いつものように
「追っ手としてやってくるのが、親衛兵士……?」
千歳の言葉に案の定、水尾は怪訝な顔を見せる。
この国の「親衛兵士」と呼ばれる存在は、王族の私兵だと知識のどこかにあったからだ。
「この国の王妃殿下は私情で兵士を動かせる方。お気に入りの身内が泣き付けば、喜んで親衛騎士すら使おうとするでしょうね。まあ、城下で騎士団は動かしにくいから来るのは兵士だとは思うけど」
「うげ……。この国の王妃殿下って、本当に我が国の王族とは異なる視点の持ち主なんだな」
噂には聞いていたけど……と水尾は付け加えた。
「本来はものすごく危険思考よね。兵士、騎士というのは国やそこに住まう民たちを守るために存在しているはずなのに……」
そう言って、千歳はほうっと溜息を吐く。
九十九としては、千歳の嘘とまでは言えない程度の、絶妙な話し振りに別の意味で息を吐きたくなった。
上手く誤魔化す話術というか、情報を完全に隠さず小出しにすることで、その本質をぼかしているというか……。
同時に、勉強になるとも思う。
兄との会話も違う話術だった。
「でも、外にまで……それも大陸外にまで知られているのね。この国の王妃殿下のことは……」
千歳はまた溜息を吐く。
「噂でしかないですけれどね。ほとんどの人は面白おかしく誇張して伝え、その信憑性についても深く考えても仕方ない程度の話ですよ」
「それでも……、国としては良い傾向ではないわね。他国に侮られてしまうわ」
早急に何とかしないと……、そう続けた千歳の瞳には一瞬だけ炎が宿ったかのように水尾には見えた。
それだけでも彼女をただの人間とは考えられない。
暴走した自分を制止するだけの魔法。
生まれた場所でもない国のことを真剣に考え、悩み、動こうとする行動力。
人間界で培われたと考えられる交渉術や鋭い外交感覚。
そして、何よりも意思の強さ。
これだけのものがあれば、他国では重用される可能性が高いが、ここは伝統や規律を重んじる保守的な国である。
大した地位にない女性の言葉など、聞き入れはしないだろうと考えると、勿体無いというしかなかった。
この国以外……、特に単独でも動ける辺り、情報国家が喜びそうな種類の人間だとも思える。
あの妙に明るい口調ながらも隙がない国王陛下ならば、喜んで招き入れることだろうと水尾は溜息を吐く。
あの国王陛下は、今の自分の立場からしても会いたくはない人ではある。
自分のペースを乱されるというか狂わされるというか、上手く肝心なところはお茶を濁されてしまうというか……。
知っている人間にどこか似ている気がして、凄く不快な気持ちになるのも会いたくない理由の一つとなっているのだが。
「九十九、これもわたしの荷物に追加できる?」
「あ? なんだ? この箱……」
そんな水尾の気持ちをよそに、すぐ近くで栞と九十九が会話を交わす。
「ん~? 御守り?」
それはどこか他人事のような口ぶりだった。
「魔法具だとまたあの圧縮箱に入れる必要があるが……」
「いやいや、そ~ゆ~のじゃないみたい。首につけるチョーカーとリボン。つまりはアクセサリーってヤツだね。母が、持って行けって」
「ふ~ん。まあ、元々お前の荷物は少ないからゆとりはあるが……。念のため、中身の確認をしても良いか?」
栞は魔力を知覚できない。
だから、千歳から渡された物とは言え、それに危険がないかどうかの確認を九十九はする必要があった。
「中? こんなのだよ」
はいっと、栞は手に持っていた箱からリボンと思しきものを取り出して見せたのだが、九十九の目にはただの古く黄色い布切れにしか見えなかった。
そして、御守りという割には魔力や法力などの特別な力も感じない。
「ま、千歳さんが言うなら、これにも何かの意味はあるとは思うんだが……。ちょっと待ってろよ」
そう言いながら、九十九は荷物の中から栞の荷物が入った箱を取り出して、新たに手渡された箱を入れる。
その行為を見て、栞は軽く胸を撫で下ろす。
魔法を使うことができない栞には、荷物を小さくしたり、別のところに置いてある物をどこからか取り出したりするような術はないため、自分の荷物に関することはどうしても、誰かを頼る必要があった。
千歳から先ほどの小箱を手渡される際、栞はいくつかの注意すべき言葉を聞いたのだ。
そしてそれらをどうすべきなのかも。
正直、母の言葉にはかなり疑問もあったのだが、そんな娘の視線に対し、千歳はただ微笑むだけだった。
本来、それについて、千歳が自分でやりたかったことだったが、彼女はこの国から動かない道を選んだ。
だから、後を娘に託したのだ。
栞としては、奇跡でも起きない限り、言われたとおりの行動をとれるとも思えなかったが、それでも母の心からの願いである以上、拒絶することはできない。
それに……、とても大事なものだということはそれぞれの説明で分かってしまったことも理由の一つだろう。
そんな栞と千歳は、特別な別れの言葉をかけあうことはしなかった。
母から娘に掛けられた言葉のほとんどは今後の注意点、具体的には雄也と九十九に迷惑をかけるなということだったようである。
それと、先ほど託された願い。
後はお互いに気遣う言葉をいつものようにかけあったぐらいだった。
栞はこれから千歳にとっても未知である世界へ歩みを進めようとし、千歳は栞から見れば敵陣に乗り込むようにしか思えない。
それでも、お互いは信じていた。
「じゃ、もう行けるか?」
九十九が外に目線を向けながら、栞に声をかけた。
「うん」
栞は大きく頷く。
その短くも強い言葉に少しも迷いは感じられない。
「水尾さんも大丈夫ですか?」
それを確認して、九十九は水尾にも声をかける。
「あ~、少年? 先ほどの話からすると、あの男はこのまま置いていくのか?」
「あの男? ああ、兄なら様々な事後処理と、千歳さんを送り届けてから合流する予定ですよ」
「来るのか」
「来ますね」
「うげ~」
水尾は露骨にその端整な顔を歪んだものに変える。
「なんで、水尾先輩はそんなに雄也先輩のことが苦手なんですか?」
この場合、苦手というよりは嫌悪だろうと栞の言葉を近くで聞いていた九十九は思った。
初対面からいきなり胸倉を掴まれたのもその辺りにある気がするのはなんとなく感じていたが、兄の業が自分に返ってくるのはおかしいとも思う。
「あ~、単純にあの人とは合わない。それだけだ」
それだけであれほどの敵意はないだろう。
水尾が後輩に対して言葉を濁したのは九十九にもよく分かった。
どうやら、あまり聞かせたくはない話のようだ。
「雄也先輩、良い人なのに……」
「「はあ? 」」
水尾だけではなく、九十九まで思わず顔を歪めている。
「兄貴は、千歳さんと高田の前では猫を被っているからな~」
「猫ぉ? それぐらいで誤魔化せるようなドス黒さじゃねえだろ? あの人……」
2人がそれぞれ感想を口にするが、栞は不思議そうな顔をするだけだった。
「お話も良いけれど……、そろそろ出た方が良いんじゃない? あまりゆっくりはできないでしょう?」
そう千歳に促され、3人は足早に家を出る。
「栞」
千歳は栞の名を呼ぶ。
彼女は娘が産まれてからずっと、その手を離さずに来た。
だが、並の人間ではありえないような体験、経緯により授かった娘は、自分が思っていたよりも早めの巣立ちをさせることとなってしまった。
その点についてはいろいろと母として思うところがないといえば嘘になってしまう。
だが、それでも彼女たちは互いの意思でこの道を選んだ。
「いってらっしゃい」
千歳がいつものようにそう口にする。
まるで、今から登校する娘を送り出すような気軽さで。
「行ってきます」
だから、栞もいつものようにそう応えた。
まるで、学校や近所に買い物にでも行くような気楽さで。
「九十九くん、それに水尾さん。こんな娘だからあなたたちには何かと迷惑をかけてしまうと思うけれど、よろしくお願い致します」
千歳は先ほどまでとは打って変わって、2人に深々と頭を下げる。
「いえ、こちらこそお世話になります」
そう水尾は返事をし……。
「高田のことはできる限り手を尽くします。千歳さんの方こそ御身、お気をつけください」
九十九も頭を下げた。
そうして、微笑む千歳に見送られながら、三人はゆっくりと歩き始めた。
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この場にいる者たちはまだ誰も知らない。
この旅の果てに何が待っているのかを。
運命の女神の導きにより、この世界をも巻き込む壮大な物語はここから始まるのだ。
第9章が終わります。
次話から第10章「始めの一歩、末の千里」。
異世界転移の基本(?)、冒険の旅が始まります。
残念ながら、お約束の魔獣狩りのような話はありませんが。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




