運が良い女
少し前に栞はこう言っていた。
―――― わたしの夢って、亡くなった方が侵入しやすいらしいんだよ
なるほど。
これが、その状況なのだろう。
目の前にいる黒髪の人間は、自分を産んだ母親らしい。
そして、その母親はオレを産んで一月ほど亡くなったと聞いている。
だから、栞の夢に入ってくることができたのだろう。
ただその当人は、自身のことを「オレたちを産んだ人間」とは言ったものの、「オレたちの母親」という言葉を意図的に避けている気がした。
オレとしては、見たこともない相手が自分を産んだということに対して、頭から否定するつもりはないし、そのことに対して、特に忌避感や嫌悪感もなかった。
単純に、相手はその事実を告げているだけなのだから。
そして、「母親」という言葉を使うつもりがないのなら、オレたちに母親面する気もないのだと思う。
オレとしてはどちらも大差はない。
母親と名乗りたいならそれが事実である以上、拒絶する気もなかった。
だが、兄貴は違う。
兄貴は本物を知っているのだ。
その分だけ、オレよりも複雑な気持ちを抱えていることだろう。
まあ、その辺りの心の整理はオレがどうこう言っても仕方ないことだ。
だから、オレはオレの思うとおりに進むことにした。
「母上は、神女だったのでしょうか?」
先ほど、この人は、自分の出自が分からないため、精霊族の血を引いているかは分からないと言った。
だが、孤児であるために聖堂にある「教護の間」にいたのだ。
法力や神力を持っていれば、神女になるために、神導を受けさせられているだろう。
そして、心を読めると言うことは、その法力や神力と呼ばれる、魔力とは異なる力を持っている可能性が高いのだ。
『ええ。ありがたいことに正神女までは上がったわ』
そう言いながら母は微笑んだ。
なるほど……。
この見ているだけで心地よく感じる雰囲気は、法力やそれに近しい力を持っているためなのかもしれない。
『私は5歳の時にストレリチアにある大聖堂で神導を受け、神女の道に入ったの』
「「5歳!? 」」
オレと兄貴の声が重なった。
それは、法力の才がある人間としても、かなり早いだろう。
大神官のように2歳ぐらいで神導を受けることも稀にあるが、それは親の意向であることが多い。
大神官の場合は当人の意思だったらしいが、そちらも稀だろう。
そして、「教護の間」にいるような孤児は、自活するために、神導を受けるよりも先に、他の可能性を探すことの方が多いと聞いている。
法力を持っていたとしても、神官や神女として物になるのは本当に一部だ。
その生まれに関係なく、大多数は神官として認められる正神官に届かない。
大神官の話では、現在、正神官以上の人間は、神導を受けている者の中でたった2パーセントほどらしい。
だから、法力を持っている孤児たちの中では、早くても10歳。
遅くても、15歳ぐらいまで様々な道を探した後に見習神官や見習神女になると聞いている。
世間では、法力の才を持った孤児たちは進んで神導を受けるような印象があるが、孤児たちは聖堂の内部から神官たちの現実を見ているのだ。
特に地方の聖堂育ちとなれば、オレたち以上に腐敗した状況も見ていても驚かない。
『貴方たちは神官たちの現状を知って、いえ、あの時代よりももっと酷い状況を知っているのね』
オレたちの心を読んだのか、母はそう悲しそうな瞳を向けた。
酷い状況、それはあのアリッサム城だった建物でのことだろう。
あの場所は神官たちによって行われていた女に対する人権蹂躙の場であった。
「穢れの祓い」などという耳触りの良い言葉で誤魔化していたが、やっていたことは、集団による性暴行でしかない。
中には正神官以上の人間も関わっていたそうだ。
時を置かずして、二人ほど高神官が行方不明になったという話も兄貴から聞かされた気がするが、無関係だと思いたい。
やっぱりあの国は変態しかいないと叫びたくなるから。
『私がお世話になっていた聖堂も、酷い神官がいたらしくてね。後から聞いた話になるのだけど、その聖堂の「教護の間」にいた男児の中には、10歳になる前に手折られた子もいたらしいわ』
どこの国にも神官は変態しかいないのか?
いや、それ以上に、神官が男児にって、あらゆる意味で正気か?
小児性愛ってマジで存在するんだな。
オレには理解できん!!
『それに気付いた下神官の一人が、法力の素質を持った孤児たちを急いで神導させたそうよ。私もわけが分からないまま、神導を受けることになった。そのために、その時代、その聖堂の孤児たちの神導は他の孤児たちと比べてもかなり早い方だったと聞いているわ』
それが本当なら、母はかなり運が良かったと言えるだろう。
幸いにして心ある神官に救われ、さらには、法力の才もあった。
だから、神導を受けることが許され、さらには、正神女まで上がることができたのだ。
だが、その「教護の間」にいた孤児が全て、法力の才能を持っていたとも思えない。
『勿論、救えなかった人間もいたことでしょう。でも、その頃の私には、そんなことを考える余裕もなかった。ひたすら、法力の腕を磨いて、神位を上げることしか考えていなかったの』
他者を顧みることができるのは、自分に余裕がある人間ぐらいだ。
そう考えれば、栞はかなり余裕のある人間だと言えるだろう。
王族の血を引き、成り行きのように「聖女の卵」として認められた。
そう言った意味では、苦労知らずにも見えるが、その実、周囲に気付かれない程度に苦労を重ね続けている。
それを知る者の方が少ないけれど。
『周囲を見ずに己を磨き続けた結果、15歳で正神女になったわ。そのまま、直属となった上神官から大聖堂に留まることも勧められたけど、その上神官から嫌な雰囲気と視線を感じていたから、別の聖堂に行ったのよね』
恐らく、それは英断だ。
昔から、神女は、どれだけ実力があっても、上神女に上がることは稀だと聞いている。
その上司に当たる上神官から、嫌がらせを受ける確率が格段に高いらしい。
才能がある神女ほど潰されるという。
それを知っているから、大神官はできる限り気を配っているが、それでも、全てを護ることはできない。
しかも、上神官に上がるほどの神官となれば、悪事を秘匿する方法も巧みになる。
証拠がなければ、大神官であっても、神官を裁きの間に送ることはできないそうだ。
それでも、昔よりは泣き寝入りをする神女は減ってきている。
些細な嫌がらせであっても、公然と大神官と話すことが許される絶好の機会を逃す女はいないと若宮がボヤいていた。
尤も、そのために神女の方が、気の弱い神官を巻き込んで冤罪を創り出すこともあるらしい。
それが露見すれば、当然ながら神官や神女たちの罪を神が裁くと言う「贖罪の間」行きとなる。
それが分かっていても、罪が減らないのだから、いつまで経っても、大聖堂に当分の間は平穏が訪れることはないのだろう。
あの王女殿下には気の毒なことである。
『こんな回答で良いかしら?』
「十分です。ありがとうございます」
まさか、そんな細かいところまでしっかりと話してくれるとは思わなかった。
本来なら、話したくない部分もあったはずだ。
これは、生前の話だからだろうか?
『ユーヤも何か聞きたいことがありそうね?』
母は兄貴に向かってそう問いかける。
不思議なことに、好奇心の強い兄貴が、母にはほとんど話しかけようとしなかった。
ミヤドリードの時はもっと話していた気がするのに。
「特には」
兄貴は短く答えた。
だが……。
『そうね。貴方たちに子守歌として聴かせていた歌は、「今代の聖女」が言っていたように聖歌の一つよ』
母はそんな兄の態度などお構いなしに、笑いながら、驚くべきことを口にしたのだった。
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