人類の天敵
「クソ兄貴~~~~~~~~~~~~っ!!」
その状況を見るなり、思わず叫んでいた。
結界を破った先にあったのは、魔法書店を模したかのように、本棚が並んでいたが、その入り口に近いところに、オレが知る二人が倒れていたのだ。
栞と兄貴である。
兄貴の方は五体満足のようだが、栞からは生気が全く感じられない。
それでも、間違いなく生きている。
だが、問題はそこではない。
「護るべき主人に対してなんてこと、してやがるんだ!?」
兄貴は栞を自分の身体の上に載せて……、あろうことか、抱き締めていたのだ。
それも、毛布を被った状態だぞ!?
そんな二人の姿を見て、オレが怒りを覚えないはずがなかった。
「応急処置だ」
だが、兄貴は慌てた様子はなく、淡々と答える。
「それにいちいち叫ぶな、鬱陶しい」
それは兄貴にとって、事実なのだろうが、オレにとっては看過できない不実である。
何が悲しくて、自分の惚れた女を、実の兄が抱き締めている様を見せつけられなければならないのか?
「それならば、事情を説明しろ。ことと次第によっては、オレがそのまま、兄貴を『聖霊界』に送ってやる」
そう言いながら、オレは床の上に腰を下ろした。
そして、兄貴から栞の右手を奪うとそのまま自分の両手で握り込む。
本当なら、その全身を奪いたい。
だが、オレの予想が間違っていないのなら、兄貴は今、仮死状態にある栞と縁を繋いでいる状況だ。
下手に動かして、縁が切れてしまえば、どうなるか予測も付かない。
握っている栞の手は、思ったより冷えている。
低体温症に近いが、軽度で起こるはずの熱運動が全くない。
意識がなくても、体温の低下を防ぐために、体温調節性シバリングと呼ばれる生理現象が起こるはずなのだ。
つまり、既に仮死状態にある。
あの時と、全く同じだった。
「栞ちゃんの魂が肉体から無理矢理引き離された」
「それは分かっている。オレが知りたいのは、その原因だ」
栞の魂が肉体から引き離されるのは、恐ろしいことに初めてではない。
オレたちは知らなかったが、栞の左手には「神の執心」という名の呪いが宿っていたのだ。
その対策のために、大神官は当事者である栞だけでなく、周囲にいたオレたちにも話さず、栞の魂を引き離したのだ。
だが、あの時はその行動にも意味があったのだ。
栞の魂を引き離し、「聖霊界」へと導くことで、本来、人間が会えないはずの件の神に接触させた。
そうしなければ、「神隠し」と呼ばれる封印で、その神の目から栞の魂を隠すことができなかったのだ。
あの時は、オレたちも神や法力に関して不勉強どころか、無関心だった。
いや、栞が「聖女の卵」にならなければ、今でも、関心は薄かっただろう。
それほど、一般的な人間と、神に導かれ、その道を生きる神官たちとは住む世界が違うのだ。
「どうやら、虎の尾を踏んでしまったらしい」
「あ?」
虎の尾?
つまりは、虎穴のことか?
だが、そんな危険なことを兄貴が女連れでするとは思えない。
主人である栞を、何かを釣り上げるための餌として使うにしても、そんなに実力差のある相手に対して行うとはとても思えなかった。
単身なら無茶をする兄貴だが、主人の身の安全に対しては、これまで細心の注意を払ってきたはずだ。
ある意味、オレよりも過保護だと思えてしまうぐらいに。
だから、この時点ではオレも首を捻るしかなかった。
「それだけで事情を察することができると思うか?」
「いや、分からんとは思っていた」
「それなら、始めから順序だてて話せ」
こんな状況でわざわざ回りくどい言い方をする理由なんかない。
「俺は、お前と水尾さんが出会った占術師を探していた」
「占術師?」
そう言えば、栞の後輩の女も言っていたな。
この町の管理者が占術師を探しているって。
だが……。
「何故、そいつを兄貴が探す?」
どれだけ確定に近い未来を告げられても、それに従う兄貴ではない。
現に、ジギタリスではあの占術師に積極的に関わろうとはしなかった。
あの時は、身内の行方も生存すら分からなかった水尾さんのために、会って話を聞くという方向へと進んだのだ。
そもそも、栞が関わることになったのは向こうの意思であり、栞自身が望んだことではなかった。
「その占術師は、『人類の天敵』である可能性が高い」
「…………は?」
その言葉に聞き覚えがあった。
大小、様々な能力を持つ占術師。
その中でも、「人類の天敵」とも言える者がいる。
国に囲われることなく、流れ者の占術師として、世界の各地に現れ、気まぐれに未来予知を口にして、その地を乱す存在。
それをオレに教えたのは、他でもない兄貴だった。
「なるほど。それが本物なら、この地の管理者は血眼になって探すしかないな」
誰に何を告げるかも分からない。
伝えた相手とその内容によっては、自分の領地管理を左右することになる可能性だってある。
「……って、オレは既に会ってしまったわけだが?」
しかも、そいつが占術師と気付いたのは言葉を告げられた時だった。
だが、いろいろ言われたが、結果として、あの言葉は、オレにとって希望の言葉として受け止めている。
兄貴が言うように、「人類の天敵」とはとても、思えなかった。
なんとなく、周囲に視線を泳がすと、その奥に、無駄にでかく白い像が目に入る。
ストレリチア城にある神の像たちを思い出すようだが、魔法書店にそんな像を飾る理由は、オレには分からなかった。
栞なら分かるだろうか?
オレは手を握ったまま、自分の主人を見つめる。
印象的な黒い瞳は、今は瞼が閉じられ、長い睫毛がいつもよりもその存在を主張していた。
「……お前が既に餌だったわけか」
「あ?」
今、酷いことを言わなかったか?
オレが餌だったって、兄貴や栞を動かすために?
「お前の言葉を聞き、俺は主人を連れてここに来たからな」
「……兄貴が直接の原因じゃねえか」
オレが餌とかよりもそっちの方が問題だろう。
明らかに「人類の天敵」と呼ばれる存在だと分かっている相手に、主人である栞を連れて会おうとする理由が分からない。
「黙れ、遠因」
「それは言いがかりだ」
どうしたって、オレの言葉で兄貴が動いた方が悪いだろう。
尤も、その相手が「人類の天敵」と呼ばれるほどの者だというならば、知らない場所で栞と勝手に接触されるよりは、目の届くところで接触される方が安心だという気持ちはよく分かる。
オレたちは、栞に四六時中張り付いているわけではないのだ。
人間界で一般庶民として育った栞は、護衛であっても他人が常に張り付く生活を好まない。
そのために、日頃の行動は彼女の自由意思に任せ、危険の気配があれば理由を付けてオレや兄貴が傍にいるようにしている。
だから、どうしても、目が届かない瞬間がある。
だが、その辺りにいる普通の人間が、中心国の王族であり、大神官が認める「聖女の卵」でもあり、あらゆる意味で常識外れなあの女を害することなんてそう簡単にはできない。
加えて、栞の気配に敏感なオレは、かなり瞬間的な行為でない限りは気付くことができるだろう。
オレに気付かれないほど短時間での強行策をとれば、確実に栞自身の「魔気の護り」の餌食となる。
さらに、兄貴だって、あの島で「嘗血」を行って以降は、前よりもずっと栞の気配に気づきやすくなっている。
だから、ある程度の隙は少ないはずなのだが、その「人類の天敵」はオレたち兄弟を出し抜いたようだ。
いや、最近、オレたちはいろいろなヤツらに出し抜かれ過ぎてないか?
そう思わなくもないけれど、単純に関わってくる相手が、何故か王族だったり、神官だったり、人外も増えた。
それら全てに一庶民でしかないオレたち兄弟が対抗しきれるはずもない。
それでも、主人を護ると決めた。
自分たちに足りないものは少なくないと承知で。
それならば、こんなところで泣き言を言っている暇はないだろう。
「つまり、この状況はその『人類の天敵』によるものか?」
「そうなるな。これだけ大掛かりで、本来なら綱渡りに等しい仕掛け方など、大神官を除けば、その者にしか心当たりもない」
比較に出された人間が、既にこの世界の大物である点は置いておいて……。
「この町の人間や、情報国家が関わっている可能性は?」
ふと金髪の王様が頭をよぎったが、その名を口にはしなかった。
あの自信家の王様は、兄貴と性質が似ている。
そして、思考の読み合いにも慣れているだろうから、兄貴を嵌めることができるような気がする。
「ないな。この町の人間だけでなく、仮に情報国家の王であっても、生きている人間の隙を突いて、肉体からその魂を引き離すことなどできん」
「あの紅い髪は……?」
オレの問いかけに対し、今度は少し沈黙があった。
「ゼロではない……と言っておくか。俺たちは、まだあの青年の深淵は覗かせてもらえないようだからな」
眉間に深い皴を刻み込み、兄貴はそう答えたのだった。
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