知らなかったことだから
「雄也に確認しておきたいことがあるのですが……」
「なんだい?」
雄也さんはいつものように微笑む。
それは柔らかなようで、鉄壁のガードを誇る気がする不思議な笑みだ。
普段なら、それが簡単に崩せるとは思えない。
だけど、今からわたしが切り出す話題は、確実にその防御を崩せてしまう自信がある。
ある意味、わたしが知るはずのない話だから。
「わたしは、あの雄也と行った古書店で、モレナさまによって魂を引っこ抜かれました」
「そうだったね」
わたしの意識が身体に残っていると面倒だからという、割と酷い理由だった。
その説明に理解はできるけど、納得をしてはいけないと思う。
「その後、走馬灯のようなものを見せられたという話はしましたよね?」
「うん。そして、それに対して、栞ちゃんはほとんど覚えていないと答えたと記憶しているよ」
そうなのだ。
本当にほとんど覚えていなかった。
あの文字だけが流れる不思議な世界で、わたしは頑張って記憶しようとしたのに、言語が日本語ではなかったせいか、ほとんど覚えることができなかったのだ。
「はい。正しくは、思い出せなかったのは、シルヴァーレン大陸言語で書かれた……、自分の記憶が封印されていると言われている期間だけです」
つまりは5歳以前の記憶。
日本語で書かれていた人間界での出来事は、自分自身の記憶もあって覚えていることの方が多かった。
そして、同じようにシルヴァーレン大陸言語で書かれていたけれど、15歳以後、この世界にわたしが来てからの記録も恐らくある程度は覚えている。
魂が身体に戻った時、5歳以前のシルヴァーレン大陸言語で書かれた記録の中で、唯一、わたしが記憶できていたのはツクモと出会った日のこと。
それが、彼らと話していた時の自分だった。
だけど……。
「先ほど少し、眠ったせいか、一部だけ思い出したんです」
その眠っていた時間がどれだけ長かったのかは分からない。
だけど、一度、夢と繋がったことで、わたしの記憶も刺激されたのだろうか?
もう一つ、思い出せたことがあったのだ。
「それは、俺か弟が関わることってことで良いかい?」
「……」
それになんと答えて良いのか一瞬、迷った。
その思い出せた記録に書かれていたのは雄也さんのことではなかったから。
だけど……。
「今となっては、雄也さんか、母ぐらいしか知らないことだと思います」
わたしはそう答えた。
「そうか……」
雄也さんが考え込む。
ちゃんと全てを口にしてしまった方が良かっただろうか?
正直迷った。
だけど、これまで母も雄也さんもそのことを一度も口にしていないのだ。
それならば、この先もわたしに知らせるつもりはなかった可能性はあるだろう。
いや、知ったところで、彼らとの関係性が変わるわけではない。
これまで通り、彼らは幼馴染兼護衛。
それが変化してしまうわけではないのだ。
単純にそれが強まっただけの話。
同時に、九十九の体内魔気の気配を感じ取る能力の強さとか、わたしとの感応症の効果の高さとか理由もそこに結び付けられる気がする。
そして、雄也さんがわたしに対して甘い理由も。
「栞ちゃんが何を見たのかを、今、ここで聞かせてもらうことはできるかい?」
「はい」
そして、わたしはあの時、あの場所で流れていたシルヴァーレン大陸言語で書かれた一文を、そのまま口にする。
それを聞いても、雄也さんは顔色を変えることはなかったが、一度だけ深い息を吐いた。
「その通りだよ」
それは肯定の言葉。
「流石に俺もその頃については日付まではしっかり覚えていなかったけど、その事実は忘れない」
雄也さん自身もかなり小さかったはずなのに、それを覚えていたということだ。
その点に関しては、やはり人間界よりもこの世界の人間は、成長が速いと言うことだろう。
尤も、雄也さんだからってこともあり得るけど。
「ミヤドリードさんはご存じだったのでしょうか?」
「ミヤは知っていたと思うよ。多分、チトセ様から聞いていたはずだ」
でも、確認したことはないのだろう。
雄也さんは断定を避けた。
「セントポーリア国王陛下はご存じだったのですか?」
「知らないはずだよ。それをチトセ様が言ったとは思えないから」
確かに。
それを知っていたら、いろいろ面倒なことになっていたとはわたしも思う。
「当時のわたしは?」
「年齢的に知らなかっただろうし、恐らくはその後も、気付いていなかったと思うよ」
早熟な魔界人でも限度があると言うことだろう。
それにわたしは半分、地球の人間の血が流れている。
もしかしたら、この世界の人間よりも成長がゆっくりだった可能性はあるかもしれない。
「それでは、九十九は?」
「知らない」
これまでと違って、推量ではなくきっぱりと断定された。
「雄也さんは教えなかったのですか?」
「うん。俺は教える必要はないと思ったからね」
それは、どういう意味で?
「でも、九十九が興味を示さなかったということもあるかな。あの当時は、聞かれたら答えるつもりではあったけれど、当時のヤツは今以上に視野が狭かったからね」
それは年齢的に仕方がないとは思う。
逆に、興味を示す理由もないし。
「だから、その後のことは本当に偶然だよ。どんな運命の悪戯なのかは分からないけどね」
確かに運命の悪戯と言ってしまえばその通りだと思う。
それらを含めての「縁」ということになるのか。
それとも、それ以外の引き付けるものがあるのか?
「それならば、わたしもそのことは九十九に言わない方が良いでしょうか?」
言ったところで何かが変わるわけではないのだろうけど、雄也さんがこれまで言わなかったことが気になった。
「その方が良いと俺は思う。恐らくは、栞ちゃんとは別の理由で複雑な気分になるだろうからね」
雄也さんがそう言って、微かに笑う。
「別の理由で……、複雑?」
確かにそれを知ったわたしもいろいろと複雑な気分にはなったけど、これまで不思議に思っていたことの理由が分かった気がして、少しだけスッキリしたのに。
「栞ちゃんがさっき、口にした一文。それを具体的に想像してみると分かるよ」
「具体的に……?」
雄也さんに言われるまま想像してみると……。
「ふごっ!?」
文章で読んだ時はそこまででもなかったけれど、それを頭の中で想像しようとするだけで、奇妙な声が出た。
これはかなり良くない。
いろいろな意味で。
そして、別の意味で複雑な気持ちになるというのも分かる気がした。
これは、絶対、九十九よりわたしの方が複雑な気分になる!!
「理解しました」
少々、興奮して熱くなってしまった自分の頬に手を当てながら、雄也さんにそう言った。
現実は、自分が想像している通りの絵面であるはずがないのだ。
だけど、想像力が貧困な自分では、どうしても、これ以上の光景が想像できない!!
「そんなわけだから、もう暫くの間は伝える気はないかな」
「暫くの間?」
つまり、伝える気はあるということだろうか?
「そうだね。今の年齢の二倍。18年後なら、受け入れることができるかもね」
「長っ!?」
確かに二年後、三年後でもまだまだ複雑な気持ちにはなりそうだとは思う。
でも、二倍……。
それはちょっと長いような?
「栞ちゃんが今、伝えたければそれでも良いよ」
「え?」
「栞ちゃんの人生の記録の中に書かれていたことだからね。俺の方は、何も問題はないかな」
「うぐ」
またこの人は、わたしに何かを背負わせようとしていませんか?
でも、今、このタイミングで言うのも何か違う気がする。
「今、すぐには言いません」
少し考えて、わたしはそう結論付けた。
本来、わたしは知らなかったことだ。
それを、我が事のように口にするのは、ちょっと違う気がした。
いや、自分の人生の記録なのだから、一応、我が事ではあるのだけど。
「じゃあ、18年後?」
雄也さんがかなり良い笑顔で確認してくる。
どれだけ、先に延ばしたいのか?
でも、気持ちも分かるからなんとも言えない。
「18年経ってもわたしが告げないようなら、雄也から言ってください」
「え?」
「18年経ってもわたしが言う勇気を持てないようなら、兄である雄也が代わりに伝えてください」
自分でも割と無茶苦茶なことを言っているとは思う。
「随分、長い約束だね」
雄也さんがそう苦笑するほどに。
「雄也が言い出したことでしょう? それぐらい経たなければ、受け入れることができないって。その言葉を信じます」
「そうだった」
何故か、雄也さんは楽しそうに笑う。
「では、18年後。このことについて、栞ちゃんが言っていなければ、俺が代わりに言うと約束しよう」
「はい、お願いします」
それは気が遠くなるほど先の約束。
「じゃあ、指切りしようか」
「ふ?」
雄也さんがそう言って、小指を差し出した。
「人間界では、約束する時にする行為だろう?」
「懐かしいです」
確かにあった。
「指切り拳万」という誓いの言葉。
「指切り」を約束事の発祥としたのは、江戸時代の遊郭だったっけ?
結構、怖い歌詞だったと記憶している。
「嘘吐いたら、わたしは針千本飲まされるのでしょうか?」
「この場合、呑むのは俺の方じゃないかな」
そう言いながら、互いの小指を絡め合う。
なんだろう?
雄也さんとは手を繋いだこともあるというのに、ちょっと緊張する。
「指切り拳万、嘘ついたら針千本飲~ます」
「指、切った」
互いにそう誓い合った。
果たして、雄也さんが針を千本も呑むことになるのか?
それは、18年後まで分からない。
でも、針を千本も呑ませるわけにはいかないから、その前に、わたしが告げることになるんだろうな。
自分とは全く違う雄也さんの小指を見つめながら、わたしはそう思ったのだった。
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