体調管理
「シオちゃん先輩、シオンのために『願掛け』をありがとうございました。ついでに、護衛さんも」
菊江さんは眠ったままのシオンくんを再び抱っこしながら、わたしたちに御礼を言った。
「ついでって……」
いや、でも、わたしが無理矢理割り込ませたようなものだから、仕方ないか。
「シオンが良い人間に育つように祈っていてください」
「うん」
それでも、この表情を見たら、大丈夫だと思えてしまった。
それは、中学時代の面影などほとんど感じさせない強さと温かさを持った母親の顔。
わたしも、いつか母親になった時に、こんな雰囲気を持つようになるのだろうか?
そして、その時、横にいるのは……?
「なんだよ?」
わたしの視線を感じたのか、九十九は不機嫌そうに言った。
「いや、九十九もあの歌を歌えたんだなと思って」
「あの島とさっき。二回も聞いているからな。それに、なんとなく、どこかで聴いたことがある気もして、一番だけはなんとか覚えた」
「そっか」
それは九十九も意識しないほど昔の話。
元神女だったと思われる女性が、何度も歌っていた歌だからだろう。
そう考えると、胎児期や乳児期の記憶というのも侮れないのだと思う。
まあ、母親が亡くなった後に、兄である雄也さんや父親であった人が、九十九に聴かせていた可能性もあるのだけどね。
「シオちゃん先輩……」
「ん?」
「その……、シオちゃん先輩たちは、この町にはいつまでいるんですか?」
「具体的な日数は決まってないけど、暫くいる予定かな」
トルクスタン王子がいろいろなことを終えた後、ここで合流する予定だから、具体的には何も決まっていない。
「さっき見せてもらった集団演技みたいに、いろいろ面白い催し物がいっぱい見ることができそうだしね」
わたしがそう言うと、菊江さんはパッと目を輝かせた。
うぬう……。
中学時代とここまで違う反応があると、なんとも言えない気分になる。
彼女と再会した後、全く変わっていなかった態度に対して、万一、また会うのでは? と、警戒していたことが馬鹿らしく思えてしまう。
「でも、巡回隊を増やすような事態になっているのだったら、余所者はあまりウロウロしない方が良い?」
先ほど、結界を解除してから九十九の目が少し鋭くなっている。
少しだけ漂ってくる彼の体内魔気もピリピリした感じになった。
何かを警戒しているのは明らかだ。
「巡回隊が増えていること、シオちゃん先輩は知っているんですか?」
意外そうに言われた。
彼女の目には、やはり、わたしは鈍く見えるらしい。
いや、自分でも、鈍いとは思うよ。
そのことに、先に気が付いたのはわたしではないから。
「他の町に比べて、ちょっと見回りしている人が多い気がしたんだよね」
伊達に、各国の城下を含めたいろいろな町を歩いていない。
先に九十九から話を聞いて、一度、意識して周囲の様子を窺えば、少し町を歩くだけでも目に入るようになる。
お揃いの服の殿方たちが周囲を見回っていることに。
そして、その人たちが特に他所の人間たちが入り込みやすい露店区画や広場区域を念入りに見ていることにも気付いた。
これは褒められても良いはず!
「あれは、ちょっと……、夫が人探しをしているようで」
「人探し?」
後輩の口から、ごく自然に「夫」という単語が出てきたことに驚きつつも、先を促す。
「はい。シオちゃん先輩が『占術師』だったら、話は早かったのですが……」
「ほへ?」
なんか意外な単語が出てきて、首を傾げてしまった。
「夫は、この町で『占術師』を探しているらしいのです」
「この町にいるの?」
「分かりません」
菊江さんは首を振る。
しかし、わたしは複雑だった。
すぐ後ろに、この町で既に占術師に会ったという青年がいることを知っているから。
だが、その青年は口を開かない。
つまり、それを言うつもりはないと言うことだ。
「そもそも、占術師は国が囲うもので、流れの者は少ないはずなんです。それなのに、この大陸にその流れの占術師がいるという情報が入ったらしくって。少なくとも、本当にこの町にいれば探し出して、国に献上するという流れになるでしょう」
「えっと……、占術師って、確か、人間界でいう占い師みたいに、未来予知か未来予測能力を持っているんじゃないっけ?」
それも結構な確率で当たるということをわたしは知っている。
「正しくは、未来予知、未来予見、未来予測、未来予想のいずれかですね」
「……違いが分からない」
なんとなくは分かるけど、特に後者の二つの差が分からない。
「まあ、普通の知識ではないですからね」
菊江さんは困ったように笑った。
「シオちゃん先輩は、占術師が全ての人が同じ能力でないことは知っているんですね? それでは、自分の弟子には近しい能力を持った人間を探してその知識や能力の伝授をするというのは知っていますか?」
「それは……、なんとなく?」
確か、ジギタリスにいた頃に、聞いたような気がする。
でも、はっきりと覚えていない。
あの頃の自分のことは、よく思い出せないのだ。
「未来予知は確定した未来を知る能力のことです。時に神の意思を自分の身体に降ろしてその言葉を口にすることもあるとか。この世界で最も有名な『盲いた占術師』と呼ばれる方や、その弟子であったジギタリスの占術師がこれに該当すると言われています」
「『盲いた占術師』……」
その能力は、わたしも知っている。
その有名な「盲いた占術師」さんではなく、お弟子さんであるリュレイアさまと対面しているから。
その時に「神言」と呼ばれるものまで口にされたのだ。
そして……。
もっと深く思い出そうとして、ぐらりと揺れる視界。
それに気付いて、九十九が腕を掴んだ。
さっきもこんなことがあったね。
わたしは、最近、「占術師」という単語を耳にするだけで、視界を揺らしてしまうようになっているらしい。
少し前まではここまでなかったはずだけど、どうしてだろう?
「シオちゃん先輩?」
わたしの様子に気付いた菊江さんが不思議そうに声をかけてくれる。
「ちょっと、貧血……かも?」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫、大丈夫。時々、あるんだ」
そのまま、九十九に寄りかかる。
「だから、わたしには護衛がいるんだよ」
体調管理までしっかりしてくれる護衛。
わたしはどれだけ彼に甘えているのだろうか?
「ぐっ」
「『ぐっ』?」
菊江さんの口から妙な声が聞こえた気がする。
「いえ、何でもありません。でも、シオちゃん先輩、ちょっと退化したんじゃないですか?」
おや?
まるで、中学時代の菊江さんが降臨したかのようだ。
でも、大丈夫。
彼女はわたしを嫌っていないことは分かった。
それなら、その言葉にも意味はある。
「そうだね。ちょっと衰えてるかも」
前は一人でも大丈夫だと信じていた。
一人でも頑張らないといけないと空回っていた。
倒れたら、一人でも立ち上がらないと誰も助けてくれないと思い込んでいたのだ。
でも、今はそんなことはない。
わたしがよろけたら、必ず、手を伸ばしてくれる人が傍にいる。
「だから、管理してくれる頼もしい護衛の存在が有難い」
弱いわたしを支えてくれる力強い腕。
「ここまでですね」
九十九が言った。
「ちょっと待って。話はまだ……」
「我が主人の体調のこともありますが、『シオン=アスタラス=リプテルア』様もまだ幼いため、体力的な負担が大きいことでしょう」
シオンくんもまだ小さい。
九十九が言う通り、魔界人であっても、長時間の外出……、いつもと違う環境にあるのはその身体に負担は大きいだろう。
「特にこの世界の人間は、病気に対する抵抗が弱すぎます。それは、あの世界を知っているアックォリィエ様ならご承知のことではありませんか?」
体力が弱れば、病気に対する抵抗も弱くなる。
ただでさえ、病気になると何もできない魔界人だ。
そして、この世界には風邪薬も胃腸薬もないのだ。
「でも……」
「菊江さん。わたしたちはまだこの町に滞在する予定だから、また今度話そう?」
「え?」
わたしはシオンくんに無理させたくはなかった。
「貴女との話が面白かったから、もっと聞きたいと思って。次はこんな場所ではなく、どこか座れるようなところでゆっくり話せないかな?」
わたしがそう言うと、菊江さんが目を丸くする。
「シオンくんのお世話や、この町の管理者の奥さんとしての仕事もあるだろうし、わたしたちにも都合があるから……、まあ、無理にとは言わないけど……」
流石にその立場上、わたしみたいに簡単に暇ができるとも思ったのでそう言うと……。
「行きます!! どんなに忙しくても、シオちゃん先輩に合わせます!!」
「いや、無理は駄目だよ? 他の人の迷惑になることも絶対に駄目」
「はい!!」
あまりにも良い返事過ぎて心配になるのはわたしだけだろうか?
「それなら、宿泊場所を教え……、いえ、いっそ、我が家へ……」
「それでは後日、こちらから、連絡を入れましょう」
わたしを支えていた九十九がすっと間に入る。
「見ての通り、主人の調子が思わしくありません。顔色も悪くなっております。一刻も早く、休ませたいので、今は何も言わずにこのまま、戻らせてください」
そう言いながら、さらに笑みを深めて……。
「アックォリィエ様なら、私の言葉をご理解いただけますよね?」
丁寧な口調なのに有無を言わせぬ迫力ある言葉に息を呑む。
やはり、この兄弟は敵に回したくない。
そして、菊江さんはシオンくんのお腹に顔を埋めた。
あれは、ちょっと羨ましい。
母親だから許される行為だろう。
「分かったわ。連絡を素直に待つことにする」
そして、再び、顔を上げると……。
「でも、その言葉に嘘があれば、地の果てまで追いかけてやるから」
そんな王族らしくも怖い宣言をしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




