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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ 過去との対峙編 ~

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耳に残る甘い歌

「はうわっ!?」


 わたしは飛び起きた。


「あ、あれ?」


 周囲を見回すが、誰もいない。


 先ほどまで歌っていたはずの九十九の姿も。


「ま、まさかの夢オチ?」


 わたしは首を捻った。


 いや、あれが夢なんて思えない。


 確かに九十九の姿もその気配すらないけれど、それでも耳に残る甘い声は消えることがないから。


 それに……。


「やられた……」


 わたしは自分の額に手をやって、前髪をくしゃりと握る。


 寝台のすぐ近くにテーブルが置かれ、そこには緑の液体が入ったグラスが目に付いたのだ。


 緑茶にどことなく似たソレは、九十九がわたしに対してよく使う()()()だろう。


 なんて、護衛だ。


 そして、それを飲んだ経緯を思い出す。


 体調を崩したわたしは眠るまでに九十九に歌を歌って欲しいと我儘を言ったのだ。


 そして、その彼がわたしを寝かしつけるためと称して歌った歌は、テンポがゆっくりめの、それはもう、脳が蕩けだすほどの甘いバラード系のラブソングが中心だった。


 たまにテンポが速いロック系の歌もあったけれど、その分、胸を直撃するような激しさに戸惑った。


 それらの歌の中で、一体どれだけわたしは九十九から、万感の想いを捧げられ、ふんだんに甘い言葉を囁かれ、十二分に愛を告げられたことだろう。


 あまりにも糖分過多すぎて、途中から脳が思考力と判断力を抱えて脱走していたことはよく分かる。


 だが、今にして思えば、それらの歌はある意味、九十九らしくないチョイスだったのだ。


 昔、ワカや高瀬とカラオケに行った時に、九十九が選んだ歌は、ここまで糖分過多警報が繰り返し脳内に出されるほどの歌なんかほとんどなかったと記憶している。


 あの場でそんな歌ばかりを歌っていたら、あの二人が黙っているはずがないだろう。


 つまり、今回の狙いはわたしの油断と、睡眠薬を飲ませる隙。

 わたしをゆっくり休ませるためとはいえ、相変わらず手段を選ばない護衛だと思う。


 実際、それは大成功だよ。


 あまりにも次々と積み重なっていく羞恥に耐えきれなくなって、すぐ近くのコップの中身など碌に確認もせずに煽ってしまったのだから。


 不覚。

 見事に嵌められた。


 これが毒薬なら、確実にわたしを殺せたよ。


 ……いや、あの歌だけで十分、瀕死になっていたけど。


 なんなの!?

 あの護衛!!


 毎回、思うけど、護衛が一番、わたしの心臓を狙いに来るってどういう現象!?

 これが、噂の主人の命を部下が狙うという下剋上ってやつ!?


 耳に残る九十九の声。


 ―――― 愛してる


 その響きが耳を震わせる。


 ―――― 幸せにしたい


 その熱が胸に宿る。


 ―――― 愛しくて 愛しくて


 繰り返される想い。


 ―――― I love you さえ言えない


 その言葉に加速する鼓動。


 そんな歌詞が次々と思い出されて……。


「ふぎゃああああああああああっ!?」


 思わず叫んだ。


 これ以上は耐えられない!!


 先ほどから思い出させるのは、歌の歌詞だけじゃなく、九十九の甘すぎる声と、色気のある表情。


 聴覚情報、凄いっ!!

 視覚情報も凶悪すぎる!!


 歌でこれなら、わたしは本当に誰かから愛を囁かれたら、そのまま意識を飛ばしてしまうのではないだろうか?


 いくらなんでも耐性がなさすぎるでしょう?


 それを防ぐためには、定期的に九十九に歌ってもらう?

 いやいや、それを望めば、本当に脳が逃走するか、心臓が破壊される気がした。


 あの護衛兄弟はほんとうに糖分が溢れすぎて困る。


 常に溢れ出ている兄と、時々、濃密に溢れ出る弟。

 どっちも本当にタチが悪い。


 しかも兄は意識的に糖分を出すが、弟は無意識だ。

 あれを意識的に出されては、本当に敵わない。


「あのホストめ……」


 当人が聞いたら、確実に怒り狂うような単語を口にする。


 わたしは「ホスト」という職業をよく知らないけれど、周囲の反応から、女性を甘い言葉で癒す仕事だと思っている。


 ……ん?

 癒し?


 九十九から甘い言葉を囁かれるのは、心が癒されるよりも心身ともに疲労感が満載のような気がする。


 あれ?

 わたしの護衛は以前、心も身体も護ってくれるって誓ってくれなかったっけ?


 いやいやいや、分かってます、分かってますよ?

 この場合、九十九は何も悪くないって。


 わたしが勝手にあたふたしているだけなのだ。


 彼に他意は一切、ない。

 それも、腹立たしいほどに。


 それでも、無理矢理、彼の非を挙げるならば、乙女心を解さないという一点だろう。


 そして、それが最大にして最悪の弱点でもある。

 だから、彼自身がモテないって思い込むことになるのだ。


 小学校の頃、バレンタインチョコで義理チョコと言い張った本命チョコがいっぱいあったことにも気付いていなかっただろう。


 その中に小さいハート型のチョコを小瓶に詰めた物や、可愛いリボンでラッピングされた物があったことだって覚えていないはずだ。


 ……いや、わたしは一応、直接、渡したから、覚えている可能性はあるのか。


 手作りではなく、市販のものを入れ替えただけのチョコ。

 お小遣いの少なかった小学生にはそれが限界でした。


 いや、手作らなくて正解だったよ。

 当時、彼がお菓子作りのできる料理少年だったって知らなかったもの。


 彼は料理が得意だと知ったのは、中学三年生の頃。


 あれは……、卒業式前のホワイトデーの日だった。

 わたしが初めて描き上げた漫画の題材とした日でもある。


 フォンダンショコラなんてものを作って、女子中学生たちに堂々と披露できる男子中学生って普通じゃないよね!?


 九十九はわたしが作った料理に対して文句は言わないが、失敗の検証は容赦なくする。


 そして、雄也さんの話では、九十九の料理の腕は、小さい頃から磨き上げられた技術の結晶らしい。


 人間界にいた頃は、家に作った契約の間に魔界の食材を持ち込んで、料理をしていたとも聞いている。


 何でも、契約の間は人間界にいながらもこの世界に近い環境となっているそうだ。


 道理で、十年間、魔界に一度も戻ったことがないはずの九十九なのに、料理の腕はこの世界準拠だと思ったよ。


 九十九と再会して、一緒に行動するようになって優に三年以上の年月が過ぎたわけだが、その間に随分、彼のことを知った気がする。


 一緒にいる時間が長いということもあるだろうけど、小学生時代に知っていた九十九なんて、本当に一部でしかなかった。


 なにせ、「魔法使い」だ。

 その時点で、微かに残っていた初恋の欠片すら吹っ飛ぶ衝撃があったことは確かだろう。


 実は「魔法使い」だったことはともかく、料理が得意なことも、両親が亡くなっていたことも、二歳年上の美形なお兄さんのことも、小学生時代に知っていてもおかしくない事実なのに、あの頃のわたしはそこまで知ろうともしなかった。


 つくづく、わたしは他者に対しての興味や、関心が薄かったのだと思う。


 それが……、今回の菊江(あきこ)さんのことで少し、浮き彫りになったことだけは理解した。


 小さい頃から母に守られて、母がいれば良かった。

 母がいれば、安心で、安全で、生活の保障もされていたから。


 それすらも、母が懸命に作ってくれたものだったのにね。


 小学校に通い始めて、世界の広さを知ったつもりになった。


 分かりやすくもアホみたいな考え方だけど、母ではない「他人」たちと出会い、交流することで、自分が成長したことは間違いないとは思っている。


 友人と呼べる人たちもできて、その中でも出会いや別れを繰り返してちょっとは大人になれたと思ったのに……、ここにいるのは、まだ大人には程遠い自分の姿だ。


 今の自分すら、九十九や雄也さんを含めた多くの人たちに守られてできている。


 だからわたしは、数少ない九十九の弱点を考えるより、自分のことをもっと考えるべきだろう。


 ……弱点しかない。


 少なくとも、護衛たちの足手纏いにならないように努力しよう、そうしよう。


「それにしても……」


 この耳に残り続ける甘い言葉って、一体、どうやったら消えるんだろう?


 結構、思考を逸らしたつもりなのに、それでもまだ消える様子はない。


 目を閉じれば、より鮮明に、どこか切なげな九十九の表情付きで蘇るところが本当にタチも悪い。


 わたしじゃなければ、絶対に誤解している!


 あんな姿、どう見たって、どう考えたって、意中の女性を口説く殿方の図にしか見えないから。


 でも、いつまでも、あの時の九十九を思い出して、頬に熱を持たせ、口元を締まりなく緩めているわけにもいかない。


 九十九に見られて変に誤解されるのも嫌だし、それ以外の人から見られて邪推されるのはもっと嫌だ。


 だけど、勝手に記憶は再生される。

 それも、繰り返し、何度も。


 だから、わたしは、記憶から消すことは諦めて、気合を入れ直し、せめて、思い出しても顔に出さない努力をすることにした。


 それでも、一度、脳内に焼き付いてしまった記憶はいつまでも消えずに残っていたのだけど。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました

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