隠し事ができない性格
正直、この光景は腹立たしい。
だが、仕方がない。
だから、できるだけ見ないようにしたかった。
栞の身体は脱力し、兄貴の身体の上に大人しく乗っかっていた。
寝返りを打つ様子もない。
その身体から魂が抜け、仮死状態にあるから仕方ないが、それでも、目の前で好きな女が兄貴とはいえ、他の男に身を任せている姿を見続けるのは、結構、胸に来るものがある。
他の男だったら、マシだったか?
いや、他の男ならこんな状態の栞を任せる気など起きない。
兄貴が今、やっているのは、魂が抜け出ている栞の縁を繋ぐ行為だ。
―――― 聖霊界と世界を繋ぐ線は現世での縁
かつて、大神官は大聖堂でそう言った。
―――― 生命力に溢れた縁が深い人間の身体接触が一番なのです
とも。
血縁である千歳さんやセントポーリア国王陛下を除けば、オレたちほど栞の縁を繋ぐのに適した存在はないだろう。
だからその役目は、オレではなく、兄貴でも良いのだ。
同じ時期に出会い、傍にいる幼馴染という点では同じなのだから。
しかも、最近では「嘗血」行為まで行っている。
確かに、栞と一緒にいる時間はオレの方が上だが、それだけが栞との縁とは言い切れないのだ。
何より、今回、栞の魂とこの世界との縁を繋ぐ行為を最初にしたのは兄貴の方だった。
だから、邪魔などできるはずもない。
それでも、オレも何かしたくて、こうして、栞の手を握っている。
傍から見れば異様な光景だろう。
毛布に包まれ、抱き合っているように見える男女の傍に、別の男が座っているのだ。
しかも、眠っているような女の手を握って。
だが、見目よりも、何よりも、オレは栞の命の方がずっと大事だ。
それに、栞は兄貴に任せた。
いざとなれば、オレはこの手を放すことになるだろう。
それも迷うことなく。
何故なら……。
『初めまして、「今代の聖女」の護衛たち』
不意に、声が落ちてきたのだ。
本屋を模したこの場所の奥まったところ。
店舗の造りで言えば、会計をするような机に、どこかで見たことがあるフードを目深に被った人間が座っていた。
だが、いつの間に、その場所にいたのだろうか?
話しかけられるまで、オレも兄貴も気付いていなかった。
いや、間違いなく、その声の瞬間までそこには誰もいなかった。
ずっと、オレも兄貴も栞の身体を気にしつつも、周囲に目を配っていたのだ。
そこに誰かが現れれば、気配を感じるか、視界に入るはずなのに。
「創造神の像がなくなっている……」
オレと同じ方向に顔を向けた兄貴が、そんなことを呟いた。
言われてみれば、先ほどまでその上にあった無駄にでかく白い彫像がなくなっていた。
あれは、創造神の像だったのか?
『おや、アレが「創造神」だと分かるなんて……。「今代の聖女」はかなり優秀のようだね。善き哉、善き哉』
なんだろう?
以前、出会った時にも思ったが、こいつからは若宮のような気配を感じる。
完全に一致しているわけではないのだが、漂う雰囲気とか、相手を小馬鹿にしつつ煙に巻きそうな口調とかが少しだけ似ている気がした。
尤も、本当にこいつが兄貴の言う「人類の天敵」だというのなら、その数億倍、タチが悪いだろうけどな。
『それでこそ、行動のし甲斐があるってもんだ』
そう言いながら、そいつは、机から降りる。
濃藍のフードの下には白く長いローブ。
薄っすらと見える髪は、薄紫色。
瞳はフードを目深に被っているためによく見えないが、肌の色は白かったはずだ。
口元は、以前、会った時は出ていた覚えがあったが、今は、薄布で隠されている。
ここまで徹底されていれば、疑いの余地はないだろう。
この女は占術師だと。
『一度も、「占術師」なんて名乗った覚えはないが、人類がそう呼ぶなら、ワタシはそう呼ばれる存在なんだろうね』
まるで、他人事のようにそう言うが、この女が「占術師」と呼ばれる存在でなければ、この世界に「占術師」など存在しないことになる。
兄貴が「人類の天敵」とまで称する存在。
それは――――。
『おっと、余計な思考はそこまでだよ、坊や』
その言葉で、この女はオレの思考を読んでいたことをあっさりと暴露する。
『それと、女性に向かって「女」と一括りするのは感心しないね。アタシには「モレナ」と言う立派かどうかは分からないけれど、与えられた名があるんだ。呼ぶなら、「気高く美しいモレナ様」と呼んでくれると、嬉しいかな』
どうしよう?
この時点で、若宮にしか見えなくなった。
『あと、他者と重ねるのも感心しないね。あの姫さんもきっとそう言うよ』
さらに若宮のことまで知ってる……、と。
『ああ、会ったことはないよ。話したこともない。あの姫さんに近付くと、クソ坊主たちがうるさいからね』
クソ坊主?
この場合、グラナディーン王子殿下のことか?
いや、まさかな。
『さて、このまま、アンタたちの思考に付き合ってやっても良いが、それだと、今代の聖女の身が危なくなるかな。だから、手短に話をさせてもらおうか』
栞の身を危険に晒したと思われる原因は、そんな勝手なことを言う。
『おや、アタシはアンタたちを思って、今代の聖女をここから完全に引き離したのだけど?』
「あ?」
思わず、声に出ていた。
それほど、聞き捨てならない言葉だったからだ。
『本来なら眠らせるだけでも十分なんだけどさ~。今代の聖女は厄介なことに自分が意識を落としている時を含めて、見聞きしていないはずの魂の記憶を夢の中で再生できる能力を持っている。だから、傍でおちおち内緒話もできない。それは知っているね?』
「いや、知らない」
そんな特殊能力があれば、栞はもっといろいろなことを覚えているはずだ。
『あ~、意識してないのか』
占術師はそう言うと、オレの方に顔を向けた。
フード越しに、強い視線を感じ、思わず、射竦められる。
『坊やには「ライズ」と言えば分かるね?』
ちょっと待て!?
何故、それを知っている!?
それは、あの「ゆめの郷」での出来事。
栞が作り出した「分身体」にオレが何故か付けさせられた名前だった。
だが、それを知る人間は少ない。
『思考を読むワタシにはお茶の子さいさいってやつだよ』
その軽い口調ほど、軽くは考えられない。
あの「分身体」は、栞の身体の記憶を持っていた。
この占術師が言うのはそのことか?
『色男が正解。坊やはもう一歩だね。アンタたちが言う「分身体」は、今代の聖女の魂が、その魔力を持って形作られた……、本来はありえない存在だよ』
なんで、兄貴が「色男」で、オレが「坊や」なんだ?
だが、どうやら、オレと兄貴の思考を同時に読んでいるらしい。
やりにくい!!
『やりにくければ、声を出しな。ワタシだって、好きでアンタたちの考えを読んでいるわけじゃないんだ。何も言わないから、大きな声が勝手に耳に届くだけ。ああ、魔力で防御は無意味だよ。ワタシが聞くのは、魂の音に近いからね』
兄貴は防御しようとしたらしい。
オレは、なんとなく心の声の防御は無意味だと思ったから、始めからしようとも考えなかった。
「俺たちのことを思って、主人をここから引き離したとはどういう意味でしょうか?」
兄貴が口を開く。
『ワタシは嘘を吐けない。さらには、相手の思考に反応して、反射的に言葉を吐いてしまう。つまり、アンタたち自身が隠したいような余計な言葉を口にする可能性が高いんだ。例えば、「魔名」とかね』
その言葉で、オレの身体が微かに震えた気がした。
『だから、ずっとそこの色男に抱かれたままの娘に関しては「今代の聖女」って言ってやってるだろ? ワタシは隠し事できない性格なんだよ』
思考が読める上に、未来も読めるような人間が、隠し事ができないって、厄介以外の何者でもない。
だが、その気遣いはどこかおかしいだろ?
結果として栞の命が懸かるってどういうことだ!?
『だから、用が済んだら、すぐに「今代の聖女」の魂は戻すって言ってるだろ?』
言ってねえ!!
『細かくせっかちな男は捨てられるよ』
余計なお世話だ!!
「九十九……。その方は退屈を凌ぐために揶揄っておられる。余計なことを考えるな」
『おやおや、年寄りの数少ない楽しみを奪わないでおくれ。前途ある若人たちを言葉巧みに翻弄するのが娯楽なんだからさ』
……まさに人類の天敵。
いや、この場合、若者の天敵じゃねえか?
『何、考えてるんだい? 人類の天敵は古来より、決まっているだろう?』
オレの思考を読んだ上で、占術師はこう言った。
『どの世界でも人類を滅ぼすのは、決まって神の所業じゃないか』
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