城下の森
「離れるなよ」
そう言いながら、九十九はわたしの手を握った。
この状態でどうやって離れることができるというのだろうか?
この手は絶対に離れないと確信している。
例え、わたしが転びかけても、離そうとはしないだろう。
「城下には行かないの?」
「城下は後だ。まず、拠点となる場所を確保する」
まずは、コンテナハウスの設置が先らしい。
確かに戻る場所があると安心できるもんね。
「こうしてみると、不思議な雰囲気のある森だよね」
「風属性の大気魔気が濃密だからな」
言われてみれば、確かに風属性の気配が強い。
尤も、セントポーリア城の地下ほどではないけれど。
わたしたちは今、セントポーリア城下の森と呼ばれる場所を目の前に立っていた。
城下の森は近くに寄るだけで方向感覚が狂うためか、周囲に人気はなく、わたしたちが二人並んで立っていても、誰かが見咎めるようなことはない。
本来、この場所には特段、用のない人間が近付くことはないためだろう。
城に用があれば、まず、城の人間が城下まで迎えに来るのだ。
この世界には移動魔法がある。
だからこそできる手法だろう。
そして、城にいる人間が城下へ降りる時も、移動魔法を使える人間が連れて行くことになる。
だから、わざわざ森を抜けるという選択肢を選ぶことはほとんどないらしい。
以前、城から王妃殿下の私兵たちが王子殿下のお気に入りの娘を探す時は、雄也さんが先導して、森を抜けたらしい。
それだけ大量の人員を雄也さんが運べないというのが表向きの理由だった。
実際は、単純に時間稼ぎだ。
城下に直接降りることができる私兵が全くいないはずがない。
だが、雄也さんの案内無しに、例の娘が見つかる可能性は低かった。
雄也さんだけがその娘と対面し、会話し、そして、城下まで送り届けていたのだ。
そして、王妃殿下の命令で探す娘を見つけたご褒美は早い者勝ち。
お互いがお互いを見張り、出し抜き合おうとする状況で、数名だけを移動魔法で連れ出すなど、私兵たちが認められるわけもない。
さらには、雄也さんも立場上、誰かを特別扱いはしないと宣言していたらしい。
つまり、集団で揃って仲良く城下の森を抜けることになったわけだ。
凄いよね、雄也さん。
「城下の森って、近付くだけで前後が分からなくなる錯覚を起こすんだけど……」
初めてこの森の近くに来た時、それだけで前後が分からなくなった覚えがある。
前を見ても、後ろを見ても森しかなかった。
来た道もなくなっていたのだ。
「ああ、ここは森が幻覚も見せるらしいからな」
「幻覚?」
「この森は『狂いの森』とも言われている。ミヤの話では悪戯好きな小精霊たちが多く棲んでいるらしく、入ってきた人間たちが迷う様を見て楽しむらしい」
それはまさに神の遣いらしい行動だ。
いい性格をしているともいえる。
「この森に小精霊がいるの?」
「オレには視えないがいるらしいぞ」
小精霊は、精霊の中でも下級精霊と言われている精霊だ。
だが、大気魔気とも言われる源精霊や微精霊よりも大きく、一般的に精霊と言えば、この存在を差す。
普通は目に映りにくいが映らなくもない微妙な大きさらしい。
わたしたちに関わりが深くなった「精霊族」と呼ばれる種族は、一般的には中級精霊と大精霊を差す。
精霊族は、リヒトたちのような「長耳族」、スヴィエートさんのような「綾歌族」などのように人型をしているモノもあれば、「翼羽族」のように人外もある。
細かく言えば、中級精霊も「庸精霊」、「央精霊」、「高精霊」とあり、上級精霊に「大精霊」がある。
さらにそれらを管理する「四大精霊」という存在があって、その頂点に立つのが精霊王らしいのだけど、この辺りはそれらを召喚して使役できるというオーディナーシャさまから聞きかじった程度の知識しかない。
ただ、いずれも精霊たちは、神の遣いであり、神力に似たようなものを持っているが、純粋な精霊族たちは、神力そのものを持つことはない。
だが、例外もある。
精霊族たちの中でも別種族との混血、「狭間族」と呼ばれている存在の中に稀に神力を宿す者が現れる。
具体的には人間と精霊族との間に生まれた子供だ。
神は面白そうな人間に神力を分け与える。
人間と精霊族との間に生まれた子供は神の目に退屈しない存在に映るらしい。
わたしが知る中では、長耳族と人間の間に生まれたと推測されたリヒトがそれに該当する。
それなら、見知らぬ人間だった王族たちを慕ってくれた理由にも納得できるというものだ。
中心国の王族たちは神の血を引いていて、精霊族たちを従える性質すら持っているらしいから。
でも、正直な所、リヒトがわたしたちに好意を示してくれたのが、そんな精霊族の血ではないと思いたいけどね。
「小精霊。小精霊か~」
「大気魔気が濃密な場所を住処とするらしいから、不思議ではないけどな」
九十九が森に向かって足を進めながらそう言った。
「そうなると、城にもいるのかな?」
セントポーリアも、ストレリチアも、カルセオラリアも、城の……、特にその地下の大気魔気は濃かった。
それらのことから、城は大気魔気の濃い場所に建てられているか、あるいは、城という場所は人間が多く集まるために、大気魔気が濃くなるのかのどちらかだろう。
「どうだろう? 城は人間たちの領域だから、いないと思うが……」
精霊たちと人間の住む場所は異なる。
それは、精霊たちの姿を見ることは珍しいと言われていることからも分かる。
「この森が小精霊の悪戯で幻覚を見たり、方向感覚が狂ったりするのなら、リヒトと出会ったあの『迷いの森』もそうなのかな?」
「あの『迷いの森』もそうだろうな。まあ、あの場所は小精霊じゃなくて、もっと上の長耳族たち自身がそうしていた可能性もあるが……」
長耳族は「高精霊」らしい。
楓夜兄ちゃんがそんなことを言っていた。
ジギタリスの王族はその長耳族の血が混ざっているとも。
だから、楓夜兄ちゃんは精霊遣いだし、同じ血が流れているリュレイアさまは神言を口にすることもあるほどの占術師だった。
高精霊は中級精霊でも上だ。
だから、知能も矜持も高い。
それでも、混血だからって同族の血が入っているリヒトを虐めることに何の疑問を持っていなかったのだから、本当に知能が高いとは思いたくないけどね。
「ただの自然結界ってわけでもなかったんだね」
そうなると、あの「音を聞く島」の結界も同じようなものかもしれない。
あの場所には精霊族たちの血を引く者たちがいっぱいいた。
その中の誰かが結界を維持していた可能性はある。
「自然結界と小精霊の悪戯は別物と言われているが、確かに繋げられなくもないな」
九十九は迷いもなく足を進めていく。
わたしには同じ景色しか見えない。
これも小精霊の悪戯なのだろうか?
「なんで九十九や雄也は道が分かるの? この森に住んでいたから?」
「いや、オレたちが森の中を行き来するようになったのは、城に行ってからだ。それまではずっと、家の周辺しか行ったことはなかった」
森に住んでいたからと言って、森に詳しかったわけではないらしい。
でも、家の周辺しか行ったことはなかったのか。
それって、かなり退屈だったのではないだろうか?
その頃の彼らは子供だし、今でも好奇心が強いのに。
「まだ三歳児だったからな。行動範囲の狭さに疑問も持たず、周辺で父親や兄貴と過ごすだけの日々だった」
それは初めて聞く九十九の小さい頃の話。
以前、あの島で、わたしが雄也さんから見せてもらったアルバムよりもずっと小さい兄弟のことだった。
「食事とかはどうしていたの?」
もっと聞きたくて、思わず質問を重ねてしまう。
「父親はたまに出掛けていたから、城下には出ていたのだと思う。この森での自給自足は限度があるからな。家の周辺に生えていた植物は苦い薬草ばかりで、まともに食えるモンはほとんどなかった」
「今の九十九なら料理できちゃうのでは?」
「どうだろうな」
わたしの言葉に九十九が笑った。
苦い薬草ってことは、その頃に口にしたことがあるのだろう。
乳幼児は何でも口にすると保育士だった母は言っていた。
今の九十九ならともかく、三歳の九十九はそんな何でも口にしてしまう幼児だったらしい。
いや、今の九十九も、食材に対しては似たような気がするけど。
こんな不思議な森の片隅に、父親と兄と、九十九は三歳四カ月ぐらいまで一緒に暮らしていたのか。
そう思うと胸が少しだけ痛むのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




