三日間もずっと
人間、あまりにも驚くと、声にならないことがある。
それが、まさに今だった。
「栞の意識だけが別世界に飛ばされたらしい」
わたしの手を握り、そう言いながら顔を伏せた九十九の声は、確かに震えていた。
それに対して、わたしは声も出なかった。
声だけでなく、九十九自身が微かに震えているから。
手を握られているから、それがはっきりと伝わってくる。
そんな震える九十九を前に、わたしは、震動が伝導などと、そんな阿呆なことを考えていた。
「いや、正確には肉体から魂が抜かれていたそうだ」
「ほあ?」
我ながら間抜けな反応だったと思う。
だが、あまりにも突飛な発言過ぎて、九十九が俯きながら口にしたせいか、聞き間違えたかと思ったぐらいだ。
この世界には魔法がある。
そのために自分の意思とは関係なく、強制的に場所移動させられることはたまにある話だ。
だが、自分の肉体から魂を引っこ抜かれるような状況はそんなに多くない。
あったら、いろいろと困る。
それができるのは一部の限られた神官……それも、高神官以上の神官ではないだろうか?
「昔、大聖堂でわたしの魔力の封印を解呪した時のような状態ってこと?」
あの時は、恭哉兄ちゃんが、わたしの左手首に宿っている「神のご執心」とやらによる「シンショク」の対策として、一時的に仮死状態にして、問答無用で「聖霊界」に送ったのだ。
今にして思えば、結構、酷いと思うけれど、事前に打ち合わせることもできなかった事情も分からなくはない。
人間の身で、上位の立場にある神を欺くには、相当な準備と覚悟がいるのだから。
「いや、あの時と違って、『聖霊界』送りではなかったらしい」
「そ、そうなのか」
そのことに少しだけほっとする。
あの時は「決して目を開けてはいけない」と再三、注意をされた覚えがある。
でも、今回はしっかり目を開けていたのだ。
「聖霊界」で、まだ生きている人間が目を開けてしまうとどうなるかは聞いたこともないけれど、あれだけ注意を受けたのだから、あまり良い結果には繋がらないと思っている。
「あれ? でも、今回はなんで仮死状態?」
あの時はちゃんと理由があった。
そして、納得もできた。
だけど、今回は、流れからよく分からない。
なんで、魔法書を売る店に行っただけでわたしは死にかけたのか?
「聞かない方が良いぞ」
「ほへ?」
「割と、理不尽な理由だったから」
「そうなの?」
九十九にすれば理不尽な理由で、わたしの魂が肉体から抜き出されることになったらしい。
いや……、なんで?
どんな理由があれば、健康な人間が仮死状態に追いやられることになる?
九十九は聞かない方が良いと言う。
彼が言うならそうなのだろう。
でも、それで納得しろと言われても、ちょっとモヤっとする。
「……納得、できるわけないよな」
そう言いながら、九十九は顔を上げた。
「今回は、オレや兄貴はこれ以上、言えないんだ」
「へ?」
言えない?
九十九だけでなく、雄也さんも?
「オレと兄貴は質を取られた」
「し、質!?」
この場合、数字の「七」でもなく、決死の覚悟で赴く「死地」でもないだろう。
そうなると、人質……みたいなもの?
九十九や雄也さんが同時に、誰かに弱みを握られたってこと……なのかな?
でも、そんなこと……、ありえる?
この二人だよ?
あの時、わたしを囮として使ってまで雄也さんが探していたのは、九十九が出会った占術師っぽかった。
ジギタリスで出会ったリュレイアさまや、そのお弟子さんとはタイプが違うってことになる。
いや、違うな。
占術師はある意味、目的のためなら手段を選ばないような面があった。
あの人たちは、未来が視えてしまうために、常人には理解できない行動をとっても不思議ではないのだ。
「そんなに、その占術師は手強い相手なの?」
九十九や雄也さんが手玉に取られてしまうほど?
「ああ、相手が占術師ってことは知っているのか」
「九十九と水尾先輩が会った人ってことは、なんとなく……」
雄也さんからは濁されたけど、恐らくはその人が相手なんだと思っている。
そして、占術師なら神力を使えても驚きはない。
あの創造神の彫像については分からないけれど、未来を読めて、常に先手を取ることが可能な占術師の行動を深読みしようとしても無駄だ。
「手強い」
九十九はそう言い切った。
「情報国家の国王陛下と大神官猊下とリヒト。それに若宮が加わったような相手だ」
「勝てる気がしない」
つらつらと言われた人物たちの数々に、思わずそう口にしていた。
「つまり、幅広くいろいろな知識があって、さらに神や法力のことにも詳しくて、心が読めて、さらに唯我独尊ってことでしょう?」
それぞれの特徴を思いつくままに挙げてみる。
この場合、ワカ以外は性格ではなく、能力のことだろう。
多分、その人の性格はワカに似ているのだと思う。
だけど、それらに魔法国家の魔法などが加われば、ほぼ無敵じゃないか。
「時々、お前は若宮の友人であることを疑いたくなるが、大まかに言えばそんな感じだ」
そうは言われても、咄嗟に出てきたのだから仕方ない。
そして、これらはわたしではなく、ワカに対する九十九の評価として考えただけだ。
わたしは、ワカが単純に「この世は我が天下」と思うような人間ではないことを知っている。
口ほどあの王女殿下は独尊的な考え方はしていない。
わたしの方がもっとずっと我が儘だ。
「なんでそんな人が占術師なんかやってるの?」
本当に「我が一番」とか思い込んでいなければ、情報国家の国王陛下が欲しそうなタイプだよね。
あの国王陛下は能力があって気に入った人間をスカウトするところがあるから。
「その能力があるからだろう」
「まあ、そうなんだけど」
この世界では占術師の地位は低くない。
神官と同じく、特殊能力を必要とするからだ。
そして、数多くいる神官よりも、少数ながらも確実に周りに影響を及ぼす占術師の方が、偉い人たちが取り込もうとするらしい。
魔法が溢れ、「未来視」と呼ばれる予知夢を視る人たちがいるこの世界でも、未来を読めるというのはそれだけで強いってことだろう。
漫画とかでもよくあるよね。
未来予測をできる相手には攻撃が当たらない……とかさ。
「本人は占術師の能力を持っているだけで、占術師と名乗った覚えはないとは言っていたけどな」
「そうなの?」
それはちょっと意外。
でも、なんで、雄也さんはそんな人を探していたのだろうか?
「そして、恐らく、この町の管理者が追っている占術師もそいつのことだと思う」
「そうだろうね」
恭哉兄ちゃんが言うには、神官と違って、占術師は本当に稀少な天賦の才らしい。
だから、同じ場所に複数いるとは思えなかった。
ただ、なんとなくだけど、恭哉兄ちゃんって占術師という職業を苦手としているっぽいんだよね。
以前、占術師の話をしていた時、確か、リュレイアさまの話をしていた時だったと思うけど、あまり表情が変わりにくい恭哉兄ちゃんが、少しだけ不思議な笑いを浮かべたから。
「お前の体調はどうだ?」
「お腹がすいている以外の不調はないかな」
三日も寝ていたのだから、お腹がすくのは仕方ない。
以前の仮死状態から復活した時のようにお腹の音がならないか、ヒヤヒヤしているぐらいだ。
「ああ、悪い。準備する」
そう言って九十九はずっと握っていたわたしの手を放して、いつものように食事の支度にとりかかってくれる。
九十九の体温が離れたせいか、少しだけ淋しく思えた。
―――― ずっと、ついていてくれたの?
先ほどまで握られていた自分の手を見つめる。
わたしは三日も目が覚めなかったらしい。
その間、ずっと手を握っていてくれたのだろうか?
思わず、そのまま転寝してしまうぐらいに?
もし、そうならその間、九十九は自分の仕事ができなかったはずだ。
だけど、そのことを申し訳なく思うよりも先に、自分が彼に気遣われていたことがとても嬉しく思えた。
だけど、そう思ってしまったわたしは、もしかしなくても、九十九の主人として失格なのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




