反対する理由
「九十九は……反対なの?」
「おお」
栞は意外そうな顔をして九十九に尋ねる。
彼は、確かにお人好しではあるが、物事を天秤に掛けられないほど単純な情だけで生きてはいない。
「九十九くんが反対する理由は?」
笑顔で千歳が尋ねてくる。
そして、恐らく彼女はその答えすら知っているのだろう。
だから、九十九は隠さずに答えた。
「……エンゲル係数の大幅な増加」
「おお」
栞は胸の前で、ポンっと手を叩き……。
「あら?」
千歳は右手を頬に当て……。
「そんなに食ったか?」
その当事者はそう言った。
「食いまくりやがりましたよ? 正直、これほどとは予想外でした」
微妙な日本語で答える九十九。
エンゲル係数……。
食費が生活費に占める割合を表す数値である。
まあ、つまり……九十九は食費が係ると言っているのだ。
勿論、人間が一人増えるのだから、増加すること自体はおかしくない話だが、わざわざ「大幅」という単語まで添えている辺り、一気に食費が上がったことを示している。
「ま、そこは腹が減ってたし。いつもは流石にここまでは食わんぞ? ああ、そっか。高田たちと行動を共にすれば、凄腕の専属料理人がいるわけだな。これは激しく心が揺さぶられる」
水尾は笑顔でとんでもないことを言いだした。
「誰のことでしょう?」
九十九は分かりやすく含みのある笑みで応える。
「自信持っていいぞ、少年。これだけ美味い料理を振舞えるような料理人は我が国にもいなかったし、恐らく他国でもそう多くはないだろう。私はこれまでに、人間界を含め、いろんな国の料理を食ってきたが、少年のは絶品だ!」
凄くキラキラした瞳で水尾は言った。
その様子に思わず九十九は毒気を抜かれてしまいそうになる。
「水尾先輩にここまで気に入られるって凄いねえ……」
「嬉しくねえよ……」
本当は少し嬉しかったりするが、そこは今、問題ではない。
「それでは、食費を含めた生活費の収支も計算に入れてもらって、雄也くんに伺いを立てましょうか? なんだかんだ言っても、魔界での生活は彼がいて成り立つものだから」
そう千歳が結論付ける。
それについて、反対できるものはいなかった。
「ところで、生活費ってどうやって稼ぐの?」
栞が素朴な疑問を口にする。
「オレも兄貴も上から給金が出ている話はしたはずだが?」
この場合の「上」とは、城のことである。
忘れがちだが栞の護衛……、それは一応、王命によるものだからだ。
「人間界にいたときも?」
「そうでないと生活できんな。兄貴が週一ほど定期報告に行っていたのもそのためだ」
「週一……?」
九十九の言葉に何故か水尾が反応する。
「ふ~ん、王さまとかはどうやって稼ぐの? やっぱり労働?」
「額に汗して働くことが悪いとは思わんが……、お前って、ホント不思議な発想だよな。たぶん、どの国も似たようなもんだとは思うが、この国では基本的には税収だ。国民から税金を徴収し、王族は国の維持管理をする」
「税金暮らし……。左うちわ?」
「……国の管理、なめんな」
呑気な栞の反応に、九十九は鋭く反応した。
「大陸中の大気魔気の調整は、一般の人には無理ね。これは主に王族全般の勤めかしら。他には外交と内政。国民の一人一人では大きすぎる問題に貴族や兵が対処し、それらをまとめるのも王族。その頂点に立つ国王陛下のお仕事って、いろいろと大変なのよ」
自分の娘のあんまりな言葉に、千歳が説明する。
「……詳しいですね」
水尾が呟いた。
国王の仕事内容の詳細についてはあまり一般的に知られてはいない。
……というか、普通は意識しないものだ。
国民は黙って疑問も持たずに国王に従うもの。
それがこの世界の常識でもある。
「勉強中ですもの。魔界って人間界と違うところが多くて面白いから。絶対王政の維持なんて人間界では難しいのに、魔法や魔力のおかげでそれを可能にしている辺りとかね」
「なんで魔法とか魔力のおかげで絶対王政ができるの?」
千歳の言葉に、栞は素朴な疑問をぶつける。
「専制君主的なものって上が無能だと苦労してしまう形よね? でも、魔界の場合、国王陛下が完全に無能って事は、まずありえないの」
「お馬鹿は王さまになれないの?」
「容赦ないな、お前……」
直接的過ぎる栞の言葉に九十九は突っ込んでしまう。
「いや、馬鹿でも国王が意思を持って、譲位すれば、王位に付くこと自体は可能だ。だが、この場合の無能ってのは、オツムの具合とか脳内の状態とかではない。貴族や王族は生まれつき、一般国民より遥かに魔力や魔法力が凌駕していることが、絶対王政の根幹になっているんだ」
水尾が、魔界の仕組みを分かっていない栞にも分かるように説明するが、さりげなく酷いことを言っていると九十九は思った。
この台詞からは国王は馬鹿でもなれるということ自体は、否定もしていない。
「つまり、生まれつきの才能を持っているいうヤツですか?」
「そうだ。魔界では出自である程度才能が決まってしまう。ただ、この国の王子の例もあるから、それも絶対と言い切れない気はするが」
水尾は少し息を吐きながらそう言った。
それを聞いた九十九は心中、複雑な気持ちになる。
日頃、自分が思っていることでも、他国の人間から指摘されるのは少し引っかかるのだ。
「水尾先輩も、この国の王子殿下の魔力が弱いのをご存知なんですね」
正直、栞には分からなかったが、九十九も雄也もそう言っていた気がする。
「そんなの見りゃ分かる。私は他の国の第一王子たちを見る機会があったが、この国の王子は魔法を苦手とする機械国家の王子たちより際立って魔気が弱い。それでも、一般よりは上だとは思うが、王家の……、直系王族の人間にしちゃ~、首をひねるほどだったな」
水尾はこの国の王子を思い出しながらそう口にする。
「噂のアリッサムの王女殿下は?」
「……あ、あ~? 第一王女殿下な。あの方は魔気が凄い。呆れるぐらいに」
「……先輩がその第一王女殿下ってオチは?」
水尾のどことなく歯切れの悪い言葉に、栞がその可能性を言ってみる。
「第一王女は20歳って言っただろ? いくらなんでも歳が合わん。魔界人の大人は確かに若く見えるが、20歳ぐらいまでは人間と同じような成長の仕方をするんだ」
突拍子もない栞の言葉に、九十九は呆れたように説明する。
「あははは。少年の言うとおり、私が第一王女殿下っていうのはありえないな。私はあんなに可愛い女性じゃない」
「え? アリッサムの第一王女殿下って可愛いんですか?」
水尾の口から出た言葉に、つい反応してしまった九十九。
「そこに食いつくとは……。やっぱ、少年は先輩と血が繋がってるんだな」
水尾は呆れたように言うが、年頃の少年としては真っ当な反応だと言えるだろう。
「そんなところで兄弟認定されるとは……」
「第一王女殿下は、小柄で色白。そうだな~、ふわふわして甘い砂糖菓子のような雰囲気を持つ、とても可愛らしい方だよ」
どこか複雑な面持ちの九十九に、水尾は自国の第一王女を思い出しながら説明する。
だが、これは見た目の話であり、中身については一切、触れていない。
「うお~、見てみてぇ。そんな漫画みたいな女性がいるなんて」
「小柄ってとこに親近感」
何やら興奮する九十九と、妙に嬉しそうな栞。
「ああ、今の高田と同じくらいじゃないかな、身長。魔界では身長を測るという習慣はないから、具体的に数値化はできんが、たぶん、145前後? 高田より小さいんじゃないかな」
「おお! それは是非、お会いしたい!!」
何故か栞の方が乗り気になっている。
それを見て水尾はふっと表情を緩めた。
「そうだな……。できれば、会わせてやりたいよ」
「じゃあ、会わせてください」
「へ?」
突然、水尾を向き直り提案する栞。
「わたしも真央先輩が無事なのはこの目で見たいですし、その小柄な王女さまにもお会いしたいです。だから、もし、許されるならご一緒しませんか?」
その迷いのない栞の言葉に、水尾は戸惑い、そして九十九は溜息を吐いた。
今の発言はある意味、誰にとっても決定打となりえる。
水尾は栞たちと共に一緒に来る理由ができ、雄也はそんな栞の望みを叶えたいと思ってしまうことだろう。
流石は千歳の娘だと、九十九は正直、その血を感じずにはいられなかった。
尤も、母親はある程度の計算の元であり、その娘は天然という違いはあるが、周りにとっては結果が同じなら大差はない。
「とりあえず、今日はこの辺にしましょうか」
結論が出た所で、そう言って、千歳は切り上げようとする。
「あ……すみません。私、肝心なことを言ってなかったです」
そう言って水尾は姿勢を正し、その言葉を口にする。
「皆さん、素性の知れない私を助けてくださって、心より感謝致します。何も持たない身で、大したことは出来ませんが、いずれ、この御礼は必ず何らかの形でさせてください」
そう言って、優雅に一礼する様は、誰の目にも身分の高い娘の所作だった。
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