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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ 暗闇の導き編 ~

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精霊族の女と大神官

 精霊族の女は、かつて自身の一族が人類を捨てて、「聖霊界」と呼ばれる世界へ向かっても、尚、この場所に留まった。


 特に執着があったわけではない。

 単純に一族とともに行く気になれなかっただけ。


 精霊族の女が一人であれば、それなりに危険も伴ったことだろうが、この当時の女に関してはその危険はほとんどなかった。


 当人自身の危機回避能力が高かったこともある。


 だが、それ以上に、あてもなく、ふらふらと彷徨い歩く様は幽鬼のようであり、そこに精霊族としての誇りは欠片も見当たらなかった。


 それも仕方のない話だといえる。

 この女は盲目だったのだから。


 人間の知識では、神の遣いと呼ばれる精霊族の中に、五体満足ではない者はいないとされている。


 だからこそ、誰も女のことを稀少な精霊族とは思わなかったのだろう。


 尤も、神の中には、人間や精霊族に対して、試練と言う名の悪戯を与えてはその苦労する様を見て、楽しむようなそんな存在もいる。


 だから、四肢が欠けた肉体を持つ者もいるし、なんなら、盲目どころか視えず、聞こえず、語れないような者だっているのだ。


 そして、その女は同じ場所で暮らし続けることはできなかった。


 女は何も変わらぬのに周囲は変わっていく。

 人間として生き続けるには、精霊族という種族は長い間、あまりにも姿形が変わらないのだ。


 だから、同じ場所に留まることはしなかった。


 女は自分の身の上を不幸と思うこともなく、そんな試練を与えた神や、自分を捨て置いた一族を恨むこともなく、ただ歩き続けていた。


 尤も、盲目であったその女は、精霊族の中でも異端だったことは間違いないだろう。


 単に目が見えないというだけではない。


 その目に何も映すことはできなくとも、不意に視える像や光景、耳ではなく頭に響く音、そして、脳裏に浮かんでくる不思議な文字があったから。


 それが、予知と呼ばれる能力であることを女は知る。

 何故、そんな能力を持っていたのかは分からない。


 それでも、女はそれらをただ思うがまま、行く先々で口にしていく。

 ただそれだけで、人類は女を恐れ、敬うようになった。


 人間として生を受けていない女には、人類で言う「名前」というものを持たない。


 だが、ただの一度も、名乗らなかった女でも、不思議な言葉を100年も口にし続ければ、その存在は知られていく。


 そして、気付けば、その容姿と相まって、「(めし)いた占術師」と呼ばれるようになっていた。


 それでも、女は何も変わらない。


 だが、女を追う者は確実に増えていった。

 女自身は何も変わっていないのに。


 世界各国を彷徨い続けた女は、やがて、藍の大陸の中央部にある深い森の中で、一人の昏い瞳をした少年と出会い、育てることになる。


 それは女にしてみれば、気まぐれにすぎなかった。

 これまでずっと一人だったのだ。


 だからその時も深く考えずにその手を差し伸べた。

 飽きたら放り投げれば良いと思いながら。


 だが、それが、女の転換期となる。

 やがて、その少年は育ての親である女を慕い、焦がれるようになった。


 それは傍目にも分かりやすい「雛の追尾行動(インプリンティング)」。


 人間であれば、重苦しいほどの愛情ではあったが、女はそのまま、少年の行動を放置、容認した。


 これまで、純粋に自身を求められたことなどなかった女には、少年の言動がその視えない目にも新鮮に映ったのだろう。


 あるいは、孤独な者同士による傷の舐め合いだったのかもしれない。


 名前がないと不便だと言った少年は、いつしか、女のことを「モレナ」と呼ぶようになった。


 女にしてみれば、名前の必要性など感じたこともなかったが、逆に不要と切って捨てることもせず、少年の好きなようにさせることにした。


 やがて、時は過ぎ、少年は青年へと成長する。

 それは、単純に成長したと喜べるものではなかった。


 出自不明であったが、精霊族の血を引いていたと思われる少年は、女への想いを育て、「適齢期」と至ったのだ。


 精霊族は「番い」と巡り合えば、急成長する。

 だが、「番い」に会わずとも、長い年月を経れば、ゆっくりと成長していくのだ。


 そして、青年は自身の成長を素直に喜んだ。


 だが、女は青年から離れることにした。


 いつか、その青年は自分をともにいるための相手と見定めて、次世代を儲けるための行動に出るだろう。


 それは女の望むものではなかったのだ。


 だが、青年は違った。

 青年はただ女だけがいれば良かったのだから。


 だから、女から離れまいと懸命にその後を追うが、青年にとって不運だったのは、女は純粋な精霊族だったことだ。


 その姿を人界から完全に消すことなど、わけもない。


 青年はそれを理解しつつも、その僅かな痕跡を頼りに、常に女を追い続けた。


 その過程で、人類は青年の存在を知ることとなる。


 中性的で神が創ったのかと思わせるような端正な顔立ちに、清廉で眩いばかりの「神力」所持者。


 そこにいるだけで誰もの目を引く美しき神の遣い。


 それを易々と見逃がすことなど「神官」と呼ばれる者たちができるはずもなかった。


 「神官」たちにとって、自身の立場を揺るがすような存在を許すことは心穏やかでいられるはずもないが、そんな安っぽい僻みすら叩き伏せるほどの圧倒的な神力を見せつけられれば、跪き、その(こうべ)を垂れるしかない。


 そして、自分たちの頂点へと抱くのは、優れた能力を持つだけでなく、眩いばかりの見目を持つ方が良いのは当然だろう。


 良くも悪くも実力主義の世界。


 そして、その青年を人類と神を繋ぐ「神扉の番人」とするために、「大聖堂」と呼ばれる権力者たちが動き出す。


 「(めし)いた占術師」と呼ばれる女と、突然、人里に現れた麗しき青年の関係を知らぬままに。


 青年は悩んだ。


 このまま、闇雲にあの精霊族の女を追い求めるには、自身の力が足りないことに気付いていたから。


 だから、「大聖堂」の申し出を受け入れる。

 いずれ、「神扉の番人」として、頂点に立てば、女に並び立てると信じて。


 良くも悪くも、純粋であの女しか見ていなかった青年は、それ以外の人類を知る。


 そして、ますます女だけを追い求めることになる。


 女を追うその過程で、誰よりも聖跡、神像に触れることとなり、その神力を磨き上げることにも繋がった。


 その副産物が、実は女の企みによるものだと知ったのは、随分、後の話。


 それは、突き放しても、姿を見せなくとも、あの女が、青年を自身の身内と見なしていた証。


 そして、周囲の思惑通り、青年は神官たちの頂点に立ち、「神扉の番人」としての責務を果たすことになる。


 「適齢期」と至り、成長した青年は何度も「禊」という儀式を乗り越えることになるが、青年にとっては、あの女以外の女は異性に見えないことは幸いだった。


 人間にとって、「発情期」と呼ばれる期間は、強制的に次世代を儲けるためのもの。


 それを感じない相手には全く反応しない。


 だからこそ、その周囲にあの女の気配を感じない限りは、「発情期」にあっても、そこまで苦しい思いを抱え込まなくて良かったのだ。


 その逆に、その時期にあの女が人界にいた時は悲劇だった。


 襲い来る幻に精神を蝕まれ、思考を溶かされていく。

 それでも、そこに罪悪はなかった。


 それこそが、自分が精霊族の血を引く人間であることを証明していたから。


 何より、唯一以外を求める気が全く起きないというのも喜ばしかった。


 口先だけではなく、心が求めない。


 それは、精霊族の血を引いていることに起因していたのかもしれないが、青年にとっては理由などどうでも良かったのだ。


 だが、青年の愛しき相手はとんでもない女だった。

 彼の予測を越えるような手段を以て、その魂を縛り付けようとした。


 大聖堂にある「禊の間」。


 そこには出入り口と呼べるものがない。

 その入り口を持つ者の手でしか入ることも出ることも適わない牢獄。


 だからこそ、神官たちが「発情期」を乗り越えるために安心して使うことができるのだ。


 そんな場所に、女はやってきた。


 それも、大神官と呼ばれて久しい男が、いつものように「発情期」をただ一人で乗り越えようとしている時に。


 「発情期」中は、自分の望みを夢に見るという。

 自分の想い人、好ましく思う相手などを中心に、何度も異性と交わる夢を見る。


 だから、大神官はいつものように夢だと思った。


 目の前に現れた女の全てを壊すかのように乱暴に、何度も、自身の欲望を叩きつけたのだ。


 その見た目も、声も、匂いも、漂う僅かな気配すら、全てが本物そっくりの幻。

 違ったのは、感触だった。


 そして、いつもの夢と違う反応。

 さらには、自身に齎された快感。


 だが、とうの昔に溺れていた男が、すぐに正気に戻れるはずもなかった。


 いや、気付いていても、この機会が二度と訪れないことを知っているからこそ、目を瞑ったと後になって思う。


 そうして、何度目かの交わりの果てに、女の姿は世界に溶け込むかのように消えた。


 全ては夢だったと思いたかったが、その身体は正直だった。

 あれほどの渇望が消え失せて、後に残るは倦怠感ばかり。


 そして、大神官と呼ばれた男は、その後、二度と「発情期」になることはなかった。


 ―――― そんな夢を視せられた。


 全ては過去に起こった話。


 それを確かめる術など、自身は持ち合わせていないのだが、それでも、このタイミングで()()()()()ことに意味はあるだろう。


 だが……。


「こんな形で、()()()()()()()()()()()()()()()、喜ぶような人間はいないと思うのですが……」


 夢に出てきた男にそっくりな顔を歪ませて、そう独り()ちるしかない。


 自分の製造元となった女と男の出会いから交わりまで。


 どんなことがあっても動じない鋼の精神力の持ち主と言われている青年だって、その美貌を崩すのは当然である。


 尤も、その経緯については端的に聞かされていた話だ。


 当人の苦悩とともに。


 それが、少しばかり、いや、必要以上に詳細に伝えられたのは、恐らく、あの女の仕業であろう。


 多少、衰えたとは言っても、あの女が「神力」所持者であることは変わりない。


 そして、あの女はこの青年を煽ることに関しては、本当に天下一品の腕を持ち、国士無双の働きをしてくれる。


 それも幾度となく。


 正神官に上がって以降から、このような扱いをたまに受けているのだから、青年の精神修行は相当なものであろう。


 ただ、それでも、そんな夢を視るのは決まって、精神的に浮上が難しいほど沈んだ時ばかりだと、青年自身も気付いていた。


 そして……。


「そうでした。『全てはアナタの手の内』……、でしたね」


 そう呟く。


 ただ一度きりの手紙。

 それは今も、自室の机の引き出しに、幾重にも封印を掛けた上で保管している。


 決して、誰の目にも触れないように。


「だから、今度こそ、遠慮なく殴らせてくださいね」


 そんな物騒な言葉を口にしながら、「神扉の護り人」であり、「大神官」と呼ばれる男は、妖美なる笑みを浮かべるのだった。

ある意味、この章の答え合わせとなる話。


そして、この話で92章が終わります。

次話から第93章「未来はいつだって目の前にある」です。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました

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