはなってくれたと思っている。
少なくとも、泣き場所を与えれば、泣くようにはなったから。
それでも、声を押し殺して泣くところは変わらない。
オレの前で声を出して大泣きしたのは一度限り。
それも、大変、気に食わない状況だった。
『ツクモは本当に分かりやすくも素直に育ったわねえ……』
どこか呆れたような、でも、安堵したような不思議な言葉が母の口から出る。
だが、次の瞬間……。
『でも、このままで良いの?』
そんな鋭い言葉で、オレを突き刺しにきたのだった。
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