導いた相手
「あの嬢ちゃんには分かりやすく話したのか?」
男が気になったのはそこだった。
この女の話は酷く分かりにくいのだ。
言葉が通じているようで、微妙な差異を感じる。
そこは仕方のないことだと知っていても、事が事だけに、気に掛けないわけにはいかないだろう。
『いや、いつも通り』
案の定、けろりとした顔で女は答える。
「……通事が必要だったのではないか?」
ある程度、慣らされた男でもそう思うほどなのに。
『さあね。あの娘の未来は本当に読みにくい。努力はしたが、もう少し近付かなければ、残念ながら道筋は視えないようだね』
相変わらず、自分の主観でしか話をしない。
男の問いかけに答えているようで、言葉をただ並べているだけだった。
同じ常識を共有していない人間ではないモノに、人間への気遣いを求めることはできないが、それでも、女の行動原理と行動心理を少しでも理解してしまった男としては余計なことを言いたくなるのだ。
『ああ、クソ坊主のことも話してやったよ』
「……話したのか?」
この口調から、普通の話ではない。
ごく普通の日常会話の一端であれば、「話した」であり、「話してやった」とは言わないだろう。
男は次なる言葉に備えて、心構えをする。
どこかの従者のように、女の言葉に振り回される予感がしたのだ。
『種付けへの経緯までしっかりと』
そんなとんでもないことを、笑いながら当事者である女は語るが……。
「未婚の娘相手になんて話をしているんだ!?」
それを知る者としては青くなるしかない。
そして、その話し方によっては、次にあの娘に会う時に軽蔑の視線を浴びることを覚悟しなければならないだろう。
『ヤツを神官へ導いた相手だからね。聞く権利はあるさ』
あの娘が神官へと導き、周囲の人間たちが、人の心を与えた。
それらの存在なくしては、今代の「神扉の護り手」はいない。
少なくとも、女も男もそう思っている。
だが……。
「経緯まで話す必要はないよな!?」
男としては、そう叫ばざるを得なかった。
『え~? 普通の出自ではあそこまで突き抜けた坊主は誕生しないと分かりやすく伝えただけだよ?』
「そう言えば良いだけだ。わざわざ詳細を伝える必要ないと思うが!?」
あの素直な娘なら、当時の「大神官」と占術師の能力を持つ女の間に生まれたというだけで納得しそうなのに。
『女としての危険性と、「聖女」としての心構えを伝えるには良い話題じゃないか』
「良くない!!」
『被害者の傷を知ることも大事だろうし』
「あの場合、私が被害者だったはずだよな!?」
自身の「発情期」に合わせて、本来、誰も立ち入れないはずの「禊の間」に現れた女。
いつもの幻と思って、自身の欲望の丈をぶつければ、実は本物だったわけだ。
それを罠と言わずしてなんというべきか。
『いやいや、ワタシの方が被害者だよ。まさか、生娘相手にあんな無体を繰り返し行うとは、流石、「セイなる坊主」の頂点に立つ男は、格もモノも違うよね。いや~、ご立派、ご立派』
「品がない!!」
その露骨な物言いに流石に男は顔を顰める。
『今更、ワタシに品性を求めてどうするのさ? それにそこまで堕としたのは間違いなく、ランスだろ?』
そう言われてしまえば、ランスと呼ばれた男は、押し黙るしかなかった。
この世界でも稀有な能力の持ち主。
罠に嵌められたとはいえ、それを穢し尽くしたのは間違いなく自身だ。
『結果として、「聖女」を助ける「神扉の護り手」は生まれた。まあ、思ったより長い時間、この腹に抱えることになったのはかなりの誤算だったけど、結果として、今代の「神扉の護り手」は精霊族よりにならず、人間よりになれたんだ。これで良しとしようじゃないか』
そして、男自身も救われている。
この世界の男特有の生理現象である「発情期」の終わりと、「神扉の護り手」の生まれた年代は、十数年の隔たりがある。
だから、それを誰も結び付けない。
その関係は「養父」と「養子」の関係。
それを疑う者はいないだろう。
だが、それは通常の人間が相手の話だ。
精霊族の血が濃い女にとって、十数年の時を無にすることは不可能ではなかった。
―――― 魂響族
魂の揺らぎを感じ取り、生と死を司るとも言われている精霊族。
人類が死を迎える時は、安らかな眠りを。
そして、生まれる時は、大いなる祝福を。
そんな一族の血を引く精霊族が、自身の胎に宿った生命のためにその能力を行使することなどもなく、人類としてはありえないほどの長い時間、その魂を成長させずに留めおいた。
全ては、聖女がこの世界に生まれる日に備えるために。
「聖女とアレを添わせることは考えなかったのか?」
『考えたよ』
恐らく、それが一番、丸く収まったことだろう。
出自は分からないが、強大な能力を持つ人類の切り札たる「神扉の護り手」。
そして、婚外子とはいえ、一国の王と「創造神に魅入られた魂」である女との間に生まれた「聖女」。
法力は遺伝しない。
だが、神の加護の一つである「神力」は遺伝する可能性がある。
だからこそ、「神力」所持者同士の婚姻は推奨されるのだ。
次世代の魂も神に気に入られれば、「神力」を得られるために。
『だけど、その先にあるクソ坊主と「聖女」に幸せな未来はなかっただろうね』
それを女は望まなかった。
聖女のためだけに生み落とされた「神扉の護り手」は、人の心を解さないまま、周囲を顧みることなく、聖女だけのために盲目的に生きることになったことだろう。
その果てに、「神扉の護り手」となった精霊族に護られ続けた「聖女」は、面目次第も無いと、その手を取る以外の道が選べなくなる。
心のどこかに別の人間の面影を残したまま。
そして、それを承知で「神扉の護り手」は「聖女」を捉え続ける。
あの「聖女」のためだけに、全ての邪魔な存在を排除して、神を相手に弓を引くことを迷わずに。
そんな道を選んで救われるのは、「聖女」に関りを持たない有象無象の人類だけ。
「聖女」に深く関わった人間ほど、救いのない未来へと導かれる。
そして、救われたはずの人類は、人の心を持てなかった「神扉の護り手」から、「聖女」を引き剥がそうとして……。
我が子が生まれる以前から、そんな未来を知っていて、それを選べるほど人類を愛しているわけではない女は、人類よりも我が子が救われる未来を模索し続ける。
その結論は、ただ一つ。
「聖女」の誕生よりも少しばかり先に、「神扉の護り手」を生むことだった。
「導きの聖女」と共に進むよりも、先を進み、その手を引く存在たれば、人類の未来は不確定となるが、「神扉の護り手」は「聖女」と触れ合う前に他の人間たちと出会い、人の心を得る。
そのことによって、やや「神力」は落ちるだろうが、それでも、本人が救われない未来の光景はかなり薄まった。
「存外、母親だったのだな」
一度も聞いたこともなかった女の本心に、男は深いため息とともに、自身の安堵を漏らした。
『あんなクソ坊主でも、腹を痛めて生んだ唯一だからね』
そのために、女は自身が神から与えられた「魂の欠片」と呼ばれるモノを迷わず犠牲にしている。
生まれ落ちる「神扉の護り手」となる存在の「神力」をより強固にするために。
ソレが自我を持ったのは、女にとってちょっとした誤算ではあったが、結果として、「神扉の護り手」と「聖女」の絆を強めるきっかけとなったのは確かだろう。
「その気持ちがあれば、もっと会う機会を持てば良いのに」
『ランス』
男の言葉を遮るかのように女は強い口調で呼びかける。
『随分、耄碌爺となったもんだね。かつては「神扉の番人」だった者が、随分と口が軽くなったじゃないか』
そこにあるのは本気の怒り。
それは分かっているが、男としては言わずにはいられなかった。
「ヤツも気に掛けているから言っているんだ」
『はっ!! もう乳離れできないような赤ん坊じゃないんだ。ただ生んだだけの母親に縋られても困るね』
そう言いながら、女はひらひらと男を追いやるように手を振った。
「先ほども言ったが、ここは私の部屋なんだが……」
そう言いながら、男は離れるどころか、女に近付く。
『なんだい? 溜まってるのかい?』
「そうだな。疲れもストレスも随分、溜まっている」
そう言いながら、大仰な息を吐いた。
『そうかい、そうかい』
そう言いながら、女は男に向かって手を伸ばす。
そこにいるのは、かつて「大神官」と呼ばれた男と、「盲いた占術師」と呼ばれている女であり。
『なるほど、なるほど? 乳離れできないのは、父親の方だったか』
「抜かせ。その控えめ過ぎる母性で何の主張できると言うのか」
ただの「ボルトランス」と言う名の男と、その男から「モレナ」と名付けられた女でもあった。
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