夜の森
服を買って、それ以外にも魔石や薬草、食材など、細々としたものを買った後、わたしと九十九は、セントポーリア城下で夕食を食べることにした。
城下で食事ができる所はいくつかあって、その中の一つ、城下の森の近くにある大衆向けの食事処を選んだわけだが……。
「まあ、食えるな」
「…………」
九十九は食べられると言ったが、わたしは閉口するしかなかった。
同時に自分がどれだけ恵まれていたのかも理解する。
この食事処は、わたしたちが三年前に住んでいた場所に近いのだ。
つまり、九十九や雄也さんのどちらも料理ができない人たちだったなら、ここに食べに来ていた可能性はかなり高い。
「どうした?」
「わたしは幸せ者だった」
「過去形にするなよ」
わたしが本当は何を言いたかったのかが分かったのか、九十九が苦笑する。
「あなたならどうする?」
「あ~、ここでは言わね」
今は余計なことを口にする気はないらしい。
確かに、ここで、九十九がいつものように料理の知識を披露したら、誰かが反応してしまう可能性はある。
現状の料理に不満を持っている人だけでなく、この食事処にいる料理人自身も、作った料理に対する意見には過敏に反応することもあるだろう。
まあ、当然だ。
明らかに素人から自身の料理を批判されるのは嫌だと思う。
例え、それが正しくても、素直に受け入れがたいだろうし。
だから、沈黙を選んだ。
料理青年は、今回、下手に目立つことを避けるために。
「でも、同じ食材を後で買って、家でもっとマシなものを食わせてやる」
そうこっそりと口にする。
やはり、料理青年はどこまでも料理青年らしい。
ちょっと楽しみが増えた気がした。
「この料理と同じ食材が分かるの?」
「オレを誰だと思っている?」
「料理人」
「…………」
九十九が食材を当てることなんて珍しくはない。
でも、それがどこまで完璧なのかは使っている料理人にしか分からないことだろう。
まあ、何にしても、九十九が作ってくれる料理は美味しい。
だから、何も問題はないのだ。
「お前がオレを料理人扱いするのは今更だが……」
さて、今回、城下をあちこちするにあたって、わたしたちはあることを取り決めていた。
それは、お互いの名前を口にしないこと。
十年以上経っているとはいえ、城で暮らしていた九十九の名前を覚えている人間がいるかもしれないし、わたしの名前に至っては、国際的な指名手配に近い状態にある。
それで、それぞれの名前を言い合うのは良くないだろうと判断した。
また仮名を考えるかと思ったけど、それはそれで互いに反応しづらいし、うっかりいつもの呼び名が出る可能性もある。
そのため、逆に名前そのものを口にしないと意識し合う方が良かった。
親しくならない限り、一市民が名乗り合う機会なんてほとんどないから仮の名前はなくても大丈夫だと思う。
だから、九十九はわたしのことを「お前」と呼ぶことにしたようだ。
護衛らしく、「お嬢様」と迷ったらしいが、それではわたしが反応できないので止めたらしい。
そして、わたしは九十九のことを「あなた」と呼ぶことにした。
ぬ?
なんか、この呼び名って、どことなく、夫婦っぽい?
考え過ぎ?
主人と護衛の呼び名にしてはかなり不自然ではあるのだが、逆に、周囲に対して、高貴な立場を誤魔化しているように見せることができるらしい。
呼び名一つで、周囲の人間たちが、そこまで考えるかは分からないけどね。
「ああ、お茶は美味しい」
食後に出されたお茶は、料理よりも美味しかった。
まあ、凄く美味しいというわけではないけれど、口直しにはなる。
しかし、ここの料理の味がこの世界の標準だとしたら、人間界の日本人たちには耐えられない気がした。
それでも、以前、この国の国境の村で、水尾先輩から食べさせられたおにぎりのようなものよりはずっとマシな味だとは思うけど。
おにぎりのような見た目をしながら、口にした途端、砂を噛んだ時のような食感があったり、甘いような辛いような苦いような酸っぱいような不思議な味がするのは、半分日本人の血を引く身としては、納得がいかないものがあって、悪い意味で忘れられない味となっている。
「オレなら、もっと上手く淹れられる」
「知ってるよ」
九十九としてはこのお茶も納得できない味だったのだろうけど、それをちょっとふくれっ面で言う辺り、可愛いと思う。
「この世界では舌が肥えると生きるのが辛そうだ」
「馬鹿言え。美味い料理の味を知らない方が不幸だ」
「それも一理あるけれど、一度、食生活を高水準に持ってきてしまうとなかなか引き下げることはできないって言うじゃないか。実際、毎日、あなたの味を食べていると、他の味が難しくなるよね」
食事に限らず、生活水準そのものにも言える話だ。
わたしは、彼らのおかげでお金に関する苦労を知らない。
これって、彼らと離れた時、わたしは大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。
勿論、無駄遣いはしていないと思う。
自分にとって、必要な物以外の買い物に興味はないから。
九十九や雄也さんは、たまにどうかと思うような買い物をするけれど、それは彼らのお財布内の話だ。
わたしはそこまで口出しはすることができない。
「オレの味って……。ああ、料理か。料理だよな」
九十九は一人で妙な納得の仕方をしているけど、料理以外で味って何があるのだろうか?
お茶?
それとも、お菓子?
九十九の中で製菓は料理に入らないってこと?
「ああ、今のは気にするな。こっちの話だ」
はて?
わたしの言葉を聞いてからの返答だったはずなのに、九十九の話?
ああ、独り言だったのか。
「あなたならこのお茶にどんな食事を合わせる?」
「オレがこのお茶を淹れたら、菓子向けの味になる。だから、クッキーみたいな焼き菓子系かな」
この世界では本当にお茶すら淹れにくい。
しかし、お菓子向けの味と、食後のお茶向けの味か。
その違いがわたしには分からぬと言ったら、また呆れられるだろうか?
「じゃあ、家に帰るか」
「うん」
食後のお茶まで飲み終えて、会計まで済ませた後、九十九がそう言った。
「ここは星があまり見えないね」
店を出た後、なんとなくそう口にする。
「まあ、城下の明かりがあるからな」
町の明かりで星が見えにくくなるのはどこの世界も一緒らしい。
「でも、森の……あの家の場所なら割と見えるぞ」
「木が邪魔しない?」
あの湖のところはともかく、他は木が生い茂っている。
「あの周囲はそこまで木に覆われていないから見えるぞ。でも、今、考えると、オレたちが住んでいたあの小屋も、上から見えないように保護色ぐらいの処置は、やってたのかな」
九十九がポツリと呟いた。
その声が少しだけ淋しそうな気がしたので、なんとなく、九十九の手を握る。
「どうした?」
わたしの行動は突然だったというのに、九十九は驚いた様子もなく、微笑みを向ける。
「握りたくなった」
「そっか。まあ、お前が握らなければ、オレの方から差し出すところだったから丁度良いか」
なんだろう?
どことなく、馬鹿ップルな会話にも聞こえる。
今回は「彼氏(仮)」ではなく、普通に「聖女の卵」とその護衛だ。
そして、「聖女の卵」のことなんて知らない人たちには、ちょっとお金持ちのお嬢さまとその護衛に見えるようにしている。
だから、言葉に甘さは要らない。
つまりこれは素でやっているということだ。
天然は恐ろしい。
「今度はこっちから入るぞ」
「ほげ?」
「城下の森は、入るだけなら入り口は多いからな」
九十九の言葉に気付けば、真っ暗な森の中に入っていた。
よくホラーとか、RPGに出てくる夜の森につきものの、フクロウとかのような夜行性の生き物の鳴く声とかは聞こえない。
そして、先ほどの九十九の台詞の真意を知る。
確かにこの森に入るなら、九十九の手を握っていた方が安全なのだ。
「夜は雰囲気が違うね」
「森はそんなものだ」
確かにリヒトと出会ったあの「迷いの森」で一月ほど野宿をしていたが、夜は一気に暗くなった。
あの時も、平原での野宿とは随分違うと思ったものだ。
暗い森。
真っ暗な森。
それも、どこか不思議な感じがする森。
「時計を見ると、逆さまに回るのかな……」
なんとなく、とある歌を思い出して口にする。
「お前、公共放送局のあの歌シリーズ、好きだった人間だろう?」
「保育士だった母が好きだったんだよ。そして、それが分かるあなたもそうだったんじゃない?」
先ほどの一言だけで分かるって、結構、凄いと思うのです。
「暗い森だし、耳を澄ましても何も聞こえないなら、どうしても、あの歌を思い出しちゃうんだよね」
「どうせなら、もっと明るい歌を思い出せよ」
そんなことを言われてもこの森の独特な雰囲気によって、あの歌を連想してしまったのだから、仕方がないと思う。
「歌っても良い? ここなら、あなた以外いないでしょ?」
そして、思い出したら歌いたくなった。
わたしの悪い癖かもしれない。
でも、駄目だと言われたら我慢するつもりだ。
九十九に負担をかけたいわけではないから。
「銀の装飾品は?」
「バッチリ!!」
誰もいなくても、警戒はしてくれる護衛の鑑。
だが、そこに抜かりはない。
今のように、ふと歌いたくなった時のために、いつもちゃんと身に着けているのだ。
「首と腕、それに足か……。それなら……」
九十九の許可が下りたので、遠慮なく歌うことにした。
「その暗い歌をこんな暗い森で嬉しそうに歌うのは、お前ぐらいだよな」
そんな呆れた声を耳にしながら。
今回のこの会話だけで、何の曲か分かる方はいらっしゃるでしょうか?
そして、暫く、歌ネタを引っ張る予定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




