あの時の判断
あまりにもいろいろなことを一度に言われ過ぎて、脳の処理が追い付かなかった。
それは多分、聞かされた当人も同じだったのだと思う。
だが、それだけの事実をいきなり無関係な他人から押し付けられた彼女は、たった一人で耐えきったのだ。
だから……。
「人間界でわたしを見つけてくれてありがとう」
下を向いた栞が、小さいけれどはっきりと口にしたその言葉の意味を理解することができなかった。
彼女の話では、5歳の時、厄介な神に見つかり、「シンショク」を受けたという。
いや、正しくは生まれる前から目を付けられていたようだが、この世界に生まれてから繋がりを持たれてしまったのが、その年齢らしい。
一度だけ実体化して視せられた黒く禍々しい気配は、アレは隠されているだけで、今も彼女の左手首に宿っている。
そして、幼かった彼女が向かったのが、母親が生まれ育った人間界だった。
オレたち兄弟を、「強制命令服従魔法」と呼ばれるモノで確実に足止めをして。
あの時、彼女に対する恨み言が全くなかったとは言わない。
だが、それ以上に疑問の方がずっと大きかった。
―――― 何故、一緒に連れて行ってくれなかったのか?
彼女と一緒なら、どんなことにでも耐えられると思っていた。
それは、彼女が一緒でなければどんなことにも耐えられないに等しいことだと気付いたのが、あの日だった。
だが、結果として、その選択肢が彼女を生かすことになったと知ったのは、この世界に戻って一年と経っていない時期。
たまたま縁があった「水鏡族」から聞かされた言葉だった。
―――― 人間界とか言う、この世界からかなり離れていたことが良かったわねえ
この世界より遠く離れた人間界へ行ったことによって、「神のご執心」も届かなかったためにシンショクが遅れたと言っていた。
本当なら、自我が芽生える前に取り込まれていたはずなのに、運が良かった……とも。
5歳ともなれば、自我はとっくに芽生えている。
当人があの占術師の能力を持った女から聞いたように、チトセ様がシオリを産む時に、大陸神の加護が強い建物……、セントポーリア城から離れ、さらには生まれた直後に目印となる魔力の封印を施したことが、幼いシオリを救ったのだと思う。
チトセ様が生まれた直後のシオリの魔力を封印したのは、王族の血を隠すためだったのだろう。
恐らく、産声をシオリの身体は「聖刻」……、セントポーリアの「王家の紋章」ってやつが身体のどこかに浮かびあがったはずだ。
尤も、千歳さんの話では出産直後の状態で、それを確認する余裕はなかったらしいが。
以前、情報国家の国王から聞いた「聖刻」の出る条件は、20歳を越えた後、魔法を使う時や湯を被ることで現れると聞いているが、もう一つ、生まれた直後にも浮かび上がると言っていたはずだ。
それをチトセ様は知っていて、あらかじめ、封印の準備をしていた可能性がある。
王族であるシオリの魔力を普通の人間が封印できるとは思えないが、「創造神に魅入られた魂」であるチトセ様ならそれが可能だったかもしれない。
実際、あの方が、魔法国家の王女殿下の魔力の暴走を止めた現場に立ち会ったオレは、その規格外の能力を見せつけられている。
その後、シオリは5歳で、その神に見つかり、人間界へ向かったことが分かった。
何故、それを当時のシオリが知ったのかは分からないが、先ほど栞が口にした「黒くて怖いモノ」という具体的な言葉から、何かを視たか、その気配を感じたのだと思う。
その避難先に人間界を選んだ理由はそれでも分からない。
チトセ様の生まれ育った場所ではあるが、当時の二人の知識に「転移門」がそこまでの力を持っていることなんて知らなかったはずだ。
人間界の存在と、その安全性が宣言されたのはシオリやオレたちが人間界に行ったその後だったと聞いている。
つまり、それまで「転移門」は、この世界の中だけしか使えないと思われていたのだ。
いや、他の惑星の存在すら知られていなかったと思っている。
だから、誰も「転移門」を使う際に、「人間界」という異世界を頭に思い浮かべはしなかったはずだ。
それを知っていれば、チトセ様は、シオリを産む前に即、戻っていただろう。
王族の許可がなければ使えないものではあるが、チトセ様はミヤの友人であったのだ。
そして、そのミヤはセントポーリアの王族ではないが、イースターカクタスの王族ではある。
いくらミヤが多少、我儘な人間でも、友人からの願いを無碍にするとは思えない。
だから、あの時、シオリたちが「人間界」を選んだのは一か八かに近かった気がしている。
もしくは、具体的な行先を考えずに「この場所から離れたい」という曖昧な願いだったのかもしれないが。
だが、すぐその後を追ったオレたちは、あまり時を置かずして、彼女たち母娘を見つけ出してしまった。
オレが「高田栞」の中に眠る「シオリ」の気配に気づいてしまったから。
だが、オレが見つけた時には既に、彼女たちからは記憶はなく、魔力……、体内魔気が感じられなかった。
その時点で、既に、シオリは自身と母親の記憶と魔力を封印していたことになる。
今よりもっとガキだったオレはそれをすぐ受け入れることができなくて、うっかり、街中で魔力暴走しかけるところだった。
オレの魔力や魔法に耐性がある兄貴がすぐに気付いて止めなければ、どうなっていたかも分からない。
さらには、兄貴の「暫く、様子を見よう」という言葉に従っていなければ、セントポーリア国王陛下が「15歳までなら逃がしてやれる」と判断しなければ、今、栞が生きていることもなかったもしれないと思うとゾッとする。
だが、この世界に戻ってこなければ、そんなことにも気付けなかった。
「栞ちゃん……」
オレよりも先に混乱から立ち直った兄貴が声をかける。
「キミを見つけたことで、キミから恨まれることがあっても、礼を言われる理由が分からない」
それはそのまま、オレの言葉でもある。
人間界から連れ戻されなければ、オレが見つけなければ、栞は神の御手が届かない場所にいられたのだ。
いつ、その魂が神という得体の知れない存在によって、侵され、壊されてしまう「シンショク」などに怯えることなどなかった。
人間界にいた時、栞に選択肢を与えたように見せつつも、あの世界を選ばせないように誘導したことは、オレたちの中にずっと残り続ける咎でもある。
それに対して恨まれても、礼を言われるのはおかしい。
だが、栞は不思議そうに首を傾げた。
オレたちが何故、そんな風に思っているのかが分からないというように。
「俺たちが見つけてこの世界に連れ帰らなければ、キミは今も千歳様と人間界で……」
「あ、そうか」
兄貴が言葉を続けようとした時、それを遮るかのように栞が顔を上げ、両手を胸の前で打った。
「モレナさまが言うには、あのまま人間界にいた方がもっと危険だったそうです」
「「え? 」」
兄貴と、オレの短すぎる疑問の声が重なる。
だが、その言葉を口にする栞の声は、妙に明るさを感じさせるようなものだった。
先ほどまでの沈痛な表情はどこにもない。
「わたしもずっと気になっていたんですよね~。あのまま、人間界にいたらどうなっていたか?」
栞は腕組みをしながら、何故か何度も頷いている。
「モレナさまは、わたしが選ばなかったそんな未来も視ることができるそうです」
「それは……」
兄貴が何かを言いかけて……。
「つまり、占術師の能力を持つ方々は、『選択肢の多いアドベンチャーゲーム』の『シナリオ』を全て視ることができるのだと思いました」
そんな栞の言葉で固まった。
―――― 選択肢の多いアドベンチャーゲーム
そのフレーズ。
どこかで聞き覚えがあるような気がする。
その栞に対してかなり簡潔で分かりやすくも俗な例えは……。
「あの方は、栞ちゃんの多岐に亘る未来の全てが……視えるということかい?」
「全てとは明言はされませんでしたが、話を聞いた限りではそんな印象を受けました」
兄貴が先に思い出したらしい。
そして、オレはその兄貴の言葉で思い出せた。
『「選択肢が多すぎるアドベンチャーゲームで、ランダムイベントも頻繁に発生し、さらに気が遠くなるほどの数のマルチエンディングが用意されているために、伝えるルートの説明が難しい」らしいよ』
そんなどこか呑気な栞の声とともに。
「わたしがあのまま、人間界にいたら、その先にあるのは悲劇しかなかったと」
記憶の栞の声に重なるかのように、現実の栞の声がはっきりと自分に届く。
「だから、二人には本当に感謝なのです!」
そんな嘘偽りのない謝意とともに。
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