耳に響く声
『ラシアレスは頭が良いね』
「ありがとうございます」
その言葉は、皮肉ではなく本心から言っていることが分かるので、素直に礼を言う。
『うんうん。この顔、この顔。若い頃に似てるな~』
誰の……とは尋ねるまい。
そうか。
あの方は若い頃はあんなに端正なお顔だったのか。
相当、苦労されたんだな。
モレナさまは自分と生んだ子だけは自分の目で視ることができない。
だけど、人の思考は映像付きで視ることができるのだ。
つまり、わたしが頭の中にしっかりと思い描けば良いと考えた。
普通に回想するだけではその映像は曖昧になりやすいらしいので、絵を描く時並みにしっかりと頭の中で細部まで思い描いた。
これほどあの人のことを考えるのはある意味、初めてかもしれない。
『ふふっ……。ホントに表情が変わりにくいんだね』
動きのない姿なら、多分、写真のように再現できていると思う。
だけど、それを記憶の通りに動かそうとすると、途端に細部の再現が難しくなる。
仕草とかはちゃんと覚えているのに、その姿が動き出すと、各部が少しぼやけたりしてしまうのが自分でもよく分かった。
わたしの脳内はアニメーション作成に向いていないようだ。
思い出すって難しいんだね。
『いやいや、これだけ動けば大したもんだよ』
モレナさまは笑う。
『声とかもしっかり聞こえる。こんな声で、こんな顔で話すのか』
瞼を閉じているのは、わたしの思考に少しでも集中するためだろう。
いろいろ、余計なことを考えて申し訳ない。
『大丈夫、大丈夫。これまでの中で一番、しっかりこの顔が見ることができたことに比べれば、ラシアレスの声が割り込んでくるのなんて些細なことだよ』
やはり、わたしの声が邪魔ではあるらしい。
『いやいや、ラシアレスの声は可愛くてはっきりと聞こえるところが好きだから、大丈夫、大丈夫』
「慰めをありがとうございます。暫く黙って、映像再現に集中しますね」
わたしの声なんて少し高いだけの、ごく普通の声だ。
声だけなら、ワカの方が絶対に可愛い!!
声だけなら!!
『ワタシや弟子の思い込みが強いって話だったけど、ラシアレスも十分、思い込みが激しいよね』
何故か、呆れられた。
『もう十分だよ、ありがとう』
モレナさまはそう言って笑う。
「どういたしました」
そう答えたが、本当にアレだけで十分なのだろうか?
『そして、声で思い出した。これも確認しておかなきゃね』
「え……?」
モレナさまは瞼を開くと、上を見た。
『えっと……、風と……、光……に協力を頼む方が良いかな』
そう言いながら、両手を上に掲げ、手招きするように内側へひらひらと手の甲を動かす。
何をしているんだろう?
だけど、その答えは数秒後に分かった。
『栞』
耳元で囁くような聞き慣れた声。
それは低くて甘く、さらに確かな熱を持っていたのだけど……。
『うわっ!?』
それが何かを考えるよりも先に、自分の身体が動いた。
いや、正しくは、自分の「体内魔気」が働いたのだ。
そして、その近くにいた人に空気の塊が向かっていったが……。
「くっ!?」
不思議な轟音が、耳に響き、わたしの身体が、少しだけ押しやられて、思わず声を漏らしてしまった。
これは、セントポーリア国王陛下との模擬戦で何度もあった現象だ。
空気の塊同士がぶつかり合った時に発生する音と衝撃波。
『あっぶな~。前もって、防御してなきゃ、結構、飛ばされてたかも』
モレナさまは長い藤色の髪をかき上げながらそう言った。
「いや、今の……、なんですか?」
自分の耳に聞こえてきたのは、間違いなく九十九の声だった。
囁き声になると、どこか雄也さんに似ている気がするけど、それでも、あの声をわたしが聞き間違えるはずがないのだ。
だけど、本物でもない。
まるで、綺麗な音響設備で録音されたかのような声だった。
『いやいや、見事、見事』
「いえ、見事ではなくてですね」
『ああ、ごめん、ごめん』
モレナさまは笑いながら謝ってきた。
『それより、ラシアレスに届いた声は、どんな声だった?』
「どんな音って……」
ここに来る直前まで聞いていた声とは違った。
でも、あんな声を本人の口から聞かされたら、耳の鼓膜から全身を揺らされるほどの甘さと熱さはあったと思う。
まるで、恋人に囁くかのように甘く深く、つい最近聞かされたラブソングメドレーのような九十九の声。
『言葉を変えよう。その声は、本人かと思った?』
「声そのものは」
あんな声の持ち主がそう何人もいてたまるか!!
『大した耳だ。でも、どうして、攻撃した?』
「本物の声ではないと思ったので」
いや、正しくは防御だ。
あれはわたしの中で攻撃ではない。
確かに、九十九の声だけど、本物の九十九じゃない気がして、わたしは、あの音を拒絶したくなった。
そう思った瞬間、わたしの「魔気の護り」が発動してしまったのだ。
明確な攻撃ではなかったのに、こんな現象は初めてで、わたしの方がビックリしている。
『さっきのはね。精霊たちの協力によって、再現された声なんだよ』
「はあ……」
『分かりやすく言えば、ハニトラされた時の反応を知りたくって?』
「ハニ……、トラ……?」
何?
それ?
『あれ? 知らない? 甘い罠の一種』
「いや、ハニートラップは聞いたことがありますけど……」
自分に仕掛けられることは想定したことなんて……、いや、あるよ。
本人から甘い声で囁かれて眠らされるなんて、最近、すっごくよくある話だったよ。
「なるほど。あれはハニートラップだったのか」
スパイから誘惑されて情報漏洩とか、騙される方もどうかと思っていたけど、あれは確かに流されてしまう。
腰が砕けたり、思考が蕩けさせられたり、熱で浮かされたりしちゃうよ。
ハニートラップ、恐るべし!!
『でも、本人の声と分かった上で、ひっかからなかったんだね』
「彼が、ここにいるはずがないので」
ここに来る前に、九十九と雄也さんは「質」を取られて、いろいろと約束をさせられたと聞いている。
この相手が一筋縄ではいかない相手だってことは、ほとんど予備知識を持っていなかったわたし以上に分かっているはずだ。
そして、その約束を違えた時の恐ろしさも。
流石にわたしが危機に陥ったら来るとは思うけど、驚かされて動揺させられたぐらいでは来ないだろう。
「彼が約束を破るなんてよっぽどのことがない限りないと思います」
安心と信頼の護衛だからね。
「そっか……」
モレナさまは嬉しそうに笑った。
『でも、相手がどんな防御をしているかを確認せずに攻撃は良くないな~』
いや、あれは勝手に出た自動防御です。
『ああ、そうか。ラシアレスは「今代の聖女」でありながら、橙の姫さんだったっけ。それなら、攻撃に近い防御になってしまうのか』
どうやら、王族では一般的なことらしい。
水尾先輩やセントポーリア国王陛下もそうだったしね。
『ワタシが事前に準備していたのは、「反射」。これなら大半の攻撃は跳ね返せるからね。まあ、それを貫くほどの攻撃を受けたら無理だけどね』
「反射……」
だから、わたしの「魔気の護り」を跳ね返して……あれ? でも、さらにわたしの自動防御が働いたような?
体内魔気による自動防御は自分の魔力そのものだから、攻撃判定されないと聞いている。
但し、魔法は別。
魔法は自分の体内魔気の働きだけではないから……らしい。
『ワタシの反射が働いた時点で、ワタシの「神力」を帯びたんじゃないかな?』
「なるほど」
しかも、先ほどの攻撃が、「神力」による反射だったとは……。
法力で魔法に対抗は難しいと聞いている。
力の源が全く違うらしいから。
でも、法力ではなく、「神力」なら、こんなこともできてしまうのか。
覚えておいた方が良いかな。
『神力なら、魔法だけでなく、坊主どもが扱う法力にも対抗できるよ。勿論、精霊族たちの精霊術にもね』
それは、なんて万能な能力なのだろうか。
そう考えると、「神力」の方も、もっと磨くべきかもしれない。
でも、そうすると、「神力」を見抜ける「神眼」の所持者だけじゃなくて、法力に敏感な人でもわたしが微量な「神力」を持っていることが露見しそうなんだよね。
う~む、悩ましいところだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




