明らかに順番がおかしい
話は少し前に遡る。
「兄貴、トルクが合流するまでにどれぐらいかかる見込みだ?」
始まりはそんな一言だった。
「さあな。少なくとも年単位はかかるまい」
「それは、いくら目算でも大雑把過ぎるだろ」
「今回の話がどこまで波及するか見当が付かない。あまりにも不確定要素が多すぎるからな」
それは分かっている。
その上で確認したかったのだ。
「尤も、今日、明日中に終わる話でもないことは確かだ。肝心のウォルダンテ大陸の人間たちがまだ誰も来ないらしい」
「あ?」
ちょっと待て?
トルクスタン王子が報告してからどれぐらい経っていると思っているんだ?
まだ一月は経っていないが、先に最低限の現状把握のために先遣隊として調査団ぐらいは派遣するものだろう?
「先日、各国に大聖堂を通じてアリッサム城と思しき建物が発見されたと報告があったそうだ」
「ああ、もう公表されたんだったな」
そっちは予想よりもかなり早かった。
オレたちがあの島を出る直前、大聖堂からすれば、事態を知った後、たった数日で公表に踏み切っている。
大神官による後始末は、神速だったらしい。
「そのために、精霊族の島にまで手が回らないと返答があったらしい」
「いや、明らかに順番がおかしいだろ?」
トルクスタン王子が島の話をウォルダンテ大陸に報告したのは、大聖堂にアリッサム城発見の話を伝えるよりもずっと早かったのだ。
そして、オレたちが発見した順番だけでなく、アリッサム城で起きていたとされる事態は、大聖堂にとって不都合なことが多く、様々なことを隠匿する必要があった。
その後処理のために、すぐに公表できなかったはずだ。
実際、大神官があの島に来て、兄貴から報告書を受け取ってから、公表までに数日の時差がある。
それなのに、その面倒な後処理があった方が理由で、それより先に報告されたものに対して手が回らないって、ウォルダンテ大陸は時空が歪んでねえか?
「島の方が遅くなる分には構わん。それだけ、ウォルダンテ大陸にとって不要な場所だという証明にもなる。それに、島の管理の杜撰さが大聖堂に伝わった分だけ、介入の余地が増えていくことになる」
「後からのこのこと現れて、あの島についてグダグダと勝手なことを言われる方が面倒じゃねえか?」
現在、トルクスタン王子は大神官によって島に建立された聖堂にある「聖運門」を使用し、島とカルセオラリア内にある聖堂を行き来する毎日らしい。
カルセオラリアの聖堂は、再建された城から離れた場所に建立されているが、移動魔法の得意なトルクスタン王子にとっては問題ないようだ。
そして、島にいる精霊族の血を引く奴らについては、トルクスタン王子が制圧可能だということが分かっている。
ああ見えても、スカルウォーク大陸中心国カルセオラリアの王子なのだ。
精霊族たちの言葉を借りれば「藍の王族」。
それはただ一言で、精霊族たちを従わせることができる存在ともいえる。
尤も、トルクスタン王子自身は罪を犯すような者たちであっても、強制的に従わせる手段は好まないと言っていた。
その「命令権」は緊急時以外に使うことはないだろう。
まあ、オレたちが島を出る時に、一部の精霊族の血を引く男どもが、顔の形を変えるまでトルクスタン王子の手によってぶん殴られていたように見えたが、気のせいと言うことにしておいた方が良いかもしれない。
冷えた目で自分の幼馴染を怖がらせたという理由のみで、魔法ではなく、自らの拳を振るった機械国家の王子の姿など、当事者であった真央さん以外誰も見ていないのだ。
そして、あの島に常駐することになった正神官は大神官の言葉を借りれば、「対精霊特化型神官」らしい。
時々、あの方は真面目な顔して奇妙な言葉を使うのは若宮の影響だろうな。
トルクスタン王子は神官に苦手意識があるようだが、あの正神官に対してはそこまでの忌避感はないらしい。
自分の感情を素直に見せる部分が神官らしくなく、好ましいと言っていた。
そんなトルクスタン王子と正神官が、あの島のためにいろいろと尽くした後で、ウォルダンテ大陸のやつらが現れて、もう一度、権利やらなんやらで引っ掻き回すってことになるらしい。
オレならキレると思うけどな。
「そこをなんとかするのが、カルセオラリアの王族であるトルクとあの島の聖堂に常駐することになった新しい正神官の務めだ」
兄貴は不敵に笑う。
「厄介ごとを押し付けただけじゃねえのか?」
「何を言う。互いの利害関係が一致した結果だ」
オレたちは主人を含めて表に出たくない。
トルクスタン王子は不安定な立ち位置にある自国の補強と双子の幼馴染の存在を世間の目から隠し通すため。
あの正神官は自分の興味対象である精霊族に近付くためと、恩人である栞に対する恩返し、さらには大神官からの要請。
その大神官も一部の神官たちによる悪業の仕置きと、「聖女の卵」である栞を手助けするため。
まあ、利害関係の一致と言えなくもない。
それでも、そのために割かれる労力は相当なものだと予測される。
「兄貴はトルクと連絡は取っているということだな」
距離の割に情報が早い。
「ヤツが惜しみなく『伝書』を使うからな。あの島の中央部は結界に阻まれ届かないようだが、例の浜やカルセオラリアには届く」
「ああ、『伝書』か」
建物に備え付けられている広範囲の通信珠ならともかく、個人が持ち歩く通信珠では大陸を隔てた会話は難しくなる。
そうなると多少の制限はあるが、世界中のどこにでも届くとされている「伝書」と呼ばれる手紙での遣り取りの方が情報伝達に支障はない。
便利な分、金はかかるが、カルセオラリアは金を持っている国だ。
必要とあれば、惜しみなく使うことができるだろう。
「それ以外にも聖堂を通して島から情報が届く。例の正神官だけでなく、その御令嬢も、筆まめらしい」
「ああ、例の事件に巻き込まれた女か」
忌まわしい事件に巻き込まれたにも関わらず、その記憶を消さずに生きていくことを選んだ数少ない女。
「正神官からは精霊族たちの観察日記が、御令嬢からはトルクの観察日記が届く」
「待て? 正神官は予想できるが、娘の方はどういうことだ?」
報告書が観察日記って父娘揃ってどんなものを書いているんだ?
しかも、娘の方はその対象がトルクスタン王子ってどういうことだ?
「俺は島の精霊族の血を引く者たちの様子と、トルクの報告を頼んだだけだったはずなんだがな」
兄貴が珍しく遠い目をしながら、すぐ近くに重ねられている薄い色の本を指差した。
「なんだ?」
指し示された以上、何らかの意味があると思って一番上にあったものを手に取ると……。
「…………」
言葉がなくなった。
オレが手にしたのは薄い緑の冊子。
その表題に丁寧なグランフィルト大陸言語で「音に聞く島―滞在1日目―」とある。
待て?
一冊目ではなく、一日目ってなんだ?
二日目以降もあるのか?
あった。
同じ色合いの冊子が二日目、三日目とそれぞれ記されている。
しかも、五日目は前後編らしい。
どんだけ書いてんだよ?
中、読むの怖ええよ!?
その薄い緑色の冊子は全部で15冊があった。
おかしい。
記録を付け始めてから恐らくまだ二週間と経っていないはずなのに、既に届けられている分だけでもこの数とはどういうことだ?
そして、そのすぐ横には薄く青味がかかった冊子が重ねられている。
それが25冊。
しかも、薄い緑色の冊子よりも一冊当たりのページ数があるのか分厚い。
オレは、恐る恐るそちらにも手を伸ばすと、そのまま、固まるしかなかった。
薄い青色の冊子の表題は、同じくグランフィルト大陸言語で「茶色の髪の王子様」と書かれている。
分かりやすい表題ではあるし、恐らく、その中身も間違ってはいないと思うが、これが本当に全てトルクスタン王子のことで埋め尽くされているならば、恐ろしさを感じるしかない。
しかも、トルクスタン王子は島にいる精霊族の血を引く者たちと異なり、島にずっといるわけではないのだ。
「今のところ、毎日、欠かさず聖堂に届けられている」
「それは凄いな」
よくそれだけ書くことがあるもんだ。
そうなると毎日、読まされることになる。
これだけの量、読む方も大変だろう。
そして、兄貴は先ほど「観察日記」と表題と異なる言葉を言った。
それはつまり……。
「読んでいるのか?」
「読んでいる」
そこで兄貴が笑った。
嫌な予感しかしない。
「だから、お前も読め」
「断る」
既に、「読むか? 」ではなく、『読め』だった。
その時点で兄貴の余裕の無さが窺える気がする。
「兄貴の仕事にオレを巻き込むな!!」
「情報共有だ。甘んじて受け入れろ」
「情報共有なら、必要事項だけ伝えてくれ」
「必要と感じるのは個人差があることは知っているよな?」
兄貴はさらに笑みを深める。
「だから、諦めろ」
隠しきれない本音を口にするお兄様に、弟如きが勝てるはずもなく、オレは大量のグランフィルト大陸言語と向き合うことになったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




