もう一人の存在
目の前の存在が、何を言ったのか?
それをオレの脳が理解するまでに、いつも以上に時間がかかったことだけは確かだ。
現実には数秒ぐらいだったかもしれが、体感では数分規模だった気がする。
それだけのことを口にされたのだから仕方ない。
そして、その言葉を投げかけられた兄貴自身は、オレ以上に思考が停止していたように見えた。
―――― どうして、ツクモにはもう一人の兄弟のことを伝えていないの?
いや、この母親と言われている存在の口ぶりからは、兄貴がそのことを知っていたような印象だった。
そう考えると、オレと違って内容よりも、それを言われた事実の方に衝撃を受けたのだろう。
オレとしては、その言葉が事実だろうと、正直、どうでもいい話だ。
兄貴以外にも上か下か分からんが、兄弟がいる?
今、オレの傍にいない時点で、血が繋がっていても他人も同然だ。
栞にとって、セントポーリアのクソ王子のような存在ってことだろ?
本当にどうでもいい。
まあ、あのクソ王子は、セントポーリア国王陛下の息子ではない時点で、栞との血の繋がりはかなり薄い。
それでも、セントポーリア国王陛下と王妃が従姉弟の間柄なのだから、再従姉弟の関係ではあるんだよな。
信じられんが、あの二人は、一応、血の繋がりはあるのだ。
『ああ、別に血が繋がっているわけではないのよ』
「他人ってことですね」
母の言葉に、考えるよりも先に言葉が口から飛び出てきた。
自分では意識していないつもりだったが、少しばかり過敏な反応になっているようだ。
『でも、貴方にはいない? 血の繋がった兄よりも、もっと強い絆を感じる相手が』
「強い絆を感じる相手?」
ふと、頭の中に誰かがよぎった。
いや、まさか……?
「母上!?」
『黙りなさい』
オレの思考を止めようと、兄貴が叫んだようだが、母がそれを制止させる。
『他のことは仕方がなくても、これはツクモ自身が知っておかなければいけないことでしょう? 逆に貴方が止める権利もないのよ?』
母はどこか冷たく言い捨てる。
「それでも……」
兄貴は尚も食い下がろうとしたが……。
『勿論、チトセさまがどういうつもりで口にされなかったかは、分かるつもりよ。私も母親となった身ですもの。でも、事実としては、知っておくべきだわ』
割と、決定的なことを口にされた気がする。
母が千歳さんのことを知っているというのはともかく、このタイミングで口にした理由。
それは……。
『それに、貴方とシオリさまだけが知っているのも、ちょっとだけズルい気がするじゃない?』
兄貴に対する高圧的な態度を緩ませ、茶目っ気のある顔でそんなことを言われたが……。
「は!?」
それに対して、思わず、素で反応してしまった。
取り繕うような余裕すらなかった。
でも、仕方がない。
ここで、これまで使っていた「今代の聖女」という呼び名ではなく、「シオリ」の名を出されてしまったのだから。
「オレ……、いえ、自分の兄以外の兄弟って……」
動揺が口にも態度にも出てしまっている。
これまで、考えたこともなかった。
しかも、兄貴だけじゃなく、栞は既に知っているということも、さらに混乱に拍車をかけている気がする。
いつ知った?
オレと離れている間か?
『完全に気付いているみたいだけれど、口に出した側の責任として、きちんと答えを言うわね』
母はそう言いながら、改めて、オレに向き直る。
『私の命が残りわずかとなった時、チトセさまが申し出てくれたの。このままツクモを母乳の代替品で育てていくよりも、自分で問題なければ、乳母となるって』
「ちょっと待ってください!!」
その時点で突っ込みどころが多すぎる。
千歳さんがオレの乳母?
ああ、確かにそれなら栞とは乳兄弟……、いや、乳兄妹になるのか。
だが、それ以上に……。
『チトセさまは、貴方たちの父親と旧知の間柄でね。昔から、ユーヤもよく懐いていたわ』
突っ込みどころに新たな情報が追加された。
駄目だ。
心の準備態勢が全然、間に合わない!!
「母上。いくらなんでも、情報過多すぎて、弟が混乱しています」
流石に見かねたのか。
もしくは、ある種の観念かは分からないけれど、兄貴が口を出した。
『あら? 先ほどまで落ち着いていたのに?』
「弟は、あの母娘が絡むと思考が断線します」
『兄弟揃って、あの母娘が好きすぎるわけね』
オレの思考が「それは兄貴も一緒だろ!? 」と突っ込みを入れる前に、母が身も蓋も無いことを口にする。
「それは昔からです。貴女もご存じでしょう?」
『そうね。あんなに小さな頃からチトセさまに隙あらば、好意を伝えていた貴方が言うと、説得力があるわ』
「……勘弁してください」
自分の幼い時代を知る人間って本当に困るよな。
埋め戻したいほどの恥ずかしい過去を、これでもかと掘り起こしてくれるから。
日頃の弟の立場を思い知るがいい。
『そうなると、どこから話せば良いかしら? そうね。チトセさまとフラテスの運命的な出会いから……』
頼むから、これ以上、迷わせないで欲しい。
自分の父親と、好きな女の母親の間に昔、何があったかは知らんが、それだけ聞くと余計なことしか考えられなくなるではないか。
そして、それはかなり複雑すぎて困る。
「母上」
それを止めたのは、勿論、兄貴の方だった。
「申し訳ありませんが、これ以上はご容赦ください」
その言葉には分かりやすい怒気が孕んでいた。
「故人が生者を惑わせるような言動をされるのは、本来、禁則ではないのですか?」
『違うわ』
だが、母はそう言い切った。
『そもそも、本来、既に死んでいる人間が生きている人間と関わることができるなんて、簡単にできると思って?』
さらに笑顔でそう付け加える。
確かに以前、栞の夢の中に現れたミヤドリードも言っていた。
―――― 本来は生きている人間に関わることはできない
『普通は、生前にいた世界に残した残留思念でしか、語ることは許されないのよ?』
ああ、それもミヤが言っていた。
―――― 残留思念以外で生きている人間と交流は持てない
そして、さらに続けられた言葉を思い出す。
「自分たちと会話することが、可能なのは、ここが、神が人間に干渉するために作った世界の一つだから、でしょうか?」
だから、思わず、そう尋ねていた。
『その通りよ』
そして、母からの答えは分かりやすいほどの肯定だった。
『この世界は、死者が立ち寄れる世界でもある。普通の人間なら、その魂が死者によって引き込まれない限りは来ることができないのだけど、チトセ様とシオリ様はその魂に創造神様の加護があるために、神や死者から招待されることによって、来ることができるようね』
さらに続けられた言葉には看過できないものがあった。
死者によってこの世界に魂が引き込まれるって、栞の言葉を借りるなら、「唐突なホラー要素」だろう。
まあ、故人と対面して会話している時点で十分なホラー要素なのだが。
『でも、まさか、自分の産んだ子供たちが、その世界に乱入してくるとは思っていなかったわ』
栞や千歳さんの存在が特別なら、この状況も特殊だ。
まさか、その世界に栞が夢で繋がっている時に、その夢に入り込んでくる存在なんて、神もビックリなのではないだろうか?
『それに気付いた私の焦った気持ちが分かる? 私の意思が二人を呼び寄せたのかと思ったわ』
死者によって引き込まれない限りは来ることができないなら、オレたちが母の意思で引き込まれた可能性を最初に考えたかもしれない。
オレたちは以前、ミヤドリードで体験していたが、母にとっては初めてことだ。
だが、現実は違った。
オレたちの呑気な会話を聞いていた母は、どんな気持ちだっただろうか?
親の心子知らずとはよく言ったものだ。
「母上の懸念は分かるつもりです」
兄貴が神妙な表情でそう口にする。
「ですが、焦ったのは、もっと別の理由だったのではないでしょうか?」
『あら? それはどうして?』
「さあ? 俺の口からは言わない方が良いでしょう。お互いに」
兄貴がそう不敵に笑った。
どうやら、調子が出てきたようだ。
この母に会ってから、ずっとおかしかったからな。
『ふふっ。ユーヤは父親に似てきたわね』
「…………」
だが、押し負けたか?
あっさりと沈黙してしまった。
それだけ、母が、いや、心を読める人間というのは兄貴にとって分が悪いらしい。
「貴女の目的は時間稼ぎですか?」
兄の言葉に首を捻った。
時間稼ぎ?
何のために?
『貴方たちにとってはそうなるわね。今代の聖女と会話する機会は貴重だから、邪魔されたくないの』
ちょっと待て?
今の話はちょっとおかしくないか?
今代の聖女って、栞のことだよな?
だが、母が栞と会話しに行く様子は全くない。
そうなると、まさか、この世界にはオレたち以外にも誰かがいるってことなのか!?
『私としては純粋な気持ちで会話していたかったけど、ずっとユーヤはその可能性を考えていたものね。まあ、間違っていないとだけ答えておきましょうか』
そう言いながら、母の服装が、変わっていく。
先ほどまでは、白いワンピースだったが、栞がたまに身に着けるような神女装束に似た格好となった。
『あら、便利』
本人はそれを意識していなかったのか、そんなことを口にする。
『さて、口での会話が難しいとなれば、古来より、対話方法は決まっているわね』
その表情は笑みを携えているが、どこか獰猛な印象を与えるものだった。
魔法国家の第三王女殿下が、栞に向ける顔によく似ているのは気のせいか?
『実戦は久しぶりだわ。ちょっとワクワクするわね』
ついに実戦とか言い出したぞ?
しかも、ワクワクとか言ってるぞ?
まさかと思うが、オレたちと戦うつもりですか? 母上様?
『そのまさかよ』
オレたちと変わらぬ年代に見える黒髪の神女は、片手を差し出す。
『今代の聖女に会いたければ、かかってきなさい、ひよっこども』
それも、この上なく妖艶な笑みを浮かべて。
主人公と護衛・弟が乳兄妹の間柄なのは、完全に初期からの設定です。
その辺りについては、いつか書くかもしれない、母世代の物語にて。
ドロドロ昼ドラ風味なので公表は未定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




