有名すぎる名前
真っ暗で静かなる闇は、自身の心を落ち着け、意識を集中させ、過去、現在、未来へと思いを自在に巡らせることができる。
だが、それは光や音がその思考を遮らなければの話。
僅かな光や、微かな音は、無意味で不可解な雑音となり得る。
冥冥の裡、侵食され、その魂に響いてしまえば、只人たる身に抗えるはずもなく、後はただ落ちていくのみ。
そして、一度、落ちてしまえば、元には戻れない。
白き衣を纏った聖人は、深く静かな闇の中で、行きつ戻りつ、愚かな問答を繰り返す。
即ち……。
「ここは、私の部屋だったと思うのだが?」
そんな基本的な話である。
『少しぐらい休ませてよ。流石に、ずっと外にいると流石に疲れるんだ』
だが、目の前の寝台でしどけなく寝そべっている女にそんな道理が通じるはずもない。
世界の全ては自分のモノ。
自分のモノは自分のモノ。
そんなどこかで聞いたことがあるような言葉を真顔で口にするような女である。
今更、自身の問いかけに対してまともな答えが返ってくることは期待していないが、それでも、数少ない癒しの場に入り込んだ挙句、我が物顔で寛がれることには抵抗はある。
「自分の寝床に帰れ」
『良いじゃないか。全くの他人ってわけじゃあるまいし』
「十分、他人だったと記憶しているが?」
確かに、女が言うように、他人と言い切るには難しい仲ではあるのだが、世間はそれを知る由もない話だった。
血縁関係になく、周知もされていない関係など、「他人」と称するほかないだろう。
何より、その関係を望んだのは女の方である。
『あらあら、つれない、つれない』
そして、それが分かっているからこそ、女も気にすることはない。
寧ろ、嬉しそうに言う。
『でも、昔よりは暇でしょ?』
「生憎、最近は不出来な者たちの不始末に追われている」
『おやおや、それはそれは、ご苦労なことで』
その内容も、理由も分かっているにも関わらず、女は微笑んだ。
『まあ、枯れかけた老木の手も借りなければいけないほどその屋台骨が腐っているってことだ。それを、未熟な柱一本で支えようとするからあちこち無理が生じているんだよ』
まるで他人事のような言葉。
実際、女にしてみれば、我が事ではないのだ。
知り合いが関わっていたとしても、そこで大した問題とする気もなかった。
『ああ、そうそう。先ほど、ちらっと「導き」の「嬢ちゃん」に会ってきたよ』
「……は?」
何を言われたのかが理解できなかった。
「ついでに、土産も貰った。食らう? 美味いよ」
そう言いながら、一口サイズの焼き菓子と思われるものも差し出されるが、それは手で制す。
それも予測していたのか、そのまま、女の口に入った。
女が突拍子もないことを言い出すのは、割といつものことではあるが、その中でも、先ほどの発言は、いつも以上におかしな言葉だ。
『何、呆けたツラしてんのさ? ああ、「導きの聖女」の方が、通りが良い?』
「そこじゃない。何故、あの嬢ちゃんに会ったんだ?」
『……導き?』
男の問いかけに対して、首を傾げながら女はそう口にした。
その反応から、どうやら、特に意味はなかったらしい。
だが、この女が動く時、大半は、そこに意味が生じてしまう。
もしくは、意味を見出してしまう。
それらは、当人の意思に関係ないからタチが悪い。
「そうか。会ったのか」
『うん。見た目にも可愛かったし、何より素直だ。あれは神や精霊たちから愛されちゃうのも分かる、分かる』
何事にも興味、関心を持たないように見えるこの女にしては珍しいほどの言葉だった。
『ワタシのことを「占術師の能力を持つ者」として見ただけで、「占術師」としては一度も思わなかった』
「それは……、本当か?」
それは男にとっても意外な言葉だった。
確かにこの女は「占術師」の能力を持っているだけで、本人は一度も「占術師」として名乗ったわけではない。
だが、この世界ではこう呼ばれている。
―――― 盲いた占術師
それはあまりにも有名すぎる名前。
「名乗らなかったのか?」
『「暗闇の聖女」の方は伝えたよ。同類だからね』
相手はあの「聖女の卵」だと言う。
それならば、同じ「聖女」として、そちらを名乗ることはおかしな話ではない。
そして、あの娘はその「暗闇の聖女」が、「盲いた占術師」であることは知っているはずだ。
『その上で、「占術師」ではなく、「先輩聖女」として見てくれた。あんな人間は初めてだったね』
それは本当に無邪気で嬉しそうな笑み。
「なるほど。あの嬢ちゃんは私たちが思っている以上に、大物らしい」
それは知っていたことだ。
だが、この女を「盲いた占術師」と知った上で、そんな扱いをしないという人間は、当人が言うようにこの世界には皆無だろう。
この男すら、そうだ。
女は出会った時から、ずっと「占術師」でしかなかったのだから。
『そうだね。普通の型に嵌らない。まあ、後の世まで「聖女」と呼ばれる人間は、大半そうだけどさ』
などと、それ以上に「型に嵌らない」女は頷いていた。
当人にその自覚はあるらしい。
男は肩を竦めた。
『5回』
女は自分の指を折り曲げながらそう呟いた。
「何の数だ?」
『5回、ワタシがあの娘の言動を読み間違えて、奇妙な方向へ話が進むところだった』
「それは凄いな」
男は素直に感心する。
この女は相手の行動を予測して言葉を吐く。
だが、その予測が何度か外れかけたらしい。
女の能力を正しく知る者としては、それは意外な事実でもあった。
『先読み段階でそれを読んで軌道修正しなければ、人類は今度こそ終わっていた。救うつもりが、滅ぼすところだったよ。いや~、危ない、危ない』
「……何故、そんな重要な話をしているのだ?」
だが、流石に人類に関わる者としては、そこに疑問が残る。
女は「占術師」の能力を持っている。
それは確実なる未来確定の能力。
その能力を持って、本来は変えることができないはずの未来を、女は自分の言葉で巧みに軌道修正していくことができる。
その能力を知ってはいるが、誰も知らない場所、知らない所で、勝手に人類の行く末までも占わないで欲しい。
『相手が導き? だから?』
女は疑問符を付けながらも、またも首を捻った。
『あの嬢ちゃんがなんとか「今代の聖女」に納まってくれたから、人類に希望の光が齎された』
だが、齎されたのは希望の光だけではない。
同時に、破壊の闇も目覚めたことを、神の影響を受けやすい者たちほど理解しているだろう。
『あまりにも「創造神」と「導き」の影響が強すぎて、ワタシすら思う方向に話が進めることができないのが難点だね』
未来確定の眼を持ち、未来修正の口を持つ女。
神に近しい能力の代償として、生来、女の瞳に現実は映らない。
他者の目を通してしか、自身が生きる世界を視ることができない哀れな女はそれでも楽しそうに笑っている。
「凡人にも分かるように説明してくれ」
『独り言だから』
どうやら、説明をする気はないらしい。
「毎回言うが、それならば、私の耳目が届かない所でやってくれ」
暗に独り言を目の前でするなと告げると……。
『ヤだよ。つまらない』
そんな分かり切った言葉が返ってきた。
この女が動くのは、楽しいか、楽しくないか。
面白いか、面白くないか。
それに尽きる。
『本当なら、聖女はもっと前に生まれていたんだ』
そして、さらに大きな独り言を続けるらしい。
ここ数十年、何度も女の口から語られる呆れるほど大きな独り言。
『でも、その器は完成する前に壊された。破壊の呪いかな? だから、破壊は待ったんだ。次なる聖女の器の完成を。封印は既に解けていたのに、聖女に会うためだけに、待ち続けた。紫の「病み」に受け継がれるはずの「意識」が、「坊や」に行ったのもそのためだ』
それはこの世界のほとんどが預かり知らぬ悲劇。
当然だ。
六千年前にこの世界を絶望へと落とした「魔神」は「封印の聖女」の力で「幻の大陸」にて今も尚、封印され続けている。
それが、世界の通説であり、不変なものだとされているのだ。
だが、世の中に変わらぬものなどなく、終わらぬものなどない。
六千年前の魔法など疾うに消え、「魔神」は自分の意思で封印の中に収まり眠っていたのだ。
何度も、「意識」を起こそうとするモノの手を躱し、その時を待ち続けた。
それは、かつて女神に焦がれた神の妄執。
そして、時は来た。
既に「魔神」は解き放たれ、目覚めている。
後は、この世界が落ちるのみ。
それを知る元「神の扉の番人」は、大きな溜息を吐くしかなかった。
『さてさて、あれらの話を聞いた上で、あの導きはどの選択をするかな。「精霊の囁き」でちゃんと知っている誰かの声が聞こえたみたいだから、そこまで心配はしていないのだけど』
全てはとりとめのない話。
だが、そこに人類の命運は託されたらしい。
女の呟きで、それを男は察するしかなく、人類の知らぬ場で、本人の意思とは関係なくそんな重荷を背負わされてしまったあの年若き娘に同情の念すら抱くのであった。
実は、この話に出てきた「5回」という数字は、作者がこの章を書くにあたって、文章の大規模修正をした数だったりします。
具体的には、投稿前に何話分か丸々、書き直しをしました。
小規模な修正はいつものことですが。
どうしても、彼女たちの会話は、横道に逸れてしまうのです。
それでも、なんとか書きたかった部分は最低限、書けたかと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




