自分が生まれた国
「なんで、オレ、兄貴にトルクが合流する前の間に、少しだけセントポーリア城下に行きたいなんて言っちまったんだろう」
そこには明確な目的があった。
きっかけはあの「盲いた占術師」と呼ばれる女との出会い。
だが、これまでずっと気になっていたことでもあった。
オレは自国のことをあまりにも知らな過ぎる。
教養として知ってはいるが、その程度だ。
国に関する知識量だけ見れば、ほとんど他国と変わらない。
下手すれば、ストレリチアの方が、その城下も含めて詳しいぐらいだ。
たくさんの食材や薬草を扱っている店とか、美味い食事処とか、「聖女の卵」を専門に描いている姿絵屋とか。
だから、今更だが、知りたいと思った。
自分が生まれた国のことを。
だが、それはオレの我儘だ。
本来、栞の護衛であるオレは、彼女をあらゆる危険から護る役目がある。
そして、栞にとって、一番、危険な国はそのセントポーリアだ。
その国で最高権力を持つセントポーリア国王陛下ならば、全ての悪意を排除して、娘を隠し、護り通すことができても、オレにはそれができない。
物理的、魔法的な悪意や害意からは護れるが、権力という一市民にはどうにもならない力が相手となれば、国内外に限らず、オレは護ることができないのだ。
そんなオレが、護衛対象を危険な場所へと連れて行くと宣言するなど、当人から白い目を向けられても仕方のない行為ではあるのだが……。
「わたしも行きたい所だったから、ちょうどいいよ」
「あ?」
「セントポーリア。城は無理でも城下や城下の森には行きたいなと思っていたところだったからね」
栞はそう言いながら微笑んだ。
「なんでセントポーリアに?」
「モレナさまとの会話で思うところがあったんだよね。ある意味、始まりの場所だというのに、わたしは何も知らないって」
栞は頬に手を当てながら首を傾げる。
「母が呼ばれた国であり、自分が生まれ、少なくとも5歳まではそこで過ごした国でもある。『封印の聖女』の出身国でもあるし、過去に『聖女候補』でもあった幼い王族が殺されてしまった国でもある」
それは、確かにあの「盲いた占術師」と呼ばれた女から告げられた言葉の数々が影響しているのだろう。
「九十九と雄也に出会った国でもあるらしいし、人間界に行くきっかけになった国でもある。さらには、王子殿下から逃げるために、簡単には戻れない国にもなった。そう考えると、かなり特別な国だよね」
「まあ、普通の国ではないな」
オレにとっても特別な国である。
自分が産まれ育ち、主人に拾われ、育ての親であるチトセ様と、師となるミヤドリードにも出会った。
そして、栞が言ったように人間界に行って「高田栞」と出会うことになったきっかけでもある国でもある。
さらには、オレの母親はあの国で亡くなったらしいし、父親も師であるミヤドリードもあの国で眠っている。
確かにオレにとっても全ての始まりはあの国なのだ。
「だから、もうちょっと現地観光をしておきたいなと思ってね」
「おいこら。観光って言うな」
一気に軽くなるじゃねえか。
確かに本来は、国や地方の風景や史跡、風物などを見物することをいうが、近年ではほとんどは遊山……、娯楽の意味合いが強い言葉だ。
「どうせなら、今の状況も楽しもうよ」
「あ?」
「『聖女の卵』の我儘に付き合う護衛さん? そんな風に眉間に皴を寄せてピリピリ、カリカリしていたら、周囲も警戒しちゃうんじゃないかな?」
そう言いながら「聖女の卵」らしく穏やかに笑った。
気が付かないうちに、オレの雰囲気と表情が尖っていたらしい。
「おお。気を付ける」
栞に気遣わせてしまった。
オレは気合を入れ直す。
「それにしても、雄也も思い切ったことを提案するよね。大聖堂を経由して、『聖女の卵』として、セントポーリア城下にこっそり滞在しておいで……とかさ」
栞が「聖女の卵」の姿になっているのはそのためであった。
ストレリチアにいる神官たちは、姿絵の提供もあり、「聖女の卵」としての栞は知られている。
そして、各国の城下に建てられている聖堂に常駐するような神官たちも相当、呆けていない限り、「聖女の卵」の絵姿はともかく、容姿の情報は伝わっているはずだ。
大聖堂の「聖運門」を通じ、大神官の許可を携えた濃藍の髪、翡翠の瞳を持つ小柄で神秘的な女が現れたなら、その正体を明かさなくても、「聖女の卵」と勝手に結び付けてくれるだろう。
その分、手配書にある「ラケシス」や「シオリ」という名の亜麻色の髪、薄紫色の瞳を持つ女とは結び付けないだろうし、栞曰くセントポーリア国王陛下の使用人である兄貴に似たオレが傍にいてもその印象は薄まる。
目立つ女の横にいる男なんて、料理の添え物みたいなものだ。
意識すれば同じ皿にあることに気付けるが、普通はそこに存在することにも気付かれない。
「まあ、大聖堂を経由した方が、『聖女の卵』は今も隠れ住んでいると思わせられるから、ちょうど良いだろう」
そう言いながら、オレは栞に手を差し出した。
「今回は悪いが、お前を付き合わせるぞ」
「良いよ。お付き合いしましょう」
栞はオレの手を取りながら、そう言った。
オレを見つめる翡翠の瞳。
だが、間違いなく栞の顔だ。
「体調はどうだ?」
「よく寝てスッキリしたよ」
オレの手を握りながら立ち上がった栞の顔は化粧はしているものの、血色はよく見えた。
栞は国境を移動するたびに、体内魔気が激しく乱れる。
だから、リプテラにある聖堂から、大聖堂、セントポーリア城下の聖堂と移動する前に、薬を飲んで眠ってもらったのだ。
大神官には王女殿下に挨拶できない非礼を詫び、そしてセントポーリア城下の聖堂に勤める正神官に、「聖女の卵」は国境越えで体調を崩す体質があり、従者が抱えて移動することを先に伝えていただいた。
そして、「聖女の卵」はお忍びで、セントポーリア城下に訪問すること。
そんな状況で、万が一、神官や聖堂に関することで「聖女の卵」の身に何かあれば、その責任の所在はどこに行くかを考えろと脅しまでしていただいたようだ。
……ありがたい? 話である。
「はて? 今回は……、同室?」
周囲を見回しながら、栞が少しだけ困ったように首を傾げた。
以前、「ゆめの郷」でも同室どころか、同寝台ですらあったのだが、あの時は、上位者たちからの命令という理由があった。
そんな理由がなければ、流石に同室は抵抗があるらしい。
「いや、栞が寝ている間に休む場所として、ここは一時的に借りただけだ」
まあ、どう見てもこの部屋に寝台は一つだけだし、そのサイズもシングルだ。
あの「ゆめの郷」の宿泊施設にあった寝台のように、二人で寝ても余りあるようなサイズではないので、この部屋で二人というのは無理があるだろう。
いや、オレが床で寝れば問題ないが、栞はそれを許さない。
だが、それでも、栞の中で心境の変化があったことは、少しだけ残念に思いつつも、やはり安心する。
いつまでも寝具扱いされているのは嫌なのだ。
「基本的に、今回、寝泊まりする場所はコンテナハウスを使う」
「おや」
栞にとってこの城下は必ずしも安全な場所とは言い切れない。
だから、少しでも安全策を取る。
「幸い、近くに天然の結界があるんだ。そこを利用しない手はない」
「天然の……結界?」
栞がきょとんとした顔をする。
いつもと違う緑色の瞳がオレを映していた。
「すぐ近くにあるだろ? 自然に作られた結界。そこに入り込んだ人間が正しい道順を通らなければ迷ってしまう場所が」
「え? 城下の森?」
オレの言葉だけでその場所をすぐに特定したらしい。
「そうだ」
「あそこって、コンテナハウス使えるの?」
「あのリヒトと出会った『迷いの森』みたいに視界に入らない場所の方向感覚は狂うが、魔法の制限はない」
あの「迷いの森」と本当によく似ている場所だ。
方向感覚を狂わせるために、移動系の魔法が使えない。
だが、魔法自体は使える。
そして、そこで使った魔法の気配は外に漏れない。
その森の中にいれば、魔法を使った気配は分かっても、目の前にいなければその場所も掴めない。
さらに、どんなに大きな魔法を使ったところで、城にその気配が伝わることすらない不思議な場所だった。
「城下の森のどこにコンテナハウスを建てるの? あの森、王子殿下が来るよ?」
「ああ、そこで目を付けられたんだったな。だが、あの王子も森を熟知しているわけではない」
兄貴の話では、あのクソ王子は、オレたちが人間界へ行った後に作られた人工的な池しか行っていないと聞いている。
その奥にある天然の湖と広場までは知らないはずだ。
ミタマレイルが咲き誇るオレたちの出会いの場所。
「だから、大丈夫だ」
オレは栞を安心させるべく笑うのだった。
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