理想の塊
―――― 理想の塊がそこにいた。
あの時の私は間違いなくそう思った。
「中学校」と呼ばれる教育施設内。
私が滞在した国は教育の法律により、義務教育と呼ばれるものがあった。
読み、書き、計算などという基本的な知識に始まり、信じられないぐらい高等な知識まで教え育てる場所。
このウォルダンテ大陸には、教育施設とはっきり呼べるものは中心国であるローダンセぐらいにしかなく、どこか新鮮な気持ちで入学したことは覚えている。
そこで見つけたのだ。
それは、「部活動紹介」という生徒たちによるパフォーマンス中の話だった。
この世界でいえば、趣味の名を借りた派閥加入への招待に近いか。
終盤に差し掛かり、同じ年代の少女たちが白い球を投げたり、黒や青の金属の棒を振り回し始めた。
今にして思えば、体育館の舞台という狭い場所で、キャッチボールや素振りをしている彼女たちも凄かったわけだが、それでも知らない者たちからすれば、退屈な出し物にしか見えなかった。
私も野蛮な競技だと思った。
この世界には私が知る限り、スポーツと呼ばれるものはない。
だが、最後に登場したコンビは少し雰囲気が違った。
各部活は紹介時間も長くない。
準備する時間を含めて5分ぐらいはあったけれど、10分はなかっただろう。
キャッチボールと素振りと部活の内容紹介を同時にして、時間短縮を図ったのだと思う。
そして、最後の2人に全てを託したのだ。
その2人はどちらもスラリとしていて、あの世界においても一般的な女性の魅力から外れていたとは思う。
一人は現役生徒会長。
すらりと伸びた手足と綺麗な顔立ちで、女子ソフトボール部と紹介されなければ、男性でも通じそうな容姿だった。
もう一人は二年生の二塁手と紹介された。
だけど、この離れた距離からも分かるほど、小さい。
小学生と呼ばれる年代でも通じそうな身長。
でも、凄く愛らしかった。
生徒会長との身長差は、あの当時、20センチ以上あったと思う。
それまでのざわついていた空間は、別の種類のどよめきに変わった。
自分の周囲から聞こえてくるのは、「小さい」とか「可愛い」、「本当に二年生? 」などの言葉。
その中で、私は「可愛い」派だった。
ウォルダンテ大陸では小さくて胸の大きな女性が理想的とされるが、自分はちょっと育ってしまった。
胸はともかく、伸びてしまった身長はどうにもならない。
だが、そんなざわめきを無視して、生徒会長が白い球を持って片手を上げた。
そこから少し離れた所で可愛い二年生が構える。
その顔は真剣そのもので、見ているだけでも「頑張れ」と応援したくなるようなものだった。
気付くと自分の握られた両拳に汗が滲んでいたようだ。
その直前にキャッチボールと呼ばれるものを見ていたし、素振りも見ていたから、その道具の使い方は理解できる。
でも、その距離は5メートルとない。
だけど、迷わず生徒会長はそのまま、半円を描くように普通にボールを投げたのだ。
それを見た衆人たちのどよめきが大きくなる……前に、ボールは可愛らしいその二年生の懐に達し……。
―――― コンッ!!
その場の誰もの耳に届くような音が、聞こえた。
そのまま、引力と重力に従って真下に落とされるボール。
始めから引かれていたマットの上に落ちたボールは、転がることなく、その場から動かずに止まった。
そして……、一瞬の静寂の後、怒涛の如く湧き上がる声。
最初に反応したのは野球と呼ばれる競技を知っている者たちだったらしい。
その興奮に飲まれ、サッカー、バスケット、バレーボールなどの球技と呼ばれる競技経験をしている人間たちにもその凄さが伝わる。
あの世界は魔法と呼ばれるモノこそないが、物理的な現象はこの世界と変わりはない。
引力、重力だけでなく、反発力、推進力といったものは当然ながらある。
だからこそ、私にも分かった。
あの小さくて愛らしい少女が、あんなに可愛い顔してどれだけの技術を行ったのかを。
そして、周囲のざわめきが落ち着く前に、さっさと二人は退場していた。
その後にも部活動紹介はあったが、私はもう覚えていない。
あの日、あの時、あの瞬間。
私の胸には、自分より小さな身体の大きな少女の存在が、住み着くようになったのは確かだった。
一人は生徒会長と紹介があったが、もう一人は学年と守備位置紹介だけで、名前すら出されなかった。
二年生は6クラス。
全部を聞いて回るには、目立ちすぎるし、あれだけのパフォーマンスを行ったのだ。
つまり、あの少女のことを知りたければ、ソフトボール部に一度は顔を出す必要があるということになる。
迷いに迷って、次の日にソフトボール部に見学という形で顔を出すと、熱血指導がそこにあった。
やはり、前日のパフォーマンスに心惹かれて、顔を出した一年生たちがいたらしいけれど、その無駄に熱い指導を見て、退散してしまった子もいたそうだ。
無理はない。
どう見ても、淑女教育からは大きくかけ離れていたから。
大きな掛け声。
振り回される金属の棒。
投げて受け止めて、また投げて受け止めると何度も繰り返されるボール。
そして、前後左右に動き、時としてはジャンプをするなど、同じところでじっとしていることがほとんどない。
私は魔界人だから、体力は魔力の少ない人間よりはずっとあるだろう。
でも、筋力はなかった。
一応、王女と呼ばれる身なのだ。
筋肉を付けることなど許されるはずもない。
だけど、目的の少女はそこにいなかった。
周囲を見回していると……。
「まさか、本当にスリングショットで投げるとは……」
そんな高い声が背後から聞こえた。
「高田なら落とせるだろう?」
「落とせましたけど! でも、すっごく怖かったんですからね」
それはどこか言い争うような声。
「流石、『捕手要らず』だよな。あの距離であの速度のボールを完全に落とすなんて、私の方が自信を失くすんだけど」
「分かりやすくストライク狙いでしたからね。来る場所は分かっていましたし、ウィンドミルの速球よりは、スリングショットは遅いのでなんとかなりました」
見ると、昨日の2人が何故か、周囲から離れてボール磨きをしながら会話をしていた。
どうやら、昨日の話らしい。
見学を装いつつ、そのまま聞き耳を立てると、思ったより、例の二年生は気が強いことが分かった。
相手は生徒会長と呼ばれる権力者だというのに、臆することなく自分の意見を述べている。
その堂々とした物言いに、ますます好感を持てる気がした。
あの小さくて可愛い先輩はどこまで私の関心を引くつもりなのか?
だから、そのソフトボール部に入ることに迷いはなくなった。
だけど、その少女を前にすると、どうしても素直になれない。
あの生徒会長に対するような気安い関係になりたいと願っていたのに、あの先輩が私に対して、始めから余所余所しい態度だったので、そのことに苛立ったのもあった。
それで、今にして思えば、かなり酷い言葉も口にしたと思っている。
だけど、そうすることで、あの人の特別にはなれた気がした。
誰にも見せないような感情と表情を、私にだけは見せてくれる。
そこには確かな優越感があったのだ。
その結果、周囲の怒りも買ったらしく、結構な騒ぎになってしまったけれど、所詮は学校という町よりも小さな範囲の話。
私はあの人に会うことを禁止されなかったことを幸いに、その態度を改めはしなかった。
私は魔界人。
あの人はただの人間。
一緒にいられる時期は本当に短いことも分かっていたから。
だけど、あの日。
あの人に会える最後の日に、その学校で事件が起きた。
知らない人は知らないままに、ひっそりと行われた蹂躙。
だが、私は今でも忘れることができない。
それをしたのが同じ世界の人間だと分かっていても、いえ、分かっていたからこそ、その実力差ははっきりと分かってしまう。
それほどあの紅い髪の男は異質な存在だった。
黒い服を身に纏い、中心国の王族に匹敵するほどの魔力を持ち、幾人もの人間を従えて、その場にいる魔界人たちを焙り出そうとしたあの男の猛禽類のような鋭い瞳は、この世界に還ってきた今でもはっきりと思い出せてしまう。
誰もが他人事を決め込み、潜伏することを選んだ中で、立ち上がったのは、魔力を全く感じないはずのあの人だった。
魔法を使わずに、相手から施された道具だけで食い下がるその姿は、一年と少しの間、部活で見続けた姿を凝縮した、私の好きな人の姿だった。
だけど、自分は動けなかった。
あの人を助けることもしなかった。
私は、弱い民を救う立場にある王族なのに、自分の身を優先してしまったのだ。
結果として、その一方的な蹂躙は、どこからか投げつけられた椅子と共に終わりを告げる。
多分、卒業生の席から……だったと思う。
でも、どこから投げつけられたのかは分からない。
あの人とは別のクラスだとは思うけど、それを知る人も、教えてくれる人もいなかったから。
そして、直後、別の学校の制服を身に着けた男子生徒が介入してきて、その長くて短い時間は完全に終わってくれたらしい。
後で知ったけれど、それはあの人の護衛だったそうだ。
その後、三カ月と経たないうちに、私はこの世界へと戻った。
戻れば、あの人に会える気がしたから。
でも、どれだけ探しても会うことができないまま、私は同じ大陸の人間と婚儀を行い、その翌年に男子を授かる。
そして、何故か、その年に、あの人と再会することになった。
そこにどんな神の導きがあったかなんて分からない。
だけど、久しぶりに会ったあの人は、可愛らしさはそのままに、その強さと輝きを増していて、眩しいぐらいに魅力的な女性になっていた。
その横には当然のように例の護衛の姿があったけれど、虫除けなら仕方ない。
並んでいる姿は腹立たしいけれど、あの人のあんな表情を見せられたら、何も言えなくなってしまう。
だから、少しでもあの人の表情が曇らないようにただの後輩である私は祈りましょうか。
あの人を泣かせたら、首を洗って待っておけ、と。
この話で90章が終わります。
次話から第91章「未来へのイト」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




