誰かの選択の結果
「でも、これらの書物とは別に、雄也はルキファナさまのことについてご存じのこともあるでしょう? 『母は「聖女候補」が転落した場所に行った時、その娘の残留思念に出会った』という一文に疑問を持たなかったのですから」
普通なら、疑問を持つはずの一文。
だけど、雄也さんも九十九も疑問を持たなかったのだ。
「なるほど……」
そのことに、雄也さんも気付いたようだ。
「言われてみれば、ルキファナ様の公式的な死因は胸の病による病死だったとされていたね」
言葉で聞けば、少しはひっかかりを覚えたかもしれない。
だけど、今回は文章だった。
それも大量にある中のたった一文。
どんなにしっかり読んでいても、その全てを精査するのには限度はあるだろう。
その文章にひっかかりを覚えなければ、素通りしてしまってもおかしくない。
そして、雄也さんも九十九もその一文を誤りと認識しなかった。
わたしは、公式的なものとは違う言葉を書いてしまっていたのに。
だけど、それは、本当の死因をどこからから聞いていなければありえないことなのだ。
「確かに俺はルキファナ様が亡くなったのは、塔から落ちたことによるものだと知っていたよ。その理由は言えないけどね」
つまり、どこかで誰かから聞いたということか。
ルキファナさまの残留思念を受け取ったとはいっても、あの母が知っていたかは分からない。
そうなると、国王陛下?
それとも、それを目撃したはずの人?
「念のために確認するけど、わざとそう書いた?」
「いえ、何も考えずに書きました」
モレナさまの言葉をできる限り一生懸命、思い出そうとして、気付いたらそのまま書いてしまったのだ。
そのうっかりに気付いたのは、雄也さんがその一文を口にした時であった。
母のことと続けて口にしたその言葉。
それまで、本当に気付けなかった。
「そうか。俺もまだ甘いな。耳で聞く、口にする方は気にしていても、目から入る情報についての意識が足りていないということか」
雄也さんはそう言うが、今回の場合は仕方ないことだと思う。
わたしが書いたことに誤りはないのだ。
単に公式発表とは異なる事実が書かれていただけのことだった。
だから、これは不可抗力だと言える。
「これが栞ちゃんだったから良かった。だが、他の人間だったなら……」
雄也さんのその頭にあるのは恐らく金髪で青い瞳の王さまだろう。
確かにあの方なら、そんな隙も見逃してはくれない気がする。
しかし、それだけ聞くと、わたしの性格が悪い気がして複雑な心境になってしまうのもまた事実だ。
少なくとも、あの王さまほどいい性格はしていないと思う。
「多分、九十九も気付いていなかったですよ」
「そうだったね。あの弟もまだまだだということか」
だが、今回のことは本当に偶然だった。
わたしが、もし、彼らのことを嵌めようとした結果だったなら、仕草とかに出てしまった可能性もある。
そのことを暗に伝えると……。
「それでも、それを狙ってできる人種がいることを知っている以上、俺たちももっと自衛の必要はあるかな」
と、どこまでも真面目な護衛はそう言った。
「雄也は、ユーチャリスのユリアノさまのことはどこまでご存じですか?」
「『ユリアノ=ウシズ=ユーチャリス』王女殿下については、隣国だから多少の情報はあるけれど、未成年の王女殿下だったから、噂の域を出ないかな」
しかも唯一の直系王族であり、王位継承権第一位の方だった。
そうなると5年の滞在もないため、外交を活発に行う方でない限り、情報は国内に留まるだろう。
「でも、まさか、人間界に行っていたとは思わなかったよ」
雄也さんは、わたしの書いた紙を見ながらそう呟いた。
そこには……。
『亡くなったルキファナさまも、人間界へ逃げたというユリアノさま? も、導きの女神ディアグツォープさまが祖神である可能性が高い』
と、書いてある。
「その人間界でお会いしたことは?」
「悪いが、出会ったことはないと思う」
少し考えて、雄也さんはそう結論付けた。
「そうですか。雄也の方が、学年が近いから、もしかしたらと思ったのですが……」
「三学年違いだと小学校が同じでない限り、なかなか難しいところだね」
同じ学年でも学校区が違うとなかなか会うこともないのだ。
雄也さんが言うように、三学年も違えば、近くに住んでいてもすれ違うぐらいしかできないだろう。
「クレスノダール王子殿下や、大神官猊下の方が可能性はあるかな。俺よりも年が近い」
「ああ、そうですね」
そもそも、人間界に行ったユーチャリスのユリアノさまが日本にいるかどうかも分からないのだ。
地球は広かった。
しかも人口はこの世界よりずっと多いのだ。
そんな中で、別世界の人間と出会う確率なんて極小だろう。
砂粒の確率?
でも、その確率の中で、彼らはわたしたち母娘を見付けてくれた。
それを単純に「縁」と言って良いかは分からないところだけどね。
「ああ、そう言えば、ユリアノ王女殿下は、クレスノダール王子殿下と婚約の話が上がったことがあったな」
「ほげ?」
楓夜兄ちゃんと?
「年が近い同じ大陸の王族同士だからね。しかも、クレスノダール王子殿下は第二王子だ。別におかしな話ではないよ」
「でも、成立はしなかったんですね」
楓夜兄ちゃんに好きな人がいたからだろうか?
軽く見えるけど、楓夜兄ちゃんはかなり長い間、リュレイアさまを想っていたと聞いている。
「話が持ち上がったのは、10年ほど前。クレスノダール王子殿下の他国滞在期間だよ。王子殿下が戻り次第、その話を進める可能性があると聞いていたけど、その前にユリアノ王女殿下がいなくなってしまった」
「おおう」
そこだけを聞けば、まるで、楓夜兄ちゃんとの婚約が嫌で逃げ出したように見える。
「婚約の話が嫌で逃げ出したという噂もあったけれど、栞ちゃんの話を聞くと、また違った見解になるね」
モレナさまの話ではユーチャリスのユリアノさま……王女殿下は、「聖女候補」であり、さらにわたしと同じ導きの女神が祖神だったらしい。
そして、例の破壊の神からシンショクを受けていた可能性も。
「でも、ユリアノ王女殿下は、魔力の暴走とか、大丈夫なのでしょうか?」
訪れなかった未来のわたしは、人間界という大気魔気の薄い場所でも魔力を暴走させ、九十九をふっ飛ばしてしまったそうだ。
それなら、同じシルヴァーレン大陸の王族であるユリアノ王女殿下も魔力を暴走させてしまったら……。
「大丈夫だと思うよ。王族の他国滞在時期が10歳から15歳という年齢なのも、その辺りにあるから」
「そうなのですか?」
「10歳ともなれば、ある程度、魔力も感情も自分で押さえられるようになっているはずだからね。そして、魔力の成長期は15歳から25歳が平均的だから、そこまでの心配もない」
他国滞在年齢にも意味があるらしい。
「でも、ユリアノ王女殿下はもともと、他国滞在が予定にない方ですよね?」
それならば、普通の他国滞在を念頭に置いて教育を受けている王族たちとは違うのではないだろうか?
「それに、今現在、15歳を越えても人間界にいらっしゃるわけですし……」
本当に、シンショクから逃げたというのなら、この世界に戻ることはないだろう。
人間界ならシンショク……、神の御手が届かないことに気付くはずだ。
「どんなに魔力が強まっても栞ちゃんほどではないだろうし、何より魔力成長期に他国や他大陸どころか大気魔気の薄い人間界にいるんだ。魔力の感応症が受けられないから、そこまで心配することはないと思うよ」
魔力の感応症が受けられるのは、人間同士だけではなく、大気魔気からも受けられるらしい。
「栞ちゃんが人間界に残っていたなら、護衛として近くにいた九十九や俺から感応症を受けていた可能性はあるね。特に俺はセントポーリアと人間界を行き来していた。魔力の暴走が激しくなったのは、それが原因だと思うよ」
「単純に甘えた結果だと思いますよ」
この世界に戻らなければいけないと分かっていたのに、自分の我儘を貫いた結果だ。
どう考えても悪いのはわたしだろう。
「それでも、ユリアノ王女殿下の選択した結果が、自身とその周囲にとって悪くないことを祈ります」
流石に他者の行動結果の責任まで考えても仕方ない。
だから、わたしにできることは祈るだけ。
何も関係のない人間が巻き込まれていないことを信じるしかないのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




