王妃の企み
「何故、あの女の娘が王の子であると言い切れるのですか?」
彼自身も何度か考えたことはある。
しかし、これまでに何度も、国王もあの女も、娘自身も否定してきた。
それなのに、今、王妃は断言している。
そこにどれだけの根拠があるというのだろうか?
「勘だ」
「かっ!?」
思わぬ答えに思わず、王子も言葉を失う。
「チトセと初めて会った時から、あの女は王の寵愛を得る気がしていた。そして、あの女が否定を続けていたとはいえ、娘からは時折、王族の魔気を纏っていた。それ以上の証拠は必要あるまい」
王妃に理論を期待したわけではないが、あまりにも理由が感情的すぎるものだった。
それを認めるわけにはいかない。
王子は事実を元に反論することにした。
「ですが、あの女の娘はともかく、数日前に出会ったラケシスからはそれらの魔気を一切、感じることはありませんでした。あの女の少し変わった魔気も……。仮に私があの娘を妃にしようとしたところで、あれでは周りも納得しませんよ」
「周りの雑音など捨て置け。娘との婚儀など陛下の許しさえあれば成り立つ話だ。なに、この国では異母兄妹間の婚姻は認められておる。純血維持を理由とすれば、頃合の娘がいない以上、陛下も頷くしかないのだからな」
王妃は話を聞く気がないのか、結論ありきの言葉を口にしている。
そんなに単純な話なら、あの国王だってこれまで否定を繰り返してはいないだろう。
「それでも、私は嫌です!」
「この母に刃向かう気か?」
「はい! こればかりは王妃のご命令であっても聞くことはできません!」
仮に国王の……、王族の血を引いていたとしても、あの女の娘だけは……、いや、あの娘だけは絶対に嫌だった。
黒い髪、黒い瞳、溢れんばかりの生命力を持った信じられないほど強情な娘。
何度、落としても這い上がってくる不屈の精神は、王子にとっては畏怖の域にあった。
自分よりも年下の、5歳児とは思えないほど感情が読めない表情。
まだ彼女と同じ年頃である法力国家ストレリチアの王女の方が、その反応も分かりやすいものだろう。
「ほう……」
珍しく王妃に真っ向から逆らう意思を見せる王子。
その姿を見て、王妃は何故か笑みを浮かべた。
「何故ですか? あの母子を厭わしく思っているのは貴女も同じだったはず! それが何故、頃合の娘がいないという理由だけで……」
「何度も言わせるでない。王族に女がいないのだ。それも陛下に近しい血筋の女が」
それもまた事実だった。
いや、男女の別に関係なく、この国に王族は少なすぎる。
「歳は離れていますが、いるではありませんか! どうしてもというのなら、それらの娘とでもわたしは添い遂げましょう」
「あの者たちでは駄目だろう。確かに王族といえなくもないが、陛下から離れているためにその身に流れる王族の血が薄すぎる」
王子の懸命の叫びも、王妃は否定する。
「確かに私には他国の王族たちと比べて魔力は強くありませんが、陛下の息子、つまりは直系です! それならば多少、妃となる人間の血が薄くても、次世代の……我が子の魔力には期待ができるはず!」
王子がその言葉を口にするのに、一体、どれだけの感情が渦巻いていたことだろう。
自分が王族として劣っていることを認めるのも、次世代に懸けるしかないことも、ずっと苦々しく思っているというのに。
「待て」
王子の言葉を王妃は制止する。
「誰だ!」
王妃のその声と共に、勢いよく扉が開いた。
そして……、そこには誰もいなかった。
「私の勘も鈍ったか……? 鼠がいた気がしたのだが……」
王妃はそう呟きながら、右手で窓を撫でた。
すると、硝子一面に、城内の廊下が映し出される。
その様子を見ていた王子は少し、疲れた顔を見せた。
声に反応して自動的に開く扉といい、この覗き用としか思えない窓といい……、この母親は一体、誰と……、いや、何と戦っているのか息子である自分でもよく理解できなかった。
普通に考えればどこよりも護られているはずの自室に対して、このような改造をしなければならないというのはおかしな話である。
「ふむ……。気にしすぎたか……。今、廊下を歩くのは西の塔にいる兵のみ。ああ、南にも女中たちがうろうろと、仕事もせずに無駄話をしておるな」
王妃がふうっと息を吹きかけると、窓は再び外の風景を映し出す。
「先ほどの話の続きだが……、ダルエスラーム。残念ながら現時点で明らかに魔力が劣るお前には選択権がないのだよ」
「は?」
それは、実の息子に対しての辛辣な評価であったが、それ以上に後に続いた王妃の言葉は王子にとって、あまりにも唐突で、衝撃的なものだった。
この国で昔、起きたこと。
そして、それを受け継ぐ悪しき習慣。
純血主義故、繰り返された悲劇。
「10数年前、兄王子殿下がこの国の王位を継ぐことができなかった理由も同じことだ。私としては、僥倖だったがな」
この国の先代国王の御世。
第一王子だった者は王位を継ぐ前に病死したと聞いていた。
だから、父である弟王子が王位を継承したとも。
だが、実は、兄王子は亡くなる前に、既にその継承権がなかったというのだ。
それを苦に、失意のまま、亡くなったらしいが……、そのことは伏せられ、病死とされることになったそうだ。
仮に、それが王妃が告げた話が理由だったとしても、そんな国の機密を何故、この王妃が知っているのかということを本来疑問に思うべきことなのだが……、今の王子にはそんな単純な思考もできなくなっている。
「それが本当なら……、私は……」
王子はその声を震わせる。
「そう言うことだ。あの娘が本当に陛下とチトセの間に生まれた娘なら、お前は多少、強引な手段を用いてでも娘との間に子を成せば良い。仮に無関係だったとしても、町娘の一人や二人ぐらい王子の戯れという言葉でどうとでもなることだ」
そう言い放つ王妃の言葉には慈悲も対象者に対する情も一切感じられない。
そのことが、手段を選ぶ余裕もないことが伺える。
「あの娘が……、本当に国王陛下の血を引くというのなら……」
王子はよろよろと扉のほうへ足を向ける。
「好都合だ。なんとしても俺のモノにしてやる……、ラケシス……」
そう口にする王子の言葉にも、既に相手を思いやる意思を微塵も感じ取ることができなかった。
それまでは、あの娘を母親の企みに巻き込まない程度の気遣いはあったのだが、その余裕も、先ほど目の前にいる王妃が告げた言葉によって消え去った。
幸いにして、城下の森で出会ったあの娘は少しばかり幼さはあったものの、異性として認識できないほどではない。
さらに、自分が焦がれる肖像画の聖女によく似た雰囲気を持っていたのだ。
そのことが王子にとって悪い意味でプラスとなってしまった。
誰も触れ得ないはずの聖女を自身が汚す。
それを思うと、何故か身体の中で何かが沸き立つような衝動に駆られていく。
仮に、あの娘が王の血を引いていなかったとしても、そこが問題ではない。
古来より、王族は多くの跡継ぎを成す必要がある。
反対する者がいたとしても、現状として、王族の女性が少ない以上、どうにでもなる話だ。
あの汚れを知らなそうな娘を自分の手で堕として、その身に飽きるまで囲うこともそこまで悪い行いではない気がした。
なんとなく、邪魔しそうな男がいる気もするが、そいつは命令一つで部屋から引き離すことができる身分の人間だ。
大した抵抗もせずに従うことだろう。
ゆっくりとした足取りで退出していく息子を見届けた王妃は一人、ほくそ笑む。
そして、王子が扉を完全に閉めたことを確認すると……。
「悪く思うな、我が息子ダルエスラーム。これもみな全て……」
王妃はその紅い口角を吊り上げて言葉を続ける。
「私のためだ」
息子である王子すらも自分のために利用する。
自分が憎むあの女は邪魔者以外の何者でもないが、その娘にはそれなりに利用価値があるのだ。
ならば、それを使うことに何の迷いが必要か。
それに……。
昔から自身より娘を傷つける方が、あの女には一番堪えるはずだと、王妃自身は経験から知っている。
本当にあの女の娘なら、そういった意味でも使わない手はない。
「精々、八つ当たりも含めて娘を心行くまで乱暴に扱うが良い。女子の私では成しえないような惨たらしいことも、男のお前だからこそ、可能だろうて……」
周囲を気にしていた忍び笑いから、周りを憚らぬ高笑いへと移り変わっていく。
これが、この国で王に次ぐ地位の持ち主。
現大臣の娘にして現国王の妃。
加えて王位継承権第一位の生母である「トリア=ニュオ=セントポーリア」だった。
これまでに、彼女が敵と認識した者はほとんどが不幸な目に遭っている。
それも偏に彼女の力故だった。
彼女が今の地位にいる限り、それは決して終わることない。
だから、謂れなき扱いを受ける者は、まだ増え続けていくのだろう。
彼女の前に立ちはだかり、諫めようとする者が現れるまでは、ずっと、絶え間なく……。
話の展開上、本日は三話更新しました。
明日からはいつもと同じように定時に更新します。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




