【第91章― 未来へのイト ―】気分を変えて
この話から91章です。
よろしくお願いいたします。
耳に残る愛の言葉。
それは一体どうすれば消えるのだろうか?
その言葉は、決して自分に向けられたわけでもないのに……。
「はあ……」
本日、何度目かも分からない溜息が口から漏れ、読んでいた本を閉じた。
ここまで読書に集中できないのは久しぶりである。
外を見ると、今日も広場は賑やかだ。
踊っている人も歌っている人もいるが、残念ながら本日は外出許可が下りない。
九十九も雄也さんも忙しいらしく、護衛がいない状況だから。
わたしは魔法が使えるようになったが、その立場上、単独での外出はできない。
だから、素直に大人しく借りている部屋で過ごしていた。
この町は今、巡回隊が多く見回り、余所者はさりげなく観察されているらしい。
なんでも、この町の管理者という人が、「占術師」を探しているらしいけど、詳しいことはよく分からない。
その捜索対象になっている人が、一昨日、九十九や水尾先輩と出会った人のことなのかも分からないし、何より、どうして、その「占術師」がこの町にいることを知っているのかも分からないままなのだ。
外には出かけられないけれど、幸い、退屈というわけではなかった。
この分厚い本は何度読んでも面白いし、読むたびに新発見があるのだ。
だけど、今は、集中できなかった。
あの楽しそうな広場を見ても、心が躍らず、絵を描く気力も湧いてこない。
その理由は分かっている。
昨日、九十九から子守歌代わりに聴かされたラブソングメドレーのせいだ。
知らない歌だったわけではない。
どちらかと言えば、知った歌ばかりだった。
なんなら、その原曲だって何度も聴いていたのに、九十九がそれを歌ったというその一点だけで、どうして、こうも印象強く耳に残ってしまうのか?
いろいろ妄想もしてしまうのだ。
九十九はこんな風に誰かに愛の言葉を囁くのかと。
そして、その相手は自分ではないとも分かっている。
何故なら、哀しいぐらいにわたしは女性として範囲外なのだ。
少なくとも、担がれたり、袋に詰められたりするのはどうかと思う。
それが必要なことだと分かっていても、女性の扱いとしてあれはないだろう。
まあ、最近はその頃よりマシな貴重品としての扱いとなったけれど、それでも、基本的に彼はわたしを女性扱いしていないことに変わりはなかった。
だけど、同時に、主人としては重苦しさを覚えるほど、彼から想われているという自覚もある。
それこそ命を懸けられるほどの想い。
それはそれで困るのだ。
なんで、わたしの護衛はこんなに極端な男なのでしょうか?
まあ、九十九から女性扱いされても、かなり慌ててしまうわたしが、そう思うのもどうかという話なのだけど。
「よし、絵を描こう」
少し気分が変わった。
どうせなら、あの色気が溢れ出ている九十九を深く思い出しながら、紙面に表現した方が良い。
あの時を思い出すと、ちょっと照れくさくなるけど。
さらには、頬が熱くなるし、口元が緩むけど、それすらもわたしの絵の糧としよう。
あの表情は、わたしに向けられたものではないのだから。
でも、不思議。
昨日、九十九が歌った中には、人間界でカラオケに行った時に歌った歌もあったのだ。
まあ、あの日の後半、題名のしりとり合戦になったためというのもある。
ある意味、負けられない戦いでもあったために、九十九は周囲が異性しかいない状況で、ラブソングを歌う羽目になったのだ。
でも、その時は昨日ほどの表情もなく、どちらかと言えば、全てを受け流す無表情に近かった気がする。
まあ、ワカが分かりやすく揶揄っていたこともあっただろう。
あの頃は、偽装交際期間で、わたしの「彼氏(仮)」という立場だったのだから、誰かから揶揄われてもおかしくはない。
でも、昨日の表情で歌っていたら、逆に揶揄いにくかったかもしれない。
そう考えると、今回は、周囲に揶揄うような人間がいなかったために、堂々と、感情を込めて歌うことができたのだろうか?
彼の気持ちが分からない。
はっきり言えることは、九十九は前よりも歌が上手くなっているということだった。
歌に感情が籠っていたせいかもしれない。
でも、前よりも歌声に甘さが深まったことは確かだ。
それが、わたしを油断させるためだったという目的がなければ、わたしももう少し素直にトキメけ……、いやいやいや? ときめいたら駄目だよね?
九十九はわたしを主人扱いしているのだから、もっとこう、鉄壁な、鉄仮面的な表情でいなければいけないのだ。
素直に心臓直撃していましたなんて顔を見せてはいけなかった。
うむ、反省すべき点だね。
だが、同時に耳が幸せになったことも確かだ。
好みの声が愛を囁く状況は、一種のご褒美である。
人間界の友人たちが、声優さんによるキャラクターボイス満載のCDを買っていた気持ちがよく分かった。
自分に向けられたものではないと分かっていても、それを聴けただけでも十分、幸せな気分になれるんだね。
我ながら単純である。
そう思いながら、筆記具を走らせ次々と、心の赴くままに絵を描いている時だった。
―――― ピコピコ
「ぬ?」
聞き覚えのある音が部屋に響き始めた。
どうやら、通信珠で呼び出されているらしい。
九十九か、雄也さんかな?
いや、水尾先輩や真央先輩も持っているから、出るまで誰か分からないか。
「はい」
だから、無難な応答をする。
『栞ちゃん? 今、部屋にいる?』
「はい」
通信相手は、雄也さんだった。
九十九じゃなかったことに、どこかほっとしている自分がいる。
気持ちを切り替えているつもりだけど、どこかで切り替えられているわけではないらしい。
まあ、似た系統の声なので、少し妙な緊張をしてしまった。
特に通信珠を通すと声がよく似ていることは分かる。
でも、九十九は九十九で、雄也さんは雄也さんだ。
名乗らなくても、それぞれが声色を似せたとしても、わたしは彼らの声を聴き分けられる自信はある。
『時間はある? あれば、俺に付き合って欲しいのだけど……』
……ぬ?
付き合う?
この場合、男女交際的な話ではないだろう。
「えっと……、どちらまででしょうか?」
『露店区画と商業区画、それと広場かな』
結構な範囲だった。
わたしが返答に詰まっていると……。
『少しの間、囮になって欲しいのだけど、難しいかな?』
そんなとんでもない要請がきた。
「お、囮!?」
聞き間違えかと思って、念のために問い返す。
『うん。男一人だと警戒されそうなんだよ』
どうしよう。
普通に会話が続いてしまった。
つまりは、本当に「囮」らしい。
これまで、知らないうちに「囮」になっていたことはあったし、九十九に「餌になれ」と言われたことは何度もあったが、雄也さんからちゃんと「囮になってくれ」と頼まれるのは初じゃないかな?
『報酬は、画集でどうかな? 綺麗で写実的な絵で描かれたものがあるんだけど……』
ぐっ!?
それは魅力的な申し出だ。
そして、雄也さんが綺麗だというのだから、間違いなくわたしも綺麗だと思う絵だろう。
これまで、彼がわたしに与えてくれた絵に外れはない。
「承知しました。協力させていただきます」
わたしはそう答えた。
いや、報酬がなくても、彼らから頼まれて、わたしに無理がなければ協力はする気はあるのだ。
でも、くれるというのなら、素直に貰いたい。
自分で描いた絵以外のものを見るのは嫌いじゃないのだ。
そして、勉強にもなる。
『それでは、半刻後に部屋まで迎えに行くね』
「分かりました。準備しておきます」
互いにそう言って、通信を切った後……、はたと気付いた。
「……あれ? これって雄也さんと並んで外を歩くことになる?」
あの黒髪の見目麗しい殿方と?
九十九だって見目の良い殿方ではあるのだが、三年前から横にいるため、そこまで意識していない。
でも、雄也さんはたまにしか一緒に歩かない。
しかも、基本的に一緒に行動する時は、室内など、あまり人目がない時だ。
この町に来た最初の日は真央先輩もいたから、そこまで気にしなかったけれど……、つまり……。
「また着ていく服で悩まなければいけないってこと?」
わたしはそう言いながら、またも頭を抱えたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




