花が開く
「まさかあなたが、『Grandfather's Clock』を歌うとは……」
栞が感心したようにそう言ったが……。
「あ? なんだ、それ」
栞の言葉は日本語発音風味な英語が多い。
つまり、発音が微妙なのだ。
まあ、さっきのはまだマシな方か。
「火魔法」を「ふぁいあ~」と気の抜けた発音で使おうとする人間はオレが知る限りこの女ぐらいだ。
「さっき歌った曲の原題。あなたが歌ったのは日本語訳だけどね」
発音はともかく、言われてみれば、割とそのままなタイトルだった。
時々、この女は変な雑学があると思う。
「感情を込めやすい歌を考えたら、お前が以前選んだように童謡系になったんだよ」
「まあ、子供でも歌いやすいような歌だからね」
ちょっと感動系の、感情移入しやすい人間なら初めて聴いた時に号泣しそうな歌だ。
まるで、物に心が宿ったかのような大きな古い時計とその持ち主に纏わる物語。
「でも、わたしが歌った森の歌よりも、ある種、暗い選曲だよね?」
「まあな。確かに歌っている時にそれは気付いた」
言い換えれば、歌うまでは気付かなかったとも言う。
別れの歌ってやつは、結構、感情移入させてしまうと、心にくるものがあるんだな。
これまで、そこまで心を込めて歌ったことがなかったから、ある意味、新発見である。
いや、そんなことはどうでもいい。
「花は咲いたか?」
今回、大事なのはそこだ。
歌の上手い下手でもなく、完璧さを求めるものでもなかった。
それでも、栞も知っているはずの歌を、彼女の前で歌うのは一種の緊張がある。
何度も歌った歌だし、覚えていると思ったが、意外と歌詞の順番を追うので精一杯だった。
物語性があってもこれだ。
何も見ずに、様々な歌を間違えることなく歌うことができる栞は、本当に凄いと思う。
先ほどの暗い森の歌だって、普通は順番を間違えるだろう。
物語性は確かにある歌なのだが、あれは、不思議さ、不可解さを強調するために言葉の繋がりが分かりにくいのだ。
「そう!」
オレの問いかけに対して、栞は両拳を握って力強く答える。
「咲いた。咲いたよ!!」
それも凄く嬉しそうに。
咲いたのは笑顔だ。
まるで、大輪の花が開いたかのような……。
「あなたの周囲に、今、咲きたてほやほやの花たちがある!!」
咲いたのは頭の中だったか?
どうして、この女はこう、いろいろと残念なのだ?
「料理の出来立てみたいに言うなよ」
独特な言葉選びに呆れつつも、自分の周囲を見ると、先ほどまでなかった場所に、確かに光っている花がいくつかあった。
「わたしが確認できただけでも、10個以上は咲いた」
思ったより多い。
いや、それ以上に……。
「オレの歌でも効果があるのか」
ミタマレイルの花が、人の想いを吸って咲くというのは嘘ではなかったらしい。
まあ、それを教えてくれた人間は今も昔もオレに対して、嘘を吐くような人間ではないが、年齢的に、間違って覚えていることや夢のあることを教えられている年代でもあったのだ。
考えようによっては、歌うことによって、少し滲み出たオレの体内魔気に反応したことも考えられる。
オレが使う古代魔法も、一般的に使われている現代魔法も、想像力によって、創造されるものでもある。
あの頃、花が咲いていたのは、この場所がそれだけ、オレたちの魔法を吸っていたのかもしれない。
まあ、どちらでも良い。
オレの歌でも。ミタマレイルの花が咲いたということが重要なのだ。
「ほれ、お前の番だぞ」
「何を歌おう?」
栞はどこか余裕の表情を見せる。
歌い慣れているというのもあるのだろう。
だが、どうせなら……。
「童謡系を外せるか?」
「ほげ?」
そう提案してみた。
だが、その反応はなんなのだ?
「ああ、できれば合唱曲も」
「ほぐぇ!?」
さらに叫ばれた。
「たまにはお前の邦楽も聞いてみたい」
基本的に栞が歌う歌は、小中学校の音楽の教材に掲載されているようなものが多い。
覚えるだけ歌っているということだろう。
だが、栞の可愛い声で、人間界の流行歌を聞きたくなった。
彼女とカラオケに行ったのは、一度だけ。
その時、聴くことができたアイドル系の可愛らしい歌は、今にして思えば、かなり貴重なものだったと言えるだろう。
「先ほどわたしが歌った暗い森の歌も邦楽ではないですかね?」
「あの公共放送の音楽は童謡、唱歌に近いだろ?」
確かに邦楽ではあるだろう。
だが、今、聞きたいのはその種類の歌ではない。
たまには、「聖女の卵」っぽくない歌を聴きたくもなるのだ。
「邦楽、邦楽か~」
栞は腕を組みながら唸っている。
そんなに難しい注文をした覚えはないのだが……?
同じ年代の女って、流行りの歌とかをチェックしているものじゃなかったのか?
それに、カラオケで聴いた限りでは、栞はかなり多ジャンルの歌を歌っていた覚えがあるぞ?
「よし!」
ようやく、決まったらしい。
栞は顔を上げた。
「久しぶりだからな~。歌詞を間違えるかも」
それは想定内だ。
流行りの歌といっても三年も前の話である。
それだけ年月が過ぎ、さらに、それ以来、一度も聞いていない歌となれば、そんなに覚えていられるものでもないだろう。
それでも、ちょっと期待してしまう。
栞はどんな歌を選んだのだろうか?
可愛らしいアイドルソングか?
意外にも男性ボーカルの激しいロックか?
それともゲーム好きだから、ゲームのイメージソングか?
そういえば、格闘ゲームが映画化したりもしていたな。
栞の口からたまに格闘ゲームっぽい単語が出てくるから、その辺りの歌の可能性もあるな。
だが、オレの主人はどうあってもオレの思い通りの行動をとってくれないらしい。
いや、下手じゃないんだ。
寧ろ、昔、聴いた歌よりは、上手い気がする。
しかも、その歌の性質か、情感が籠り、思わず背筋が震えてしまった。
さらに、いつもとは違う種類の色気すら覚える。
そんな意外な一面を見た気分だが、それ以上に、この光景はなんだ?
どうして、この女は歌だけに集中させてくれないんだ?
仕方ない。
それがオレの主人である高田栞の性質なんだろう。
そう思わなければ、やってられねえ!!
「九十九?」
歌い終わった後、何も言わなかったためか、栞がオレの名を呼ぶ。
「ああ、悪い。ちょっと、予想外のことが連続で起きたから、つい……」
「予想外?」
栞は状況を分かっていないのか、不思議そうに首を傾げた。
まず、何から話すべきか?
歌だな。
一番、分かりやすい。
「確かに邦楽……、邦楽だけどよぉ……」
栞の選んだ歌は本当に意外過ぎた。
だが、悪いわけではない。
寧ろ、良かったのだ。
そのことが、妙に悔しいのは何故だろう?
期待した方向性のものではなかったからだろうな。
「演歌は立派に日本で作られた邦楽だよ?」
そう。
栞が歌ったのは、演歌だった。
昔懐かしの歌謡曲や、流行っていた歌よりも、ずっと邦楽の名に相応しい歌ではあったのだが……。
「……というか、お前はいくつだ?」
「あなたと同じ年齢だったと記憶していますが?」
聴いたことはある歌だったが、懐かしの歌特集に入るような歌であった。
俗に言う昭和の歌だ。
下手すると、先ほどの歌は、栞の母親である千歳さんの世代よりも上の人間たちが好むような歌ではないだろうか?
しかも、タイトルが思い出せない。
最初の歌い出しの印象が強すぎて、それがタイトルだと思ってしまうが、多分、違う。
「酒を呑まねえヤツが酒を飲んで酔う女の歌を歌うなよ」
「昭和の歌姫が川を人生に見立てて歌った歌や、冬の東北の雪景色を歌った演歌と迷ったけど……」
その二曲も心当たりがある。
どちらも昭和の歌に近い。
いや、川の歌の方は、ギリギリ平成だったか?
「母がよく歌っていた歌だから、これは歌えるかなと」
お酒を呑む千歳さんなら似合いそうだと思いかけて、そんな弱さを感じさせる人ではなかったことを思い出す。
「千歳さんの歌う種類の歌としてもどうなんだ?」
酒を飲んで忘れたいではなく、酒を飲んで忘れるに限る! と言いながら、楽しそうにガバガバと飲む気がした。
オレの周囲に嫋やかな女など存在しない。
改めて、オレはそう思った。
だが、同時にそんな女にオレが惚れるはずがないと、自分でも思うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




