この部屋にいる理由
何が起きたのかなんて、理解できない。
だが、目の前で栞の身体が崩れ落ちるなら、自分のやることはたった一つだ。
「ふっ!!」
受け止める。
ただそれだけの単純な話。
少しタイミングが遅かったために足の力は完全に抜け、床についてしまっているが、辛うじて、上半身は間に合った。
「遅い」
「間に合ってもねえ兄貴に言われたくねえ!!」
「お前の方が近かった」
兄貴はそう言いながら、オレが不格好な受け止め方をしている栞の身体を改めて抱き上げ直し、寝台へ運ぶ。
あの体勢からではオレが抱き上げることはできなかった。
しかし、あの状況でどう止めれば良かった?
流石に栞の身体を浮かせるのに、足を使うというのは、ねえよな?
「浮遊魔法で浮かせれば良かっただろう?」
後ろも振り向かずに兄貴はそう言った。
「オレの心を読まないでいただけますか? お兄様」
しかも、顔すら見てねえのに。
「読みやすい思考のお前が悪い」
栞の身体を寝台に乗せ、そのまま、テキパキと布団を整える。
オレのように無駄に時間をかけない。
余計なところを触らないように気を使ったりとか、栞の顔や髪に触れたりすることもなく、必要最低限の動きだった。
オレのように栞から指が離れることの未練すら感じられない。
それがなんとなく悔しく思える。
勿論、相手に対する感情の違いもあるだろう。
だが、それ以上に仕事意識の差もある気がするのだ。
自分がまだまだということを何度この背中に見せつけられるのだろうか?
そして、いつまでそうなのだろうか?
「栞ちゃんが強い意思を取り戻せば、ということだったが、すぐに目を開けるというわけでもなかったのだな」
兄貴が栞の顔を見下ろしながらそう言った。
言われてみればそうだった。
あの語り部はそう告げていたのだ。
あの状態は、栞が落ち込んでいるだけで、復活したら出てくる……、って。
「復活したら出てくるとは言ったが、意識が戻るとは言ってなかった気がする」
「そうだったな。気分が浮上しても、それが意識の回復とは繋がらないわけか」
「時間的にも、本人の意識は寝てるんじゃねえか?」
今は夜中だ。
普段の健康的な生活を心がけさせている栞は夢の中でもおかしくはない。
あの語り部と交代している間にいつものように暢気に寝入った可能性がある。
栞は、夢の中でもさらに寝ようとするような女だからな。
「余計な干渉はないから侵入者はいないな」
兄貴は栞の周囲を見回す。
夢の中に入るには、相手と自分の魔力を同調させ意識を繋がなければいけないらしい。
オレにはその魔法が使えないから具体的には分からない。
契約すらできなかったから、その魔法の条件を使うための最低限のナニかが足りなかったのだろう。
「体内魔気も落ち着いている。本当に寝ているだけだ」
尤も「過去視」を視ていれば分からない。
あれは魔力の状態に関係なく引き起こされる現象らしいからな。
「『過去視』を視ている可能性は?」
「分からない。『過去視』を視ている時の栞をオレは知らないから」
「……それもそうだな」
そもそも、他人の寝ている場に立ち会うこと自体が本来はありえないのだ。
まあ、オレは栞を寝かしつけることも多いから何度も寝顔を見ることができるという役得な立場にあるが、普通は、異性なら尚のこと寝ている傍で見守るなんて許されないだろう。
「さて、お暇するか」
「あ?」
「用もないのに眠っている淑女の部屋に滞在する気か?」
言われてみればそうだ。
命の危険があるわけでもなく、仮死状態から復活を待つ状態でもなくなった。
確かに、普通に休ませるべきだろう。
何より、オレも兄貴も、主人から呼ばれたからこの部屋に来たが、その呼び出した当人は、現在、夢の中にいる。
オレたちがこの部屋に留まる理由はなくなってしまったのだ。
「まあ、中途半端な時間だから目を覚ます時間もいつもとは違うだろうけど、彼女が起きても、いつものように呼び出されるまで待て」
「呼び出される?」
「今度は、あのメモのようなものを記録として清書したものを渡されるだろう」
「ああ、このメモか」
オレは手に持っていた白い紙を見る。
可愛らしくどこか丸っこい平仮名と、意外にしっかりした漢字で書かれたメモ。
それは要点を書き記したものらしいけど、まあ、なんというか纏まりがないものばかりだった。
当人曰く、時系列順に書き記したとのことだが、そうなるのは仕方ない。
ストレリチア城にいた頃の栞と友人の若宮の会話をそのまま書き記せば、似たような感じに……いや、もっと会話の主題が方向音痴になっていただろう。
彼女たちの会話はいつだって明後日の方向に突っ走るものだから。
「とりあえず、部屋から出るぞ」
「おお」
兄貴から背中を押されつつ、追い出されるように部屋から出た。
何か企んでいることは分かるけど、この時点では何も言うまい。
知ったところで、腹が立つ気しかしなかった。
尤も、知っていたしても、オレは上司である兄貴にも、主人である栞にも指図できる立場になんてないのだが。
****
「さて……」
愚弟を追いやり、ヤツがちゃんと部屋に引っ込んだことを確認した後、俺は薬を口にした。
体内魔気の気配を微弱にするもの。
真央さんや水尾さんが人間界に行った時に服用していたものをトルクスタンから分けてもらったのだ。
これなら、あの勘の良い弟も注意しないかぎり気付けない。
だが、この薬のこの味はどうにかならないものだろうか?
九十九の作る薬ほど味に拘れとは言わないが、トルクスタンの作る薬は完全に人間が呑むことを想定していない味だ。
これでは味覚音痴な悪食の魔獣すら跨いで通るだろう。
あの双子はよくもまあ、こんな薬を5年間も飲み続けることができたものだと感心する。
そんな益体もないことを考えながら、目の前の扉を三度叩く。
「どうぞ」
先ほど退室したばかりの部屋から、声がかかる。
「失礼するよ」
そう言いながら、入室すると寝台に座る黒髪の女性が微笑んでいた。
「お待ちしておりました、雄也」
夜中に寝台に腰掛けて、愛らしい女性からそんな言葉を口にされて舞い上がらない男がいるだろうか?
あの弟なら完全に浮つくだろうな。
だが、残念ながらそんな甘いものではない。
「ご招待、ありがとう。でも、感心しないな」
「何が……ですか?」
心底不思議そうな顔を向ける無防備な女性。
「俺も護衛とは言っても男だよ? こんな時間に逢引の誘いを受ければ期待してしまうとは思わないかい?」
チラリと「盲いた占術師」が俺に向けた言葉が頭をよぎる。
―――― 欲しければ、奪え
黒髪の主人に憑りついた意識は、挑発的で妖艶な笑みを浮かべて俺にそう告げた。
その言葉の真意に心当たりはいくつかあるが、何から何を奪うのかはまだ想像の範疇でしかない。
そして、それをしてしまえば国王陛下に対する裏切りにもなることも知っている。
今は意識の外に置いておきたかった。
「雄也は時を見誤らないでしょう?」
その声に意識が戻される。
「時……とは?」
「モレナさまの言葉をわたしがしっかりと覚えているのは恐らく、今だけですから」
その言葉で察する。
この主人は九十九から抱き留められたのは良いが、かなり辛そうな体勢であった。
だから、ヤツから奪って抱き上げ、寝台へ運ぼうとした時に……。
―――― 後でお話があります
胸元でそう囁かれた。
背後にいる弟に気付かれないほど小さな声。
先の呼び出しのように通信珠を使わずにそう告げたのは、恐らく、通信のタイミングによっては、九十九に聞かれることもあるからだろう。
その行為に護衛としてよりも男として思う所はある。
だが、自分は弟ほど無駄なことはしない。
この主人はこう見えて意外と合理的な人間だ。
わざわざ弟に隠れて自分だけを呼び出したことにも意味はあるのだろう。
それだけ九十九に聞かせたくない、聞かせられない話があったということだ。
惜しむべくは、情緒的な面が考慮されていないだけの話だ。
この事態を知った後で、あの弟がどう思うのかも、それで自分もどんな気持ちになるかもまだ想像すらしていない。
まあ、それも若い二人の問題だ。
自分は生温く見守ることにしよう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




