選ばなかった未来
『まあ、その娘が事故死か、他殺かは問題じゃないんだよ』
モレナさまはそんな身も蓋も無いことを言う。
『問題は、その時点で、あの国から「聖女候補」が失われたってこと』
「はあ……」
まあ、そのルキファナさまに「神力」が本当にあったのなら、十分、「聖女候補」だったと言えるだろう。
乳飲み子の時点で分かるのかと思うけれど。
『分かるよ。だから、ジギタリスのリュレイアは、両親からすぐに引き離されていただろう?』
そう言えば、そうだった。
リュレイアさまは、生まれて間もなく、「盲いた占術師」と呼ばれる方に預けられたと聞いている。
それまで、弟子をとらなかった伝説の占術師であり、そして、「暗闇の聖女」とも呼ばれるような方。
『そして、その娘は単なる聖女候補ではなく、「封印の聖女」と同じ役割を背負わされていた』
「……え?」
先ほど「封印の聖女」とは、あの有名な「大いなる災い」を封印した「聖女」のことだと聞いている。
その役割……って?
『ああ、封印を義務付けられていたわけじゃないよ。単純に生まれる前に厄介な神に目を付けられ、妄執にも似た愛情を注がれた挙句、その魂が囚われたってだけの話』
その言葉にゾッとするしかなかった。
思わず、自分の左手を握ると、ゾワリとした気配を感じた気がする。
恭哉兄ちゃんの処置は、完璧だというのに、そんな錯覚を覚えてしまったのだ。
『その魂は幼く、未熟だったために、神から魂が染め上げられるのも早かったんだ。当然、その身体も成長する前だった。だから、その神も後悔した。次はもっと成長させてから、我が手にしよう……と』
言葉が、なかった……。
『ね? これは、ラシアレスにも無関係ではない話だろ?』
そんな風に明るく言われても、次の言葉が出てこない。
わたしは、なんて、言葉を返すべき?
いやいやいや、決めたんだ。
次は、負けないって。
何を犠牲にしても、生き延びるって。
それは、多分、ずっと、昔から、わたしの中にある感情。
「つまり、ルキファナさまも神から『ご執心』され、『シンショク』されていたということでしょうか?」
まずは事実を確認してみる。
『あの娘は、その神に見つかったのが早かったからね。眩しい光に包まれ、大きな産声を上げた。しかも、大陸神の加護の強い建物の中で生まれ、さらには、当時、大切に育てられていた風の坊やに相応しい王族だ。それで、見つからないわけがない」
それはつまり、わたしは見つかるのが遅かったということか。
『ラシアレスは対照的に、母親が大陸神の加護が強い建物から離れ、さらには生まれた直後に目印となる魔力の封印を施している。ああ、この辺りは母親に聞くと良い。事情が込み入り過ぎて、他人の口からは聞きたくはないだろうからね』
そこまで言ったなら……と思わなくもないが、これもこの方なりの気遣いなのだろう。
確かに、この辺りは、母に聞くべきだ。
でも、わたしは、そんな時代にも魔力を封印されていたのか。
当時の母にどんな意図があったかは分からないけれど、結果としては、わたしはそこで一度、助かっていたらしい。
『ラシアレスがその神に見つかったのは、多分、5歳になったばかりの頃……かな。その直後に人間界へ向かっているから、ワタシにもその詳細は分からない。人間界はワタシの能力の範囲外なんだよ。でも、人間界へ向かったのは、そのためだろうね』
「…………っ!!」
その出来事に覚えがある。
アレは、多分、夢。
でも、現実に起きたこと。
黒くて怖いモノに追われた過去のワタシは、「命令」で、ユーヤとツクモを足止めして母さまと共に遠くに逃げることにした。
『……記憶が?』
モレナさまは少しだけその青い瞳を細めて……。
『ああ、既に夢で視ていたのか』
大きく息を吐いた。
『なるほど、なるほど。確かにワタシの能力の範囲外ではある場所は、神の御手も届かないようだね』
それはまるで見通す眼。
先ほどまで微妙にズレていたモレナさまの視点は、ここにきて、わたしをしっかりと捉えている。
『結果、この世界に戻ってきて、再び、見つかったってことだね。まあ、あのまま、人間界にいたら、それ以上の悲劇が起きていたみたいだから、こっちの方が良かったとは思うけどさ』
―――― あのまま、人間界にいたら?
「あのまま、人間界にいたらどうなっていましたか?」
それは、ずっと気になっていたこと。
この世界に来ることを選んだ今となっては、仮定の話になってしまうけれど、モレナさまに聞いておきたかった。
『光の兄弟、闇の坊やとの魔力的な接触で、一時的に安定したみたいだけど、あの生誕の日から半年と経たないうちに魔力の暴走、多くの人間たちを巻き込んだ上、緑の姫さんと水……、いや、『神に愛されし聖女』やその一族たちによって、これは身体ごと封印? されたかな』
想像以上に迷惑行為!?
あれ?
でも、九十九たちはどうなっている?
あの頃には既に彼らは傍にいてくれた。
それに、九十九とは「彼氏(仮)」になっていたから、高校生活も、私生活も一緒にいてくれたと思ったけど、今ほど近くにいなかったってことかな?
『色男が、一時的にこの世界に還ってきていた時に、ラシアレスが不安定になって、あの当時の坊やだけじゃ、抑えきれなかったってことかな。いの一番に吹き飛ばされて、ああ、それで完全に枷が外れたみたいだよ』
どうしよう。
その言葉は容易に想像できてしまう。
今の九十九は、わたしから散々、魔法攻撃を食らった果てだ。
確かにあの当時も耐性はあったと思うけれど、それでも、今ほどじゃない。
九十九の話では、わたしが暴走みたいな状態になると、本当に手が付けられないとも聞いている。
だから、ちょっと衝撃的な方法を選ぶしかないわけで。
さらに、こう言ってはアレだが、人間界にいたなら、今ほど九十九をふっ飛ばすことが日常ではないはずだ。
魔法というものに忌避を覚えていたあの頃に、無意識の魔法で九十九をふっ飛ばせば、確かに、暴走状態に歯止めがかからなくなってもおかしくはなかったと思う。
『ラシアレスの暴走は、たまに「祖神変化」も伴うからね。これは完全に色が変わっているから、「祖神変化」しているかな。へえ、かの世界には創造神以外の神の御手は届かないのに、「祖神変化」はできるのか。祖神は、その人間の魂の素になっているからだろうね』
どうやら、モレナさまにはその光景が視えるらしい。
人間界は範囲外でも、わたしを通せば視えるってことか。
そして、わたしにはそれが視えなくて本当に良かったと思う。
誰かを巻き込む、誰かを傷付ける。
そんな自分を、客観的にも主観的にも見たくはなかった。
だけど、これだけは聞いておかなければならない。
「その『祖神変化』を伴った魔力の暴走で、亡くなった方はいますか?」
『魔力が微量、魔法に耐性がない人間が、そこそこ耐性のあるこの世界の人間たちすらふっ飛ばすような神の力に耐えられるとでも?』
モレナさまは言葉を選んでくれた。
それでも、それは、わたしが人を殺めた可能性を含んでいる。
あのまま、あの世界にいれば、わたしは、意識がないまま、あの世界の、それもたまたま周囲にいただけの人たちを殺していたのだろう。
そのことが、かなりのショックだった。
実際の自分は何もしていない。
そんな恐ろしい出来事は起きていないのだ。
でも、あの時、選択を誤れば、今より少しばかり若い自分が、今生きているはずの誰かを殺めていたということに繋がっている。
それを思えば、あの時の、あの選択は誤りではなかった。
そう思うしかない。
そして……。
『つまりは、貴女の強い意思を伴う選択によって、それだけの人間たちの運命が変わっている。それは、理解してくれるかい?』
「はい」
わたしにとって、それは一番、大事なことであり、救いでもあった。
この方が言うように、運命は、変えられる。
勿論、証明のしようがないことなのだから、全てを鵜呑みにするのは危険だが、少なくとも、この方は、嘘を言わない。
わざわざ、こんな形でわたしを騙すなら、もっと別の手段もあったはずだ。
わたしに言えないこともあるだろうから、多少の誤魔化しはあると思うけれど、本人が言うように、嘘を吐けない人なのだろう。
『曲がりなりにも黄の大陸の出身者だからね。どうしても、自分の意思と異なる言葉を口にするのは難しくなるかな』
「え……?」
ちょっと不思議なことを言われた気がする。
『黄の大陸の精霊たちは、嘘を嫌うんだよ。いや、違うな。正しくは、その魂が自らを否定するような言葉を口にすることを嫌う……、かな?』
黄の大陸の精霊たち……、多分、光属性の大気魔気のことだと思う。
「仮に、嘘を言うとどうなるのですか?」
『黄の大陸の精霊たちの影響が強いほど、六感にいずれかに影響が出るだろうね。ワタシの場合は、精霊たちがめっちゃ、やかましく飛び交うから困る、困る』
この場合の六感は、人間界で言う五感に加えた魔力感知だろう。
なるほど。
それで、情報国家イースターカクタスの人間たちは嘘を吐かないし、嘘を見抜くって話に繋がるのか。
そして、九十九や雄也さんが嘘を言わないのもそういう理由があるかもしれない。
いや、九十九の場合は、生来のモノが強そうだけど。
『でも、過信はしない方が良いよ。黄の大陸の精霊たちの影響があっても、魂を否定するような言葉を口にすることに平気な輩はいる。あと、それが偽りではないと思い込んでいたら関係ないよ。だから、参考程度にしとくことだね』
「分かっています」
嘘を吐くことは嫌うけど、嘘を吐けないわけではない。
それに、言葉の誤魔化し方によっては、その言葉自体が嘘にならないという言い回しも可能であることはわたしも知っている。
だから、全てを信じるのは危険なのだ。
『まあ、かなり遠回りしたけれど、「運命は強い意思で変えられる」ってことが分かってもらえただけ、成果はあったかな』
モレナさまは小さく何か呟いたみたいだけど、いろいろなことでぐるぐるとしていたわたしの耳には届かないのだった。
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