消えた気配
それは、本当に突然だった。
それまで感じていた栞の気配が、不意に、この町から消えた。
いや、この世界から消えたような喪失感を覚えたのだ。
今、栞には兄貴が付いていたはずだ。
オレは主人である栞の気配なら、かなりの距離があっても感じ取れるが、身内である兄貴の気配が分からないわけではない。
「嘗血」以前から、同じ血が流れているはずの兄貴の気配よりも、栞の気配の方が強く感じ取れる理由についてはよく分かっていないが、単純に内包している体内魔気の強さの違いだろうと納得している。
栞は非公認……、いや、今となっては半公認だが、セントポーリア国王陛下の娘である。
つまりは、中心国の王族。
どんなに一般的な人間よりも魔力が強くても、オレたちのような素性が知れないようなヤツらとは格が違うのだ。
オレは迷うことなく、栞の魔力が喪失したと思われる場所に飛んだが、弾かれた。
いや、正しくは結界に阻まれたらしい。
目的の場所に直接向かったが、静電気のような音が聞こえ、オレの身体はそこへ辿り着くことなく、弾き返される。
まるで、人間界での卒業式の日のようだ。
あの時は、栞に通信珠で呼ばれて飛んだが、結界に阻まれた。
そうなると、これはあの紅い髪の男の仕業か?
いや、違う。
あの男の手段なら、兄貴がみすみす栞を危険に晒すとは思えない。
それにあの結界は集団によるものだったらしいが、あの頃のオレでも外から簡単に破ることができた。
だが、ヤツは法力も使えるらしい。
そして、ヤツの国はその法力使いを量産するようなとんでもない国だ。
人間界では大気魔気が薄いため、使える魔法も弱くなるが、惑星が違うためか、神の加護が薄まり、法力はもっと弱まると聞いた。
上神官以上でなければ、あの世界では法力の行使は難しいとも。
栞と会った当時、「緑羽の神官」と呼ばれる高神官だった大神官の話だ。
法力が源となった結界ならば、オレも破るのは難しい。
だが、破れないわけではない。
結界……、空属性魔法の専門家である王子殿下は言っている。
魔法であっても、法力であっても、結界には流れが必ずあると。
だから、その流れを探して、対処すれば良い。
結界は、本来、その場にある大気魔気を無理矢理遮断して、自分の意思でその場の空気を作り替える荒業だ。
そんなことを深く考えたこともなかったが、そのために、神が作った自然結界は持続効果が信じられないほど長く、人間が張った人工的な結界は使い手の力量に左右されるそうだ。
道具の補助がなければ、長時間は持たない。
だから、栞があの島で作り出した「温室効果」はかなり規格外なのだ。
生活できるほどの広さを持ち、さらに日付を何日も跨ぐほどの長期間。
誰も彼女に何も言わなかったのは、栞のやることは常識に当てはまらないことを理解しているためか。
それとも、告げることで、彼女が「人の手による結界は長く張り続けることができない」と理解してしまって、結界の効果が切れることを恐れていたのかは分からない。
尤も、告げたところで、いつものようにけろりとした顔で、「じゃあ、効果が切れるまではのんびり待とうか」と呑気に言いそうな気はするが。
栞の気配は微かだが、この中から感じた。
ついでに、兄貴の気配も。
ここは、一見、商店区画にある普通の本屋……いや、魔法書店か。
魔法書を専門に扱っている店のようだ。
魔法国家の王女殿下たちが目を輝かせそうだな。
だが、まるで隠れるように商店区画の奥まったところ、路地裏を突き進まなければ辿り着かないほどの場所にあった。
連れ去られた先にある隠れ家のような印象もある。
人は来ないだろうが、人除けの結界を周囲に張り、さらに自分自身に気配遮断の魔法を重ね掛けていた。
「見つけた」
巧妙に隠されている結界の流れ。
だが、風魔法を当てると、そこを守るかのように不自然に結界が強くなる部分があった。
それから魔力を感じないので、結界の源となったのは法力だと思うが、自信はない。
オレに法力を視る眼はあまりないのだ。
どことなく、大神官様の気配に似たものを感じるが、ちょっと違う。
あの方が法力を使う時は、余計な物が削ぎ落とされたかのように鋭く精錬された気配を感じるが、この気配は、どちらかと言えば、それに混ざり物を感じる。
だが、明らかに魔法ではないナニかではあった。
そうなると、この状況には神官か、精霊族が関わっている?
オレは純粋な精霊族の気配は、昔、夢の中に現れやがった「淫魔族」と、リヒトと出会った「迷いの森」に棲んでいる「長耳族」、最近では、アリッサム城だった建物の門番のような役割をしていた「綾歌族」ぐらいなら知っている。
船の中の紅い髪?
知らん。
忘れた。
記憶にない。
だが、この世界には精霊族はそれだけではない。
オレが知らない気配の方がずっと多いのだ。
「厄介だな」
だが、厄介だと分かっていても、これを破らなければ中に入れない。
懐から銀のナイフを取り出して、結界の不自然な場所に突き立てる。
それだけで少し、結界全体が震えた気がしたが、破れるほどではないらしい。
ここでこのナイフに法力を込められたら良かったのだが、残念ながらオレは法力が使えない。
ないものねだりをしても仕方がないので、オレはオレのできることをやる。
法力は、6属性の中で、光属性の魔法に最も弱いらしい。
その理由は不明だが、幸い、光属性魔法ならば、オレは自分の主属性である風属性と同じくらい得意だった。
オレの父親か母親が、ライファス大陸出身者なのだろう。
それについては、なんとなく、思うところはある。
会った覚えもない母親と、会った覚えはあるが、死んだその瞬間まで風属性の気配しか感じなかった父親。
だが……。
「……っと」
余計なことを考えている暇はないか。
結界に差し込んだナイフが、ふるふると小刻みに震え出した。
異物排除をしようとしているのかもしれない。
だから、オレはナイフに力を込める。
「神聖光魔法」
そのまま、光属性魔法を口にする。
握られたナイフがオレの魔法に反射して、眩い光を放った。
なんとなく、気分で「神聖」と口にしてみたが、実際は、ただの「光魔法」だ。
そんな魔法を契約した覚えもない。
だが、オレの主人は魔法を使う時は、契約した魔法に関係なく、思うこと、願うことが大事だと教えてくれた。
栞が魔法国家の王女である水尾さんの魔法に対抗できるほどの「朱雀」を創り出した時からずっと考えていたのだ。
あれは、本来、この世界の人間にもできる魔法ではないだろうかと。
あんな魔法……、生き物のような炎を作り上げる魔法など、この世界に存在するはずがないのだから。
それに、もともと魔法自体、誰かが作り出したものだ。
それならば、生まれた時代、生きる時代は違っても、同じ人間が新たな魔法を創り出せないとは思わない!!
だが、流石にどこかの「聖女の卵」のように、普段の言葉で魔法が使えるとは思いこめなかった。
先ほどの詠唱は妥協案だ。
オレは、「神聖魔法」など契約していないし、そもそも、そんな法力のような魔法が存在するかも知らない。
だが、目の前で、氷が割れるような音を立てて、結界が破れていく。
その状況を見て、自分の独自魔法が成功したことが分かった。
今はまだ、道具に頼ったものでしかない。
単独では、この結界は破れなかっただろう。
だが、その一歩目は、間違いなく踏んだ。
そのことに歓喜よりも安堵の方が強かった。
そして……。
「クソ兄貴~~~~~~~~~~~~っ!!」
結界を破ったオレが、横たわる男女の姿を見て、そう叫ぶまで、後、数秒。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




