業が深くなる行為
これまでの総論。
モレナさまは、セントポーリアの王妃殿下を「毒虫」と呼び、セントポーリアの王子殿下のことを「蛆虫」と呼ぶ。
他の人たちに対する呼び方も結構、酷いけど、この二人に対しては込められた感情から違い過ぎるのは何故だろうか?
『そう呼ぶ理由はいろいろあるけどね。一番の理由はワタシが嫌いだから』
……だそうな。
それなら、これ以上、話題にしない方が良い。
この様子だと、ここまで嫌いな人たちの話はかなり不快になるだろうからね。
とっとと話を変えよう。
「モレナさまの方は何かないのですか?」
『え?』
ここで初めて、モレナさまが本気で理解不能といった表情をわたしに見せた。
その表情にちょっとだけ胸がすいた気がする。
「恋バナというのなら、わたしだけが一方的に聞かれるのは少し違うと思うのです」
よく分からないけれどこの状況は、「女子会? 」とかいう会合に似ているらしい。
その名前から女子? たちが集まってお話し合いをするってことなのだろう。
それならば、本来ならば、一方的に聞き出すのではなく、お互いがお題について語り合う場なのではないだろうか?
『ああ、なるほど。確かに「女子会」なら、互いが話すべきだね。だけど、ワタシの経験って、発情期中の坊主に自分を襲わせたことぐらいしかないよ?』
「ふわっ!?」
さらりと、とんでもない話を聞かされてしまった。
どこからどこまでも、突っ込みどころしかない!!
それって、そんなに迷いもなく告げられることなの?
「え……? あれ……?」
そして、わたしは取り繕うことすらできなかった。
だって、そうでしょう?
なんで恋バナがそんな話に繋がるなんて思わないじゃないか!!
だけど、混乱しているわたしを前に、モレナさまはさらにその混乱を深めたいらしい。
『すっごく頭の固い坊主がいてさ~。ちょっと言い寄ったぐらいでは、簡単には靡かないことが分かっていたから、ゆっくりじっくりと時間をかけて罠に嵌めてやったんだよ』
それって、そんなに軽い調子で話していいことなのでしょうか?
そして、占術師の能力がありながら、選んだ手段としては妥当なの!?
絶対、違うよね!?
『ワタシに後悔はないからね』
そんな清々しく言われても本気で困る。
神官の中には、絶対に女性を抱こうとしない人もいるらしい。
近年、だいぶ、減っているらしいけど。
他者に影響されず、自分だけの力で、「法力」だけを磨くためとか、周囲へ信仰心を見せつけるためとか、自分の身は神に捧げるためだとか、その理由は様々だ。
そして、そんな「禁欲的な人生」を貫こうとする神官たちの天敵は「発情期」。
そのために、大聖堂内には女性には教えられない場所に隔離部屋があるらしい。
そこで、「発情期」を乗り越えるための「禊」というものを行うとか。
『でも、聞きたがったのはラシアレスの方なんだけど?』
「まさか、『恋バナ』が、そんな話になるとは思わないじゃないですか!!」
そして、それは「恋」に入れて良いのだろうか?
でも、「愛」とも違う気がする。
だけど、「発情期」で殿方から襲われた女性って、もっと重苦しいものだと思っていた。
わたし自身がそう捉えていたし、似たような目にあった水尾先輩も似たような感情を持っていたから。
そして、アレはこの世界の男性にとって、本能的な行動なのだから仕方のないことだと諦めている部分もあった。
だけど、そんな男性の本能を利用して、どうあっても靡かない相手に対して、わざと自分を襲わせるなんて発想は普通じゃない!!
『まあ、相手が普通じゃなかったから仕方ないね』
普通じゃない女性もそう言って笑う。
『そして、ワタシは妊娠、出産。全てが狙い通りに進んだからね。いやいや、計画通り、計画通り』
そこに悲愴感は全くなく、あるのは、思い通りに事が運んだという満足感だけだった。
あ、あれ?
わたしの感覚がおかしい?
あっけらかんと笑いながら言われると、自分の方がおかしい気がしてくるのは何故だろう?
『それでも、強いて、計算違いを上げるなら、ヤツの性欲かな~。何十年も溜め込んでいた結果とはいえ、一度、犯したぐらいじゃ足りないとは思わなかった』
「ふぎゃああああああああああああああああああああっ!!」
さらに飛び出してきた言葉に対して、流石にいろいろ耐えきれなくなって叫んでしまった。
そんな反応を見て、くすくすと笑いを零すモレナさま。
いや、今の話に笑いどころなんてどこにもないよね?
『男は我慢させ過ぎると大変だよ』
「そんな知識、知りたくなかったです」
寧ろ、聞かせないで下さい。
一体、どこで使えと言うのですか?
『今後?』
「余計なお世話です!!」
いつかは使うかもしれないけど、それは今ではない、絶対に!!
『聞きたいって言ったのはラシアレスの方なのに~』
「さっきも言いましたが、そんな話になるとは思いませんでした!!」
明らかに揶揄われていると分かっているけど、それでも落ち着くことなどできなかった。
『仕方ないじゃないか。ワタシにはそれしか経験がない。ヤツが「発情期」の兆候が表れた時に、大聖堂へ侵入したんだ。知ってる? 「発情期」は好意を持つ相手が近くにいると、その時期が早まるし、性衝動も強まるんだよ?』
「知りたくなかったです」
そして、もう不要な知識だ。
周囲にそんな危険性がある男性は、わたしの傍にはもういないのだから。
『自分の息子とか』
「…………」
それは、結構、大事かもしれない。
いや、この先、自分に息子ができるかは分からないけど、万一、息子が生まれたら、しっかりと言い含めておく必要があるだろう。
『さて、ラシアレスに問題を出そうか』
モレナさまはこれまでの朗らかな表情をすっと消した。
『占術師の能力を持っていた精霊族の血が流れる生娘が、何十年も女性を抱かず清廉潔白を謳っていた坊主に、大聖堂と呼ばれる聖域で「発情期」という神の試練によって、その本能のまま、何度も犯される。それは、さぞ、業が深くなる行為だと思わないかい?』
淡々と紡がれていくその言葉に、ぞっとするしかなかった。
占術師の能力は、男女の交わりによってその能力を衰えさせると聞いたことがある。
それは、一気にゼロになるわけではないらしいけれど、禁止された行為ではあったはずだ。
そして、何十年と「発情期」を耐えきっているほどの神官は、それによって、神に誓いを立てている者もいる。
それなのに、誘われたとはいえ、自らその禁を破ったことになるのだ。
それは当人や誓いを立てた相手への裏切り行為でもある。
『しかも、未婚のまま、妊娠、出産。本来なら両親の意に添わぬ形で生まれ落ちてしまったその子は、その後、一体、どんな人生を歩むことになっただろうね?』
モレナさまの瞳に、見えないはずの光が宿った気がした。
これは多分、一種のなぞなぞである。
これまでにさり気ないヒントを散りばめつつ、わたしに何かを掴ませようとしているのだ。
そして、その正しい答えに辿り着くまでは、彼女の口から教えてくれるつもりはないのだろう。
いや、ずっと引っかかっていることはあったのだ。
この方を見た時から。
その髪の色や、言動を知った時。
それが、以前、誰かの口から聞いた母親という人に重なった。
何よりも、その表情。
穏やかで問いかけの答えを微笑みながら待つその顔は、見知った誰かに似すぎていて、それ自体が露骨なヒントに繋がっている。
『そうか。他人から見れば、そんなに似ているのか。それはちょっと厄介だね』
「でも、その表情を知る人は限られています」
あの方はそんなに表情を変えない。
だけど、時々、気を許した相手の前で見せる顔はある。
『そっか、そんなに気を許す相手ができたのか。ある程度大きくなった時に一度だけ会話したことがあったけど、その時は終始不機嫌な顔をしていたからね』
「そっちの方がずっとレアですよ」
わたしは、そんな不機嫌な顔を知らない。
そんな顔を見せられるほど、あの方の内面に触れることは、今後もないだろう。
『さて、ラシアレス。その子がどんな人生を歩むことになったか、ワタシに教えてくれるかい?』
そう言いながら、長く緩やかな薄紫色の髪を持ち、光の無い薄く青い瞳をわたしに向けながら、占術師の能力を持つ女性はそう促したのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




