あいの唄
「個人的に気になる部分があるのだが……」
「あ?」
「最後の『歌』に関しての記述は、事実か?」
軽く前置きをして、兄貴はオレに確認した。
オレたち兄弟にとっては、この情報は命がかかるほど大事なことと言っても過言ではないことは確かだ。
だから、兄貴が気にするのは分かるのだが、疑われるような言い方は好まない。
「オレは兄貴への報告書に嘘を書き込んだことが一度でもあるか?」
少し棘のある言葉になったが、それは仕方のないことだろう。
勿論、自身の勘違いによる誤った記述が一度もないとは言わない。
だから、見たものをできるだけ詳細に書くようにしているのだ。
客観的な事実だけではなく、主観的な私見を書くことだってある。
だが、嘘を記録したことは一度もなかった。
真実の記録をしなければ、報告書の意味がない。
それに、複写をして自分も同じものを持つわけだから、万一、意識的に偽りを書き込めば、それを見るたびに罪悪感も湧き起こるだろう。
何度も自分で見返せない報告書など、記録の意味を持たなくなる。
「すまんな。お前からの報告を疑うわけではないが、この事実を俄かに信じられなかっただけだ」
兄貴は素直に頭を下げる。
それだけ、兄貴としては信じられないことが書かれていたということだ。
オレは肩を竦める。
「歌に関しての記述は本当だ。栞に聴かせた歌は題名だけでその歌詞の詳細は記載していないが、その中に兄貴の知らない歌はあったか?」
「ない」
オレたちが、この世界に戻る前の、人間界の有名どころをある程度押さえた歌ばかりだからな。
兄貴が知っていて、オレが知らないならともかく、その逆はないと思っていた。
「だが、子守歌代わりに人間界のバラードか。わざわざ主人の郷愁を誘う必要はないだろうに」
「どの歌を歌っても人間界の歌を歌うことになるんだから、多少、里心は刺激されるのは仕方くねえか?」
この世界には歌が少ない。
法力国家ストレリチアには、いや、その中にある大聖堂には、その性質上、「聖歌」と呼ばれる歌が多いが、オレは栞ほど「聖歌」を知らないのだ。
そうなると歌は人間界のものばかりになる。
そして、栞とオレは同年代だし、同時期に人間界にいるのだから、知っている歌はどうしても重なることになるだろう。
だが、当人だって無意識に歌うことが多いのだから、いちいちそれで郷愁を刺激されているとはあまり思っていない。
「ふむ……」
オレの言い分に一理あったと思ったのか、兄貴は考え込んだ。
「お前の言いたいことは分かった。だが、もっと包み隠せ」
「歌にまで文句言うなよ」
納得しつつも、呆れたような兄貴の言葉にそう反論する。
「栞からは特にリクエストされなかったんだ。それなら、気の向くまま、好きな歌を歌って何が悪い?」
栞が移動魔法酔いをした後、部屋で何故か子守歌をリクエストされた。
だが、子守歌など知らんオレは、自分が歌いたいように、思いつくまま好きな歌を歌っただけだ。
―――― 「愛している」とか「好き」って普段は言えないけど、歌の歌詞としてなら言えるじゃない?
そんな栞の言葉を思い出しながら。
だから、その選曲が偏っていることは認める。
だが、そのことに悔いはない。
「感情は?」
「込めた」
正しくは気付けば、勝手に籠っていたというべきか。
だが、普通に「愛している」と栞の前で口に出しても、自分に変化はなかったのだ。
それならば、少しぐらい調子に乗ってしまうのは仕方がないだろう。
オレたちは、仕えるべき主人に愛を告げると自死を選ぶという契約が結ばれている。
だが、それを心に想うだけではその契約履行はされる様子がない。
それがどんなに強い想いでも。
心に想うだけでダメなら、オレは「ゆめの郷」で自覚すると同時に、死んでいたことだろう。
それは、好きになることぐらいならば許されていると言うことだ。
行動に移すなと言うことなんだろうな。
それについては、少しばかり手遅れの感はあるけど。
結果として、オレは思う存分、想いを伝えさせてもらった。
それが一欠片も届くことはないのだと知っていても。
「随分、無謀なことをする」
兄貴は大袈裟な溜息を吐く。
「結果として、プラスだから問題ないだろう?」
「それは、ただの結果論でしかない。一歩間違えば、主人の前でいきなり自死を図ることになりかねんのだ。あまり、主人の心の傷を増やすような行動をするな」
さらに正論を吐き出された。
それだって分かってるんだ。
だが……、栞から歌って欲しいと望まれて断る理由はなかった。
さらに、歌い出したら、その歌詞の内容に気付いて、その顔を紅くしたのだ。
それまで蒼かった顔色が、健康的を通り越して、明らかに熱っぽさを孕んだものに変わったのを見てしまったのだ。
そうなると、男としては「もっと見たい」と思うのが普通だろう。
なんとも思っていない女ならともかく、惚れている女のそんな顔だぞ?
それで張り切らないなら、ソイツは男じゃないと思う。
「お前はこの歌を歌えたのか」
「……どれだ?」
「これだ。お前の今の声ではキツかろう」
兄貴は歌のタイトルを指差す。
「いや、意外といけたぞ」
確かに高音が辛いかと思ったが、歌っている時に気にかかるほどでもなかった。
自然と出た感じだ。
「原曲キーか?」
「多分」
演奏無しのアカペラだったから無意識に下げていたら分からないが、オレは、基本的に原曲のキーで歌いたい人間だ。
上げ下げをすると、ちょっと歌いにくいのだ。
カラオケとかで歌いやすいように、始めからキーが下げられていると、前奏時の音に対する違和感が酷かったこともあるかもしれない。
「歌なら大丈夫だということが分かったのはある種、朗報だな」
兄貴の言葉に引っかかりを覚える。
オレの検証を悪くない成果だと見ている。
その言葉の真意はどこにある?
「今更、伝える気か?」
「いや、俺はお前と違って、始めから分の悪い勝負をする気などない。単純に気分の問題だ。思ったよりも制限が掛かっていないというのは助かるだろう?」
そうは言われても、少し気にかかったのは事実だ。
オレは今、何を気に掛けた?
「お前が早まる可能性が減るなら、主人の負担も少なくて済む」
そして、兄貴が気に掛けたのはオレのことらしい。
いや、正しくはオレの言動によって引き起こされる栞の心か。
「早まる気はねえよ」
オレが死ねば、少なくとも、栞の心に傷を残すだろう。
少し会話しただけの占術師のことすら、三年近く経った今も思い出してしまうほどだ。
「オレは栞が他人に無関心だとは思ってねえからな」
自分に害意を持つ人間を気に掛けないことはできる。
だが、一度、気に掛けてしまえば、懐に入れようとしてしまう。
だから、あの紅い髪の男のことだって気に掛ける。
自分に害意どころか、殺意を抱いたこともあるような男なのに。
「オレみたいな男でも、いなくなれば気にする」
オレだって、位置的にはあの紅い髪と大差はない。
いや、もっと酷い扱いをされても文句は言えないのだ。
護衛の身で、栞を危険な目に遭わせた。
それでも……、寝室どころか寝台を共にすることを許されたり、寝るまで傍にいろとか言うんだから、その度量は大海並だと思う。
「その甘さが主人の最大の弱点だな」
兄貴は溜息を吐いた。
オレたち兄弟の共通の悩みだった。
だが、栞にその生き方を変えろとは言わないし、思わない。
自衛のために注意して欲しいとは願うけど。
確かに栞は他人に対して甘いが、同時に、その甘さによってオレたち自身も互いに救われている自覚もあるのだ。
栞が甘くなければ、オレも兄貴も生きていないだろう。
「因みにこの歌の中で主人が一緒に歌おうとした歌はあるか?」
「ないな」
確かに聞き入ってくれたとは思うが、栞と共に歌ったものはない。
まあ、もともと眠らせる目的があったのだ。
歌って、目を覚まされても困るわけだが……。
「……そうか」
兄貴のその短い返答と表情に、僅かながらもなんとなく含むものを感じたが、それを口にしないのなら言う気はないのだろう。
いや、兄貴自身、気付いていないのかもしれない。
気付いていないなら、今はそれで良いと、オレは思うしかないのだった。
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