それぞれが選んだ歌
「まさかあなたが、『Grandfather's Clock』を歌うとは……」
その意外な選曲にわたしは驚きを隠せなかった。
「あ? なんだ、それ」
「さっき歌った曲の原題。あなたが歌ったのは日本語訳だけどね」
もともとはアメリカの歌だった。
作詞作曲者が、イギリス旅行中に見つけた大きな振り子時計があって、それにまつわる話が元になったとかなんとか。
昔、伯父さんからもらった少年漫画の中に、そのモデルとなった時計と同じ種類のアンティーク時計を取り扱った漫画があって、それで覚えていたのだ。
因みにその漫画によると、それよりももっと小さい「Grandmother's Clock」と呼ばれる種類の時計もあるらしい。
「感情を込めやすい歌を考えたら、お前が以前選んだように童謡系になったんだよ」
「まあ、子供でも歌いやすいような歌だからね」
先ほど九十九が歌った歌を童謡の括りに入れて良いのかは謎だが、その気持ちは分からなくもない。
童謡は覚えやすく歌いやすいし、気分よく歌えるのだ。
「でも、わたしが歌った森の歌よりも、ある種、暗い選曲だよね?」
確かに明るくノリの良い曲調であるが、その持ち主が亡くなったことや、その時計も止まってしまうことが歌詞の中にある。
まあ、百年も生きていたわけだから、大往生ではあるのだろうけどね。
「まあな。確かに歌っている時にそれは気付いた」
ああ、それで、終幕に当たる三番部分で少し迷ったのか。
この歌を聴いたのは小学生以来だと思う。
でも、低い声で歌うとまた違う響きがあるんだね。
「花は咲いたか?」
九十九自身は歌に集中していたらしい。
「そう!」
わたしも聞き役に集中したかったが、状況的にそうはいかなかった。
「咲いた。咲いたよ!!」
九十九が歌っている最中にも少しずつ、ポワポワッとした花が丸く膨らんで、光り出したのだ。
「あなたの周囲に、今、咲きたてほやほやの花たちがある!!」
「料理の出来立てみたいに言うなよ」
咲いたのは一つや二つではなかった。
「わたしが確認できただけでも、10個以上は咲いた」
全部は確認できていないと思う。
半分は九十九を見ていたせいもあるかもしれない。
だから、彼の周囲で咲く花しか見えなかったのだと思う。
「オレの歌でも効果があるのか」
どうやら、人の想いを吸って咲くというのは誇張ではなかったらしい。
いや、歌うことによって、少し滲み出る体内魔気に反応している可能性もある。
考えてみれば、魔法だって人の想いの塊だ。
そうなると、魔法を使った方が咲きやすい気がしてきた。
「ほれ、お前の番だぞ」
「何を歌おう?」
これまで歌の指定があることが多かったから、一曲だけを選曲するのは確かに難しい。
そうなると、無難に童謡、合唱曲?
「童謡系を外せるか?」
だが、九十九からそんな提案があった。
「ほげ?」
「ああ、できれば合唱曲も」
「ほぐぇ!?」
何故に?
「たまにはお前の邦楽も聞いてみたい」
さらに重ねて何故に?
「先ほどわたしが歌った暗い森の歌も邦楽ではないですかね?」
「あの公共放送の音楽は童謡、唱歌に近いだろ?」
まあ、邦楽でもあるけど、童謡に近いと言えば納得できなくはない。
実際、文部省唱歌と呼ばれる種類の歌も昔は流れていたらしいからね。
「邦楽、邦楽か~」
この世界に来てから既に三年。
邦楽……、J-POPと呼ばれる種類の歌はフルで歌いきれる自信がある方が少ない。
もともとカラオケだって歌詞表示に頼っていた部分はあるのだ。
九十九のようにラブソングを何曲も歌えるほどの記憶力はわたしにはなかった。
昔のわたしは何を歌っていたっけ?
流行りの歌は友人からCDを貸し借りすることで、なんとか覚えている状態だったし、テレビの音楽番組もそこまで見るほどではなかった。
アニソンは、ラジオ番組で聴いていたが、自信を持って、しっかり最後まで歌えるのは一番までだ。
うぬう……。
九十九は軽い気持ちで提案したのかもしれないけれど、実は結構な難題である。
だが、九十九のリクエストだ。
それに応えないわけにはいかぬ!!
九十九は自由に歌っておいて、わたしだけ指定があるのっておかしくはないかと後で気付くわけなのだが、この時に気付けなかったのだから仕方ない。
何とか、懸命に思い出して、記憶を頼りに歌い切った。
「…………」
だが、歌い終わった後、九十九は無言。
これは一体……?
実は、変化なし?
「九十九?」
思わず、その名前を呼んだ。
「ああ、悪い。ちょっと、予想外のことが連続で起きたからつい……」
「予想外?」
しかも、連続で?
わたしは首を傾げる。
「確かに邦楽……、邦楽だけどよぉ……」
「演歌は立派に日本で作られた邦楽だよ?」
母がそう言っていた。
まあ、母が言うには、演歌だけでなく、歌謡曲と呼ばれる歌も、ロックも、日本人が作曲していれば全て邦楽となるらしいけれど。
「……というか、お前はいくつだ?」
「あなたと同じ年齢だったと記憶していますが?」
わたしが歌ったのは、自分たちが生まれる前に歌われていたらしい演歌だ。
昭和の歌謡曲とも言う。
タイトルは霙を意味しているが、あまり直接関係はない。
ちょっと我儘さんな印象はあるけれど、失恋した女性なら、ある程度誰かに甘えたくなるのは仕方がないよね?
「酒を呑まねえヤツが、酒を飲んで酔う女の歌を歌うなよ」
呆れたようにそう言われても、わたしに歌えそうな歌が、それぐらいしか思いつかなかったのだから仕方ない。
「昭和の歌姫が、川を人生に見立てて歌った歌や冬の東北の雪景色を歌った演歌と迷ったけど……」
それらは技術的な意味で断念した。
あの高低を出す技術を、一度も練習なしに出せる気がしない。
「母がよく歌っていた歌だから、これは歌えるかなと」
「千歳さんの歌う種類の歌としてもどうなんだ?」
そんなことを言われても困る。
そして、この歌を聴いていたから、わたしは母が、わたしの父親に当たる人に捨てられたのかなとも思っていた。
実際は、捨てられたわけではなさそうだってことは今なら分かる。
いや、話を聞く限り、その状況的に母の方が捨てた気もしなくもない。
セントポーリア国王陛下に事情を何一つとして話さないまま、娘とともに、生まれた世界へと戻ったわけだから。
「それで、花は?」
もともと、歌の種類よりもそちらの方が大事だ。
「咲いたよ」
「どれぐらい!?」
わたしが九十九に確認すると、彼は大きく息を吐き、指を差す。
「そこらの花だ」
「ほ?」
確かに咲いているけど、どれぐらい咲いたのかが分からない。
数は、増えているような、そうでもないような?
もっと分かりやすく一斉に咲くと思っていたから、逆に拍子抜けした。
「生え替わった」
「へ?」
今、九十九はなんと?
生え……?
「お前が歌い出してから、光っていたミタマレイルの花々から光が飛び出して、一斉に種子に変わった上、さらに芽吹いた」
「ちょっ!?」
さらに続けられる衝撃的な言葉に驚きを隠せない。
「そのまま、急成長して、再び咲いたってわけだ」
「どうなってるの!?」
この世界の植物は本当におかしい!!
「ミタマレイルの花は本来、咲いた後、一週間ほど夜に光り続け、七夜目の夜明け前に冠毛が落ち、子房だった部分が種子に変わって、再び芽吹くんだが、それをまさか早送りされるとはな」
「早送り!?」
本当にどうなっているの!?
それって、ちょっと何かが変化したって話じゃないよね!?
「それだけ、想いを吸ったってこと……、なのか?」
九十九も首を捻っている。
「そうと分かれば、二回戦もやるか?」
「やらない!!」
再び、珍現象を起こす可能性があるのに、そんなことができるはずもない。
「じゃあ、もう一度、オレが歌う」
「ほ?」
「最初はオレの方が自由過ぎたからな。今度は歌わなくて良いよ」
それって……。
「但し、今度はもう少し離れた場所から全体を見ろ」
「ふほ?」
もう少し離れた場所から全体を?
「オレの歌でも咲くってことは分かったからな。それなら、お前の歌でなくても、確認はできる」
そう言いながら、九十九はわたしの手を引く。
「ここから、湖の方を見てろ。オレの方じゃねえぞ」
そう言って、広場の端の方、木々の立ち並ぶ少し手前で止まる。
あれ?
さっき、周囲の花ではなく、九十九を見ていたことがバレてる?
「お前の歌に対抗してやる」
九十九は挑戦的な笑みを浮かべた。
「ま、まさかの演歌?」
「違う。でも、似たような歌だ」
音域の広い九十九の演歌も気になるけど、残念ながら違うらしい。
だけど、九十九が歌い始めた時、周囲の空気が明らかに変わったことだけは分かった。
それは、遠くへ離れていく想い人との別れを歌った歌。
聴くだけで、幼い頃から見ていた相手が大人になって綺麗になり、自分の傍から離れていってしまう光景が、ありありと浮かんでしまう切なさを覚える歌だった。
この歌は、母も好きだったし、自分も好きだったから何度も聞いたことがある。
何なら、わたしもフルで歌う自信すらあった。
でも、駄目だ。
この歌をわたしは、九十九の前で歌える気がしない。
―――― どうして、この歌を選んだの?
そんな疑問も浮かんだが、それを本人に尋ねることはできない。
ああ、どうして、このタイミングで、彼はこの歌を歌ったのか?
季節は春ではないし、今は雪も降っていない。
でも、雪のような光が次々と彼の周囲に増えていくのはわたしでも分かる。
その数はあまりにも多くて、もう数えきれない。
このミタマレイルの花が、人の想いを吸って咲く花だというのなら、今、九十九はその歌にどれだけの想いを込めているのか?
自分の中でゾワゾワと何かが動いていく。
腕や背中に鳥肌が立っているのが自分でも分かった。
―――― これ以上、考えてはいけない
それが、分かっているのに、疑問が尽きない。
ねえ?
どうして、わたしの前でこの歌を歌ったの?
雪のようなどこか切なくて儚げな光に囲まれたまま、わたしはただひたすら、答えを探すのだった。
原題の方は既に著作権が切れているために出しました。
でも、日本語訳でよく歌われているものと違い90年間動き続けたらしいです。
百年じゃなかったことに微妙にショックでした。
主人公の歌った演歌は、平成生まれはもう知らないと思います。
冬の雨はまだ止まないそうですよ?
飲みすぎ注意な歌です。
この主人公にしては意外な選曲ではないでしょうか。
そして、最後の護衛・弟が歌った歌はカバーされることも多いので、若い世代もご存じだと信じている!!
だが、SNS世代に共感されるかは謎だとも思います。
電話することが難しい時代もあったらしいですよ?
さらに携帯などなかった時代に作られた歌です。
良い歌なので、是非、探し出して聞いてみてください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




