聖女の邂逅が齎すもの
時間にしてみれば、数時間程度。
それでも、随分、長い時間だった気がする。
待つことには慣れているはずなのに、それでもその間の不安を押し殺すことはできなかった。
それは当然だろう。
少し前、オレの大事な主人は、「人類の天敵」とも呼べる存在に、たった一人で会うことになったのだ。
尤も、「人類の天敵」と称してはいるものの、その相手が人類を裏切る行為を行ったことは一度もない。
だが、その言動の多くは人類にとって脅威でしかなく、それを防ぐために多くの人間たちが血眼になって探しても、見つけることができないとされている。
―――― 盲いた占術師
その瞳には光を映さない代わりに、過去、現在、未来を映し出すと言われていた。
その鋭い眼力に見通せないものは何もないとも。
恐らくは「神力」と「神眼」所持者なのだろう。
盲目でも「神眼」の効果があるかは分からないが、そうでなければ腑に落ちない点が多すぎるのだ。
そして、かの者について、伝わる年代、語られる年代は多岐に亘っている。
それが本当ならば、精霊族の血を引いていることは間違いないだろう。
あるいは、精霊族そのものかもしれない。
昔はそんな知識すらなかった。
だが、今は、主人が「聖女の卵」となった関係上、嫌でもそちら方面の教養を頭に叩き込む必要がある、
さらに、主人自身も学んでいる。
それも、神官最高峰である大神官から手解きを受け、指南されているというただの神女ではありえないほどの厚遇だ。
そちらから得られる情報も決して少なくない。
尤も、その深淵には触れていないのだろうが。
その「盲いた占術師」はそんな「聖女の卵」に対して、一対一での面会を希望してきたのだ。
ジギタリスの第二王子殿下の話では「占術師」は視る対象とは第三者が入らない状態で会話することを望むという。
だから、そのこと自体は問題ない。
だが、その相手は、それを伝えるためだけに、その主人の魂を一時的に身体から引き離すという暴挙に出ている。
それ以外の手段がなかったとはいえ、やっていることは頭がおかしい行為であり、少しでも何かを間違えてしまえば、命を落とすようなことでもあった。
だから、オレたち兄弟もすぐに承服できなかったのだ。
そこで素直に従っていれば、オレたちの傷も浅かったとは思う。
だが、「盲いた占術師」はその能力を持って、オレたちを脅しやがった。
まず、兄貴の方が先に顔色を変え、オレも従わざるを得ないような言葉の羅列を口にしやがったのだ。
口にされた単語の意味は不明瞭で、それらから繋がりを見つけることすら困難であっても、それに関わる当事者なら、その言葉の本質を見出してしまう。
痛くもない腹ではあっても、無関係な他者に探られ、無遠慮に触れられること自体は不快だ。
綺麗な思い出に関わることならば、見知らぬ他人に穢されてしまう感覚が強くなるし、隠したい傷ほど関係ない他者によって暴かれることに嫌悪を覚える。
主人を護るという名目に従うならば、全力で私心を殺し、私情を捨て、保身を図らずに抗うべきだっただろう。
だが、あの場では抗う必要性を感じなかったというのが正しい。
だから、素直にオレも兄貴も頭を垂れて、「盲いた占術師」の意に添う行動を選んだ。
あの様子ではオレたちの許可がなくても、見知らぬ間に、勝手に主人に接触されることは容易に想像できたのだ。
それだけの能力を持っている相手である。
それでも、わざわざ許しを得ようとしたのは、オレたちに対する一種のテストのようなものだったのだろう。
つまり、あの場で忠義を盾に中途半端な意地を張ったところで、碌な結果にはならなかったと思っている。
相手の不興を買う上、徒に自分たちの傷を深めるだけだったはずだ。
そんなオレたちの反応が、あの「盲いた占術師」の御眼鏡に適ったかは分からない。
あの「盲いた占術師」が主人と会わせる前に望んだ条件は、「自分が『盲いた占術師』と呼ばれる存在であることを告げるな」というものだった。
結果として、最大の特徴を伝えることも許されなかったオレたちは、主人をたった一人で大した予備知識も渡さずに送り出すことになる。
尤も、伝えたところで驚きはしても、あの主人の態度はそこまで大きく変わらなかったとは思うが。
確かに敬意を称する姿勢は見せるが、それは始めだけだ。
相手の正体を知った所で、暫く会話を続けていくうちに、その相手すら自分のペースに引き込む能力を持っている主人なのである。
それは対話の相手が王族であっても、神官であっても、同級生であっても、恐らくは神と呼ばれる存在であっても、そこまで変わらないだろう。
ある意味、法力国家の王女殿下よりも「独擅場」という言葉が似合うのだ。
短時間ならその能力は発揮されることはない。
実際、カルセオラリアの第一王子殿下に対しては短い会話の時間、そして、周囲に他の人間がいたから、あの主人は弁えてくれたし、オレを庇うほどの余裕もあった。
だが、会話の時間が長くなればなるほど、相手の言葉に対して、主人は黙っていられなくなる。
だから、初対面の相手でも、邪魔が入らないように一対一の場が作り上げられたなら、あの主人が誰かのペースに引き込まれる未来など、欠片の想像もできなかった。
だが、問題は、今回の対話の主も一筋縄ではいかないような相手だという点にある。
しかも「盲いた占術師」は「暗闇の聖女」という異名も持っているのだ。
つまり、主人と同じ「聖女」である。
それらの邂逅が一体、何を齎すのか?
一般人にすぎないオレには想像もできなかった。
落ち着かない時間が過ぎた後、それまで、厳重に隠されていたものが何の前触れもなく外界に現れたような気配に、オレは思わず顔を上げる。
そのまま、何も考えず、泊っている宿から飛び出した。
一刻も早くその無事を確認したくて。
普通の人間では傷一つ付けることができないような無敵に近しい主人。
多少の魔力を帯びた程度の刃では、その頑強な身体に髪の毛一本分の傷を負わせることも不可能になった。
だが、それは肉体的な話。
その強靭な肉体が護っている精神は、呆れるほど頑丈な時の方が多いのに、時として信じられないぐらい脆いこともあることをオレは知っている。
あの場所に向かって、移動魔法が使おうとしたが、無効化された。
弾くではなく、効果消失。
どうやら、近くに飛ぶことすら許されないらしい。
そうなると、走ってあの場所に向かうしかない。
身体強化を使ってはいるものの、それでも、いつもよりもその効果が弱くなっている気がする。
これでは、辿り着くまで1,2分はかかってしまうだろう。
そして、前から同じように走ってくる姿があった。
兄貴も主人が解放された気配を感じたらしい。
並んで走る趣味はないが、その向かう先が同じだから、伴走に見えるのは仕方ない。
だから、互いに似たような表情をしながら、共にその場所に向かうことになる。
主人の気配を感じた場所には今も尚、強力な魔法封印を含めた様々な効果がある結界が張られていた。
この町には花壇を利用した結界が幾重にもあるが、それらがさらに強化され、本来の効果を遥かに超える規模のものとなっている。
しかも、恐ろしいことに、それだけのものだというのに、この町にいる人間で気付いた者がいない気がした。
その近くを通り過ぎても、誰もその場所を気にも留めない。
注意深く視れば、その周辺の大気魔気の流れが遮断されているほど、不自然な場所だというのに、地元民すら気付かないのだ。
その場所に、ベンチがあるのに、それが消えていても気付かなかったのはそういうことだろう。
その中央の広場の一部だけ、ぽっかりと穴が空いてそこだけ世界が創り替えられたかのような違和感。
オレや兄貴も、そこから主人の気配が完全に隠されなければ気付けなかった可能性すらある自然結界に近いもの。
幸いにして、その中にいる気配は微かに感じた。
気配を隠されただけで消されたわけではないことに安堵する。
だが、近付き、その姿を確認した時、オレは思わず息を呑んだのだった。
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