耳に残る言葉
『「神力」と言えば、あの古書店内で聖歌を歌おうとしたのは何故かを聞いても良い?』
モレナさまは風で乱れた髪を直し、衣服を整えつつ、そう尋ねてきた。
わたしの「魔気の護り」は反射したけれど、それをさらに防御しようと発動した二度目の「魔気の護り」を相殺した時に出た風圧の勢いまでは殺しきれなかったらしい。
でも、わたしは髪や服だけでなく、身体をずらされているから、わたしの負けかな。
「えっと、創造神の彫像を見たので、何かの罠かと思って、それに対抗しようとしました」
わたしの「神力」は歌によって、行使しやすくなる。
その状況によっては「神力」の強化や、時には特殊効果が発揮されたりもするらしい。
自分でその効果が選べないのが難点だけど、魔法よりは他の人間による「神力」に抵抗しやすいのだ。
そして、わたしの神力は攻撃型でもないらしいので、歌ったところで、誰かを傷つけることもないとは聞いている。
『なかなか凄い度胸だね』
モレナさまは呆れたように言った。
『創造神の彫像を創り出せる時点で、その罠に嵌めようとした相手が、普通じゃないとは思わなかったのかい?』
「普通じゃないと思ったから、状況を打破するために聖歌を歌おうと思ったのです」
あの時は、まさか、アレが、創造神自らが作り出した神像だとも思わなかったし。
『創造神の神像なんて、正黒や正茶の坊主たちが知ったら、模造品であっても、殺到するほどのものなんだけど、それに触らないどころか、激しい拒絶の意思を見せるんだもんね。いやはや、ビックリ、ビックリ』
「正黒」は、正神官の神官装束の布地に使われる色の通称であり、「正茶」はその上の神位である上神官の布地の色の通称だ。
正神官よりも神位が低い見習神官の衣装は黒、準神官が灰、下神官が茶なので、その区別のためだろう。
でも、その言い方を知っている方が珍しい。
ほとんどが神位名称で呼ぶため、衣装の色名を口にする機会なんて、神官装束を新調する時ぐらいらしいから。
「わたしは『神女』になりたいわけではないですから」
『ラシアレスは小娘以上の存在だもんね?』
「そんな意識でいるわけではないのですが……」
どうやら、神官が坊主なら、神女は小娘らしい。
かなりご年配の神女はどう呼ぶのだろうか?
『ワタシよりも上の小娘はもういないから、小娘だよ』
「あ、そうですね」
言われてみれば、200歳を越えるような女性は大聖堂内には多分、いなかったと思う。
年齢詐称がない限りは。
でも、どんなに偽ったとしても、精霊族の血が流れていない限りは、それを越える年齢というのは難しいだろう。
『坊主の方はいたよ。確か、正茶だったかな』
上神官にはいるらしい。
まあ、精霊族の血が入っている方が、法力の才が出やすいらしいとは聞いている。
長耳族の血を引いているリヒトはそのタイプらしいし。
『ラシアレスはよく、あの長耳族を手放せたもんだね』
「本人が決めたことなので」
それに、番いであるスヴィエートさんもリヒトの意思を尊重して、暫くの間、離れる道を選んでくれた。
それなら、わたしだって彼を応援するしかないでしょう?
『まあ、あのクソ坊主が後継として選んだんだ。潜在能力は間違いないよ』
恭哉兄ちゃんはまだ、22歳だったと記憶している。
後継を考えるのは早い気がするのだけど……。
『いつ、何があるか、分からないからね。精霊族の血が混ざっているなら、寿命は長い可能性が高いからじっくりと育てられる。それに、あのクソ坊主もようやく、自分の手札を増やしたくなったってことだろうね』
それだけ聞くと、恭哉兄ちゃんがかなり悪い人っぽいのだけど、気のせいでしょうか?
『あのクソ坊主を「良い人」なんて言えるのは、ラシアレスと坊やぐらいだよ。緑の姫さんすら悪人扱いしているじゃないか』
「それはケルナスミーヤ王女殿下が素直じゃないからだと思いますが……」
ワカはある意味、わたしよりも照れ屋さんだから、彼女の言葉を鵜呑みにしてはいけない。
恭哉兄ちゃんも意外にはっきりと好意や賛辞を口にしちゃう人だから、それに反応して、うっかり、心にもないことを口にしてしまうのはよく見ていた。
恭哉兄ちゃんの方は、それすらも楽しいらしいけど、あれ? それって、性格が悪いってことかな?
いやいや、まさか。
大神官である恭哉兄ちゃんの性格が悪いというのなら、この世界には一人も善人がいなくなってしまうではないか。
『ラシアレスが残ると思うよ』
「いえいえ、わたしは悪人ではないけど、善人とも言い難いので」
結構、悪いことも考えちゃうし、自分の利益になるなら、拙いながらも、策を弄することもある。
『ラシアレスって、時々、ワタシ以上に盲目になるよね』
「ほ?」
なんか、不思議なことを言われた。
え?
わたしは何か見えていないことがある?
『でも、見えないままの方が良いこともあるか。特に光の兄弟にとっては、貴女がそのままでいてくれた方が、仕え甲斐もあるかな』
「周囲が見えていない主人だと護衛たちは困りませんか?」
実際、彼らを何度も困らせている身としては、見たくないものから目を逸らすという行為は良ろしくはないと思っている。
いつかは、いろいろなものに向き合わないと!
『周囲が見えないのは困るよ。でも、ラシアレスが見えていないのは自分自身だから、問題なし!!』
「自分自身と向き合っていないって最悪じゃないですか!!」
『誰にも迷惑がかからないなら良いんじゃないかな? それに、自分自身が見えてないなんて、ある意味、ワタシと一緒だね!! お揃い、お揃い』
凄く良い笑顔で言われても困る。
そして、その言葉に対しては下手に返答もできないからもっと困る。
『さて、ラシアレス。いろいろなことを話した気がするけど、ワタシのことをある程度知った上で、貴女の方から何か聞きたいことはあるかい?』
「あの方に告げる気はないのですか?」
いろいろなことを話したけれど、引っかかるのはその話だった。
あの人は、事情を知らないままで良いのだろうか?
『うん、ない』
「……そうですか」
清々しいまでにはっきりと口にされてしまった。
あの人とわたしは他人だ。
だから、これ以上、余計な口は挟めないし、ここまで覚悟を決めてしまった人にその半分どころか、十分の一も生きていないわたしが言えることなんて本当に何もないのだろう。
『いやいや、気にしてくれただけでも十分、十分』
モレナさまは笑顔を崩さない。
『でも、ワタシの占術師としての能力を知っても、なお、気になったのはそれぐらいって本当に凄いよね。過去、現在、未来。あまねくすべての時代を知る機会だというのに』
「十分すぎるほど聞けましたから、良いですよ」
わたしの脳内の容量は既に越え、表面張力でギリギリ零れないように保たれているような感じだった。
これ以上無理に詰め込んだら、その話のほとんどは、ダムが決壊するかのように脳から溢れ出てしまうかもしれない。
『それでは、そんなラシアレスに僭越ながら、先達の教えを授けようかな』
さらに、大事な話があるらしい。
どれだけ、覚えていられるかな?
『今あるものを大切に』
「はい」
『失ってから後悔しても遅いからね』
「はい」
それは失ったことがある人の言葉。
この方が何を失ってきたのかは、わたしにも分からない。
『そして、自分に素直になることは大事。手にしたものを失いたくなければ、無様に泣き叫んででも、全てに逆らってでも護ることだね』
モレナさまがそう微笑んだ。
それと同時に……。
『覚えておきなさい、ラシアレス』
不意に、空気が変わった。
『風の神子は舞い戻った。此度こそ、捧げよ。光れ、光れ、闇え。ただ導かれるままに。共にあれ、包まれよ、畏れ惑え。光れ、光れ、闇え。その心のままに』
それまでの穏やかな雰囲気が一変し、そこにあるのは昏く闇然たる光無き孔。
『糸は廻り巡る。撚りて、捩じりて、糾いて、結ばるるために』
これは、「神言」だ。
モレナさまの意思ではない言葉。
だから、二度と聞けない。
『あるべき形に、あるべき場所に。正しくあれば、やがて――――』
いつだって、占術師が紡ぐ「神言」の意味はほとんど分からない。
だけど……。
『運命の女神は勇者に味方する』
何故か、この一節だけは、必ず耳に残るのだ。
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