奇襲攻撃には我慢できなかった
その姿を見た時、一瞬、誰かが分からなかった。
広場にあるベンチに座って、ぼんやりとどこか遠くを見ている女は間違いなく自分の主人だというのに。
オレが彼女を見間違えるはずがない。
だが、その横顔はいつもとは違って、かなり大人びて見えたのだ。
そして、彼女自身から漂っている体内魔気も、何か別の気配が混ざっているような不思議なモノに変わっていた。
あれは、「高田栞」だ。
それ以外のモノであるはずがない。
その雰囲気が少しばかり変化していても……。
「栞!!」
オレが堪らず叫ぶと、その女はフッと顔を上げて、こちらを見た。
そして、安心したような笑みを浮かべる。
まるで、何かから解放されたような笑み。
その柔らかい微笑みにオレ自身も安堵した。
同時に、混ざったような気配が消え、いつもの激しく渦巻くような風属性の体内魔気が瞬間的に放出された後、何事もなかったかのように落ち着きを見せる。
ここが結界内で良かった。
あんなの、他の人間に見られたら大変なことになっただろう。
今の気配がセントポーリアの王族の体内魔気だと気付く人間は、セントポーリア国王陛下に会ったことがなければ分からないとは思うが、少なくとも、シルヴァーレン大陸の貴族以上の人間であることはバレるだろう。
もしかしたら、セントポーリアの隣国のユーチャリスの王女で行方不明とされている「ユリアノ=ウシズ=ユーチャリス」様と誤解されてしまう可能性もある。
外見も黒髪、黒い瞳だったらしいからな。
年齢は違ったはずだが、この世界の人間はある程度成長したら、外見がそこまで変化しにくくなる。
特に魔力が強いと老けにくいらしい。
そのために、20歳と35歳ぐらいの人間が並んでいても、同じぐらいに見えることすらあるのだ。
実際、どこかの情報国家の国王陛下や剣術国家の国王陛下は、人間界で言えば、二十代後半ぐらいにしか見えなかった。
実際はどちらも四十前後のはずなのに。
そして、ユーチャリスの行方不明となっている王女殿下は、オレたちと5歳ぐらいしか違わなかった。
つまり、18歳の栞と誤認される程度には年齢が近いのだ。
考えてみれば、いつもは体内魔気を押さえる装飾品を身に着けているのに、今はそれらを全て外していたのだ。
意識しなければ、相応の体内魔気が溢れていしまってもおかしくはない。
だが、それも一瞬だけの変化で、栞はちゃんとその体内魔気を落ち着かせた。
装飾品に頼っているように見えて、自分でも意識的に押さえつけることができるようになったのは、かなりの努力の結果だろう。
尤も、栞の場合、身に纏っている「魔気の護り」すら、意識的に押さえつけてしまうところが大きな問題だと言える。
自身に危険が迫っても、相手のことを考えて、防御をしないというのは本末転倒だろう。
自分を傷つけようとする相手にも情けをかけてしまうのだ。
だから、オレなんかに襲われても、反撃もせずに我慢して耐えて、さらには許してしまう。
それに救われてしまったのは確かだが、他者にもそれが発揮されてしまうと、護衛としては不安要素でしかない。
「栞、大丈夫だったか!?」
少なくとも、栞が不安定になる何かがあったということだろう。
あの隠された状態では、そこまでの変化を感じることができなかった。
そこにいるのは分かるのに、いつもは感じる感情の揺らぎを全く感じ取ることができていなかったことが証明された形だった。
「大丈夫だよ」
栞はいつもの調子で答える。
「いろいろ嫌なことを言われてないか?」
「言われてないよ」
さらに困ったように眉を下げられた。
だが、これでも分からない。
彼女は感情を隠す人間だから。
「それ以外なら……」
「まずは落ち着け」
オレがそれを言い終わる前に、頭上から久しく聞いていなかった音が響く。
普通に殴られるよりもある種、屈辱感を覚えるような打撃音。
威力はなくても、その音は周囲に大きく響き渡った。
「何、すんだよ!?」
「人間界で言う『張り扇』と呼ばれるモノで、煩いお前の頭を張っただけだが?」
オレを叩いた男は澄ました顔のままそう答える。
「ただの『ハリセン』を小難しい言い方に変えただけじゃねえか!!」
「だから、往来で喚くな。みっともない」
それも、無意味に大きな「張り扇」を肩に載せたまま、そう続けられた。
「確認したくはないが、それは兄貴の手作りだよな?」
「我ながら、見様見真似ながらよくできたと思っている。音もなかなかのものだった」
この世界に、そんな形の扇など存在しない。
「もしかしなくても、わざわざオレにツッコミを入れるために創ったのか!?」
「無駄にならなくて良かった」
どこかとぼけたような会話。
だが、主人である栞は楽しかったようで、くすくすと笑みを零した。
それだけなのに、兄貴がわざわざこんなものを作ったことを褒めちぎりたくなる。
「気遣いの足りない弟でごめんね、栞ちゃん」
兄貴が栞に向かって手を差し伸べた。
ちょっと出遅れた感はあるが、仕方ない。
オレも手を差し出す。
栞は一瞬、目を丸くし、オレと兄貴の手の平を見比べる。
そこで、どちらかを選ばないのが、この主人だ。
どちらの手にも白く柔らかい手を載せて……。
「どっこいしょ」
そう言いながら、立ち上がった。
どこの世界に、男から差し伸べられた手を取りながら、そんな言葉を吐く女がいるのか?
ここにいた。
型に嵌らない我らが主人。
そして、どこまでもいつもと変わらぬその姿と言動に安堵してしまうオレもどうかと思う。
それを誤魔化すかのように顔を逸らした。
―――― ああ、やっぱり、「高田栞」は変わらない。
彼女と会話をしたのは、「人類の天敵」と呼ばれるような相手だった。
的確に相手の弱点を見抜いた上で、治りかけた傷口を瘡蓋ごと抉りに来るような言動をする「占術師」。
実際、オレや兄貴は長時間、会話したいとは思えなかった。
確かにいろいろなことを知っている。
そして、自身の疑問にも答えてくれることだろう。
だが、それ以上に自分の精神力が持つ気がしなかった。
好奇心がオレよりも強い兄貴が、珍しくあの女と会話を続けようとしなかったのも、それを裏付けている。
そんな相手との会話だったはずなのに、栞が不安定だったのは、オレたちを見つける前までだった。
あっさりと自分を立て直して、日常に戻したのだ。
強くて脆い不思議な女。
弱くて頑丈すぎる奇妙な女。
その言動と表情と存在で、どこまでもオレを魅了して止まない可愛い主人。
……邪念が入った。
オレも自分を立て直す必要があるらしい。
だが、そんなオレに対して、栞が突然……。
「捉えられた火星人の図」
そんなとんでもない言葉を口にする。
その奇襲攻撃には、我慢できなかった。
思わず、人間界で見た奇妙な生物の写真を思い出し、それを今の状況と重ねて吹き足してしまったのだ。
「お前、いきなり何を言いだすんだよ? そして、もう少し他に表現はなかったのか?」
男二人が、小柄な人間の手を引いているこの姿は、確かに、あの写真と似てなくもない。
だが、あの生物よりも栞はもっとずっと可愛いくて愛らしいので、その言葉に対して納得はできなかった。
「いや、なんとなく、真ん中に小柄な人間。そして、両側に背の高い男性二人に、繋がれた手。これで両腕を万歳させられていたら、あの写真に似てない?」
さらに完成度を求めようとする主人。
やめろ。
兄貴の笑いが止まらないじゃねえか。
「残念ながら、オレたちが今、同行しているのは火星人ではなく、地球人の血を引く主人だな」
「おおう」
そして、重ねて思うが、もっと可愛い生き物だ。
口にはしない。
全力で引かれるだろうから。
だけど、先ほどから栞の眉間に深く刻まれていた皴が取れた。
それに下がっていた眉も少しはマシに……なってねえな。
栞の垂れた眉と目は簡単に直らない。
それも柔和な印象が出るので好ましいけどな。
尤も、またすぐに難しい顔に戻った。
どうも、いろいろと考え込んでいるらしい。
それだけ、あの占術師の女と重い会話でもしたのだろうか?
「栞ちゃん」
「はい!!」
兄貴の呼びかけに、栞は背筋をピンと伸ばして、良い返事をする。
模範的な小学生のような返答に頬が緩む。
「あの方とのお話。俺たちに話したくなければ、何も言わなくて大丈夫だからね?」
兄貴はずっとそう声をかけたかったのだろう。
会話の内容は勿論、気になるが、それはおいおい聞き出していけば良い。
気持ちの整理ができる前に、オレたちに話す必要はないのだ。
これは、あの「占術師」と栞が会話をすることになってから、兄貴と事前に話し合って決めていたことだった。
あの「占術師」がオレたちを立ち会わせなかった以上、そこに何らかの意味があるはずだ。
例えば、無理に聞き出そうとすれば発動する呪い……、とかな。
「いえ、大丈夫です。でも、雄也と九十九にお話する前に、ちょっとだけ先にその内容を整理しておきたいので、部屋に戻ったら紙と筆記具をください」
だが、意外にも栞はそう言った。
「承知した」
兄貴も一瞬、目を丸くした後、栞に対してそう笑いながら答える。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
栞は、あの伝説の「占術師」と一体、どんな話をしたんだろうな?
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